『幸せとは』
目前の敵を倒すこと。それがお国のためになると考えて生きてきた。相手の息の根を止めるときに喜びを覚えてからは躊躇が無くなり、さらに多くの敵を倒せるようになった。仲間からは気味悪がられたが、今となっては変えようのない自分の性になってしまった。
湿度の高い密林に暑さが加わり、部隊の仲間の数が半分にも満たなくなったころに戦争に終わりが告げられる。祖国に帰ってきたときに空襲と新型爆弾で多くの国民が亡き者にされたと知り、何万という人間を顔も見ずに殺す手段を取って戦争を終わらせられたことにとてつもなく腹が立った。自分がそれだけの敵を倒せたなら、その喜びは如何ばかりだろうか。銃剣を握りしめられたなら良かったが手元にそれはなく、軍刀すらもない。自分の幸せはこの国のどこにもなく、今や誰にも許されない。それを形作ったのはこの国であるというのに。
ふふ、と笑いが漏れた。
『日の出』
修学旅行の旅のしおりに朝5時起床の一文があった。晩ごはんのときの集まりで先生たちから明日は5時起きだからまくら投げや恋バナなどせず早く寝るようにと念押しがあったので誤記ではなく本当に5時起床のようだ。アラームいっぱいかけようねと相談し合う女子たち。静かにどよめいていた男子たちも女子たちに倣い、起きてなかったら起こしてくれなどの相談が始まった。僕も隣りにいたやつに同じことを頼む。
まくら投げと先生の見回りの応酬が何度が続いた夜が明けて海沿いの旅館に朝がやってきた。これまでの人生で一番早い寝起きぶりに頭がぼうとする。前を歩く同級生のあとをなんとかついていくと、水平線まで見渡せる穏やかな海が見えてきた。近くにはしめ縄が巻かれた岩が見える。同学年全員がみな一様に眠たそうな目をしていたが、一条の光が差すと一斉に感嘆の声が漏れた。太陽が驚くほど眩しい。日に当たるだけで体があたたかくなる。ぼうとしていた頭から徐々に眠気が無くなっていく。これまで当たり前にあるものと思っていた太陽のありがたみが身に沁みていく。太陽やばい、太陽すごいというざわめきの中で僕は言葉を失ってただただ立ち尽くしていた。
『今年の抱負』
その場のノリで、今年の抱負を絵馬にしたためようぜという話になった。玉砂利を踏みしめて社務所にぞろぞろと向かい、今年の干支である龍が描かれた絵馬と個人情報保護シールを渡されて時代だねなどと3人で盛り上がったあと、油性ペンを片手に白紙の絵馬と対峙しつづけている。
「ほうふ、ってなに?」
「願い事じゃないんだ?」
「ググった!えーと、なんか平たく言うと、目標?」
「「「目標なぁ〜」」」
自分で言うのもなんだが目標なく生きている。サラリーマンとして働き、たまの休みに余暇を過ごし、盆と正月には地元へ帰り、恒例行事として3人で集まればしょうもない話をだべって終わる。声を揃えたことでそれぞれ似たような生き方なのだなとわかってしまった。3人共にため息をついてしまう。
「でもまぁあれだな。健康一番てやつじゃね」
「おっ、ハードル下げるね〜」
「まぁでも確かにそうだよな」
健康であれば生きてはいける。金を稼げるし遊びにも行ける。1日生きてひと月生きて、それを繰り返すうちに1年を走り切れるし、またこいつらと会うこともできる。同じようなタイミングでそれぞれのペンは動き出し、ガサガサした書き心地の絵馬に書き記していく。
「おめえ何書いたんだよ、見せろよ」
「やめろ!令和だぞ!」
「はい、俺もう貼った~」
おそらくなのだが、シールの下に書かれていることはみな同じなのだろう。
『新年』
真夜中の神社に賽銭箱を先頭に長蛇の列ができていた。
「えっ、なにこれみんな初詣狙い?」
「うちら読みが甘かったね」
「甘すぎたね」
紅白が終わったあとのゆく年くる年はちょっとチル過ぎるということで近所にある大きめの神社の初詣一番乗りを目指したはずが、見積もりの甘さが露呈してしまった。けれどせっかく来たんだし、と妹と一緒に最後尾に並びに行く。スマートフォンによると新年まであと10分ぐらい。行列を観察してみるとお年寄りもいれば家族連れもいるし、若者もけっこういる。
「こうゆうの先頭の人いつから並んでるんだろね」
「紅白見なかったのかな」
「ワンセグで見たとか?」
「録画組じゃない?」
ああだこうだといつも通りの実のない話をしていると神主さんらしき格好のひとたちが拡声器でなにかを告げて、列が動き出した。それまで聞こえなかったお賽銭がかちあう音や跳ね返る音が聞こえてくる。初詣が始まったのだ。
「ちょっと前まで今年最後の、だったのが急に今年最初の、になるのウケるね」
「わかるー」
いつもより大きな初詣仕様の賽銭箱に、家の貯金箱に入っていたありったけの小銭をポケットから取り出して景気よく振りまく。二礼二拍手、今年もよろしくお願いしますと願って一礼。それから素早く列から離れる。
「おみくじ引く?」
「友達とまた来るから今はいいかな」
「じゃあ、帰ろうか」
「今年初帰宅だね」
やることなすことすべてに今年初をつけるムーブが家庭内でしばらく流行るのだろうなぁと笑い合って家路を急いだ。
『良いお年を』
病院の個室で窓辺を見ていた友人はこちらに気づくと久しぶり、と笑った。余命幾許もないと聞いていたのに元気そうだなとやっと返事をして手近な椅子に腰掛けたがよく見れば肌に色艶はなく、健康な人にはない臭気が漂い、点滴からはなにかしらが投与され続けている。鎮痛剤がよく効いているから今だけは元気なのだと友人はまた笑った。
友人は言う。腹を割いたものの手が付けられない状態だったのでなにもせずに綴じられたのだと。遺すことになる家族が心配だが、治療や入院期間自体は短くなりそうだから保険でなんとかなるだろうと。いまこうして俺と話せるのは神様仏様の粋な計らいなのだと。
「お前には痛みにのたうつ姿を見られたくなかったんだ」
いろいろと運がいいよなと、友人はまた笑う。悲しんでいるのは俺だけなのだろうか。涙が止まらない。
友人は言う。週が明ければもう新年なんだな。毎年一緒に行ってた初詣も新年会もたぶん欠席だ。みんなにもよろしく言ってくれ。あとは、そうだな。
「良いお年を」