わをん

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1/8/2024, 3:34:59 AM

『雪』

雪国の朝は早い。まだ暗い早朝に黄色いパトランプの光と重機の轟音が家の前の道を通り過ぎてゆく。車道に積もりに積もった雪を空けるために早くから働いている除雪車の人たちに心のなかで頭を下げ、来たる家の前の雪かきのために気合いをいれてえいやと起き出す。ポストに新聞はすでに届いていた。除雪が行き届かず申し訳ないと新聞屋さんにもまた心のなかで頭を下げて黙々と目の前の雪をスコップでどかしていく。汗ばむぐらいに雪をかいて一息ついた頃に晴れ間が見えて朝日が差してきた。雪国に暮らしていると雪にいろいろと困らされることが多い。隣近所の同級生の中には雪国に見切りをつけて遠くに越してしまった人もいる。けれど、照り返す雪の眩しさや新雪に残る動物の足跡、そして遠くの山に青く映る木々と白のコントラストを見るたびに美しいと思う。雪のことを嫌いにはなりきれない。ふうとひとつ息を吐くと白い靄がきらめいて消えていく。気合いを入れ直して残る雪かきを再開することにした。

1/7/2024, 2:11:25 AM

『君と一緒に』

生涯を共にしたいと思っていた相手が香の焚かれた部屋に眠っている。もう目を覚ますことはない。白い祭壇に置かれた可憐な婚約指輪は僕が彼女に贈ったもので、持ち主のことを想ってか寂しげに煌めいている。明日になれば火葬となる夜に彼女の両親は僕に寝ずの番を託してくれた。ふたりきりの長い夜に泣き言や情けないこと、懺悔のようなことが口をついて止まらない。彼女はただ聞くばかり。
「僕もそっちへ行きたいよ」
ぽつりとつぶやいた言葉を彼女はどう思ったのだろう。うつらうつらと眠ってしまった僕の前に彼女が笑顔で現れて、僕の顔を渾身の力を込めた拳でぶん殴った。
「そんなことばっかり言ってるあなたとは一緒にいたくない」
はたと目覚めたときに頬を押さえたが痛みはないし腫れてもいない。けれどもうこれまでのようなことを言おうとは思わなくなっていた。祭壇に置かれた婚約指輪に手を伸ばし、眠る彼女に問いかける。
「僕がまた今日みたいなことを言ったら、また殴ってくれる?」
蝋燭が揺れて、指輪が煌めいたように思えた。

1/6/2024, 4:28:27 AM

『冬晴れ』

抜けるように青い空の高いところに風がよく吹いて凧がぐんぐんと揚がっていく。小さな軍手をはめて糸を操り、空を見つめている息子の横顔のなんとりりしいことか。ほっぺたは赤く、口はちょっと開いていて、瞳がとてつもなく輝いている。無我夢中を体現したようなこの姿は後世に残すべきだ。スマートフォンのカメラがいつものようにフル稼働して画像フォルダは画面いっぱいに息子のサムネイルで埋め尽くされる。けれどスマートフォンを降ろした瞬間にパパ!と呼びかけられたときの、自分の眼にしか映らなかった笑顔のかわいさたるや、言葉には言い尽くせない。筆舌にも尽くしがたい。逃したシャッターチャンスを悔やんで見上げた空はとてもとても青かった。

1/5/2024, 9:59:18 AM

『幸せとは』

目前の敵を倒すこと。それがお国のためになると考えて生きてきた。相手の息の根を止めるときに喜びを覚えてからは躊躇が無くなり、さらに多くの敵を倒せるようになった。仲間からは気味悪がられたが、今となっては変えようのない自分の性になってしまった。
湿度の高い密林に暑さが加わり、部隊の仲間の数が半分にも満たなくなったころに戦争に終わりが告げられる。祖国に帰ってきたときに空襲と新型爆弾で多くの国民が亡き者にされたと知り、何万という人間を顔も見ずに殺す手段を取って戦争を終わらせられたことにとてつもなく腹が立った。自分がそれだけの敵を倒せたなら、その喜びは如何ばかりだろうか。銃剣を握りしめられたなら良かったが手元にそれはなく、軍刀すらもない。自分の幸せはこの国のどこにもなく、今や誰にも許されない。それを形作ったのはこの国であるというのに。
ふふ、と笑いが漏れた。

1/4/2024, 1:44:50 AM

『日の出』

修学旅行の旅のしおりに朝5時起床の一文があった。晩ごはんのときの集まりで先生たちから明日は5時起きだからまくら投げや恋バナなどせず早く寝るようにと念押しがあったので誤記ではなく本当に5時起床のようだ。アラームいっぱいかけようねと相談し合う女子たち。静かにどよめいていた男子たちも女子たちに倣い、起きてなかったら起こしてくれなどの相談が始まった。僕も隣りにいたやつに同じことを頼む。
まくら投げと先生の見回りの応酬が何度が続いた夜が明けて海沿いの旅館に朝がやってきた。これまでの人生で一番早い寝起きぶりに頭がぼうとする。前を歩く同級生のあとをなんとかついていくと、水平線まで見渡せる穏やかな海が見えてきた。近くにはしめ縄が巻かれた岩が見える。同学年全員がみな一様に眠たそうな目をしていたが、一条の光が差すと一斉に感嘆の声が漏れた。太陽が驚くほど眩しい。日に当たるだけで体があたたかくなる。ぼうとしていた頭から徐々に眠気が無くなっていく。これまで当たり前にあるものと思っていた太陽のありがたみが身に沁みていく。太陽やばい、太陽すごいというざわめきの中で僕は言葉を失ってただただ立ち尽くしていた。

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