わをん

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12/31/2023, 8:49:45 AM

『1年間を振り返る』

寒い寒い冬のこと。きょうだいたちと一緒にいたはずだが意識を取り戻した時にはおれ一匹になっていた。大きな生き物が檻の外からこちらを見つめて泣いている。
「みんなも助けたかったけれど、助かったのはあなたひとりだけだったのよ」
生き物の手が伸びてきて体を撫でる。母親のことを少し思い出し、涙の匂いにつられて少し泣いた。
あたたかで眠たくなる春のこと。いろいろなことを知った。大きな生き物はオカアサンの他にもオトウサンがいる。おれの名前がシロちゃんになった。檻の外に家という檻があって外に出られない。
「シロちゃんは、お外に出たい?」
少し考えるがあたたかくて眠たくなる。答えるのも面倒になってそのまま眠るとオカアサンは何も言わずに頭を撫でた。
暑い暑い夏のこと。暑くてなにもできなかった。家の中の一室だけが涼しくて、そこでなら遊びも付き合えるしゴハンも食べられる。デンキダイという言葉を何度か聞いたがそのうち聞かなくなった。今は外には出たくない。けれど外で暮らしている他の奴らはどうしているのかは気にかかった。
涼しくてやるせない秋のこと。涼しいと動きたくなくなるのでいやになっていたけれど、オトウサンと一緒に寝るとよく眠れることに気付いた。オトウサンのおなかには柔らかな部分があり、なぜだか母親を思い出して前脚で押したくなる。シロちゃんのために俺、痩せなくていいかなぁと言うオトウサンはオカアサンから怒られていたけれどおれには関係のないことだ。
また、寒い寒い冬が来た。とはいえこの部屋にはいつも暖かな風が吹く箱があるのであまり寒くない。きょうも箱の前を陣取っていると、外から帰ってきたオカアサンから嗅ぎ慣れない生き物の匂いがする。にーという、か弱い声も聞こえてくる。
「この子がもう少しここに慣れたら、シロちゃんにも紹介するね」
おれが昔入っていた檻を引っ張りだしたり毛布を出したりとオトウサンもオカアサンも忙しそうだ。おれと同じような奴がここで暮らすことになるのだろう。ならばおれはこの1年でわかったことをそいつに教えることになるのだろう。オカアサンよりオトウサンのほうに甘えるとオヤツをもらいやすいだとか、オフロに落ちるととんでもないことになるだとか、ツメキリと聞こえたら逃げたほうがいいだとか、そういうことを。全部外には無かったことばかりだ。きっと戸惑うし驚くだろうけれど、おれが大丈夫だったのだから安心しろと言ってやりたい。扉の向こうからもはや懐かしい外の匂いとにーという声が聞こえる。立ち上がって伸びをしたおれは暖かな箱から離れて扉の前に座り込みそのときを待つことにした。

12/30/2023, 1:31:03 AM

『みかん』

こたつの上に置かれたかごの中のみかんが残りひとつになったのを機に、こたつに入り浸る兄弟の間に緊張感が漂い始めた。この家にはラス1のみかんを食べたものがかごにみかんを補充することという厳格なルールが定められているためだった。ラス1のみかんの美味しさを取るか、こたつの温かさを享受し続けるか。後者を選び続けるふたりは膠着状態に陥っていた。しかし傍に置かれた石油ファンヒーターに灯油切れのランプが点り、アラームが鳴り始めた瞬間に状況は一変する。我先にと立ち上がり、ラス1のみかんと共にかごを手にしたのは兄のほうだった。くそが!という弟の吐き捨てた言葉はもはや負け犬の遠吠えであり、勝者にはまったく響かない。この家にはファンヒーターの灯油切れの際には手が空いている者が灯油を補充することという厳格なルールが定められている。灯油の入ったポリタンクの置かれている玄関はみかん箱より遥かに遠く、寒く、そして灯油が満タンになるまでに途方もない時間がかかる。舌打ちと未練がましい視線を受けながら早くもみかんをかごいっぱいに盛ってきた兄は悠々と次のみかんに手を伸ばすのだった。

12/29/2023, 12:22:31 AM

『冬休み』

社会人の私たちはある朝に駅から学生服の子たちが一斉に姿を消す現象に遭遇し、そのときに初めてあの存在に思い当たる。
「冬休みか……」
通勤電車の人口密度が減り、おしゃべりで盛り上がる若い子たちがいない車内のなんと平穏なことか。つり革に掴まる人の眉間のしわが幾分薄らいでいるようにすら思える。
もうすぐ職場の最寄り駅へと電車が到着する。私たち社会人の冬休みはもう少しだけ先の話だ。同じ電車に乗る人たちみんなが無事に仕事を納められますようにと願いながら年末進行の業務が残る道を私は歩き始めた。

12/28/2023, 3:48:49 AM

『手ぶくろ』

同じクラスに好きな子がいて、彼は毎朝自転車で登校してくる。近頃めっきり寒くなったので装備がダウンジャケットとマフラーと軍手になった。
「軍手、寒くない?」
「めっちゃくちゃ寒い」
「なんで手ぶくろ買わないの」
「彼女がさぁ、手ぶくろ編んでるんだって」
だから買わないんだと彼は緩んだ顔で言った。編み物なんてめっちゃくちゃ時間のかかる作業をなぜ今になってやっているのだろう。ばかじゃないのか。と、言いかけたのを飲み込んでそれは楽しみだねなんて思ってもないことを言った次の週、とても落ち込んだ様子で彼が登校してきた。彼女に振られたとのことだった。
「ご愁傷さまです」
「めっちゃくちゃヘコむわ……」
冷たい空気に鼻先や耳を赤くさせながら軍手を外す彼。
「手ぶくろ、買ってあげようか」
「え、なんで」
「おまえのこと好きだから」
「えっ。……えっ?」
自分の顔が熱い。傍から見れば彼と同じぐらい顔が赤いのかもしれない。

12/27/2023, 3:43:22 AM

『変わらないものはない』

埃を被った学習机の引き出しを開けると大事に大事にしまい込んでいた宝物の数々が出てきた。つやを失って変色したキーホルダーに、白けてしまったプラスチックの人形。いい香りのするティッシュはもうただのポケットティッシュだ。部屋を見渡せば住み着いた小動物のふんでどこもかしこも汚れてしまっている。
「持っていく物、何かあった?」
「いや、なんもないね」
こども部屋を共用で使っていた兄はだよねぇと相槌を打って隣に並んだ学習机の引き出しを閉じた。
生まれ育った一軒家はもうじき解体されてその跡地には兄夫婦の新しい家が建つ。古びた思い出を捨て置くことに後ろめたさはあるけれど、いつかは手放すものなのだと誰に言うでもない言い訳をする。
玄関から外に出ると父が感慨深げな顔つきで家を見上げていた。つられて見上げた家は小さな頃と比べて少しだけ縮んで見えた。

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