『特別な夜』
ケーキ屋さんで働いていると毎日が何かしらの特別な日なのだと思わされる。家族の誕生日。ふたりの結婚記念日。試験に受かったお祝い。などなど。
閉店間際のケーキ屋店内にスーツ姿の人が入ってきた。スーツの人はショーケースの中の残り少ないケーキを一通り眺めたのちに小さめのホールケーキにプレートをつけてくださいと注文した。
「こちらにプレートに書くお名前頂戴してもよろしいですか?」
メモ帳に書いてもらったそれはソーシャルゲームのキャラクターの名前だった。なぜ知っているかというとそのゲームは自分も課金しているぐらいにはやり込んでいるから。ゲームの話をしようかどうしようか。けれど今から名前を書くキャラクターのことはあんまり詳しくないし、けど話題に出してもいいかなそういうの嫌いなひとかな、などと顔には出さず逡巡しているうちに仕事をきちりと終えてしまった。書き終えたタイミングでスーツの人が言う。
「あなたも、あのゲーム好きなんですか?」
スーツの人が視線を向けている先はメモ帳に書いてもらったときのボールペン。推しキャラがさり気なく描かれているものなので仕事で使ってもいいよねと思って持ち込んだものだった。
「あっ、はい。めっちゃ好きで、やってます。けっこう」
「そのキャラも僕、好きですよ。かっこいいですよね」
「あっ、ありがとうございます。推しがお世話になっております」
うふふ、と笑い合って会話は終了したけれど、内心とてもとても嬉しい。我が事のように嬉しい。ケーキを大事そうに抱えて帰るその人に親近感を抱きつつ、もう少しなにか言えればよかったな、と看板を片付けながら思う。店の軒下に月影がほんのりと落ちている。それぞれの特別な日に特別な夜が訪れている。
1/22/2024, 3:28:11 AM