夏の終わり。
夏も終わりにかかり、段々と秋が深まってゆく。
そんな季節の変わり目でも、私と彼は一緒に下校していた。帰り道の景色は移ろうとも、関係は移れない。
いつもの様にドキドキしながら、今日の出来事を話す。
授業の話から始まり、全く関係の無い話へと変わる。
その中でふと出て来た彼の言葉に、私は固まる。
「そういえばさ、いつも僕と一緒に帰ってるけど、
好きな人とか、彼氏とか居ないの?」
彼は立ち止まり、私の目を見てハッキリと聞いてきた。
貴方が好きです。
なんてまぁ、言えるはずも無く。
〔いや、うん。いるにはいるんだけれど。何と言うか、
友達、って感じ?〕
あやふやで曖昧な答えを、彼は真剣に聞いていた。
何となく、不安が過る。冷や汗が出てきた。
「へぇ。」
彼はそれだけ言って、また前を向いて歩き出した。
私も後をついて行く。
明らかに、返答を間違えた気がする。
何と言うか、先程からの彼との空気感が、気まずい。
「僕は、好きな人が居るんだ。
ちゃんと、本気で好きになった人なんだよ。」
こちらを振り返らずに、歩きながら彼は言った。
心臓が跳ねる。彼は続けた。
「まだ、好きって言えてないんだ。」
誰に?その事だけが頭の中をぐるぐるとしてる。
黙っていると、彼は振り返り、少しだけ震えた声で
「…ねぇ、僕にさ、他に好きな人がいたら、キミは嫌?」
そう言った。
私の手を取って、彼は自身の胸に当てる。
私より、鼓動が早い。
〔…うん。すごく、嫌。〕
私は彼をしっかりと見る。ハッキリと、彼の目が見開かれた。彼の震えた手は、私の取った手に力を入れ、
「好きです。」
一言だけ、言ってくれた。
本気の恋なのは、貴方だけじゃない。
私も少し震えた手で、彼の手を取って、
〔私も、ずっと好きでした。これからも、好きです。〕
彼は今までで一番優しく、眩しい笑顔になった。
季節と共に、私達の関係もゆっくりと動き出した。
〔今年で、十年か。〕
私はあるカレンダーを見て、呟いた。
そのカレンダーは、日付が十年前の九月で止まっている。
一日、二日、三日、とバツ印が付けられて、日数の経過を表している。
二十五日。
その日で、バツ印はなくなっていた。
それが意味する者は、簡単な話だ。
祖父の命日である。
〔はやいね、じいちゃん。もう十年だってさ。
私も大人に成っちゃった。見てほしかったなぁ。特別に
普段滅多に着られない、着物着たんだよ。〕
独り言が止まらなくなる。
〔自分で言うのもなんだけと、すっごい綺麗に仕上がってた。着物の柄ね、鶴にしたんだ。色鮮やかに仕立てられた布地に、鶴が飛んでいるの。〕
写真立てに飾られた、二つの写真に目を遣る。
其処には、祖父に肩を抱かれて、所々土に塗れて笑う私と、独りで色鮮やかな着物を着て、化粧をして、微笑んでいる私だ。
〔いやぁ、我ながら絵になってるわ。〕
だから、見てほしかった。土に塗れた私だけじゃなくて、大人に成って、土じゃなくて、化粧をして美しいと思ってもらえる私を。
あの日で止まった儘のカレンダーは、淋しく揺れる。
また、二番目だ。
その日は、学期テストの結果発表の日だった。
共用掲示板に貼り出された結果を見て、自分の名前を探す。
一枚目、二枚目、三枚目…。有った。
それを見て、私はため息を付く。
もううんざりする。また二番目だ。
いつもいつも、どれだけ勉強をしても、抜かせない。
あれだけ努力をした。だから、何時もより自信があった。
足元から、泥に突っ込んだ様だ。とても重い。
その泥が、足元から体を這い上がって来る。苦しい。
喪失感が全身を包み込む。
もう嫌だ。
叫びそうになり、その場を駆け出した。
苦しい。誰か、私の努力に気付いて。
「おーい!」
廊下を走っていた私の耳に、貴方の声が届いた。
咄嗟に、立ち止まる。
声のした方を向くと、手招きされている。
「こっち来て、部屋空いてる。」
貴方が立っている部屋の標識は、保健室、と書いてある。
私は誘われるがままに、ふらふらと歩いて行った。
中に入ると、先生が居ない。そして、ベットが空いていた。貴方は、秘密だからね。と、笑っていた。
「ほら、ベット入って。落ち着くまで、寝てた方が良い。
一応外に居るけど、何かあったらすぐ呼んでね。」
そう言って、カーテンを閉めようとした貴方に、ありがとう。とだけしか言えなかった。
貴方は笑って、大丈夫だよ、と言ってくれた。
一人になり、またテストの結果が脳裏に蘇る。
陰鬱で、呪いの様な、じわじわとした泥が体を覆う。
息が、苦しくなってくる。ああ、死んでしまいそうだ。
目をつむり、一人で泥に耐えていると、ふと手が暖かくなった。
その瞬間、体が楽になる。ホッと息を吐き、目を開くと
貴方の手が、私の手を包んでいた。
貴方はゆっくりと、小さい声で何か話している。
耳を澄ますと、優しい声色が聞こえた。
「今回のテストも、結果が気になっちゃったんだね。
何時も頑張っているから、気になっちゃうんだね。」
胸が、チクリとした。
「凄く頑張ったもんね、だから、苦しいんだよね、
努力してたのに、って思っちゃうもん。」
チクリとした棘が、深く刺さって行く。
「凄く、報われない、認めて貰えないとか、考えちゃうよね。」
深く刺さった棘が、心を貫く。しがらみを、貫いた。
そう感じた時、視界が歪む。駄目だ、泣いてしまう。
貴方は優しい声で、
「貴方のした努力は、貴方の望む結果に成らなかったかもしれない。無駄になったとか、思ってしまうかもしれない。」
その言葉は、貫かれたしがらみをゆっくりと解く。
そして、痛む心を柔らかい綿で包んで守ってくれる。
「休み時間も机に向かって、あの感じだと、家でも休み無く勉強してたでしょ?なのに、駄目だったって思っちゃうもん。」
「でも、忘れないで欲しい。貴方の努力は、無駄じゃないし、無意味でも無い。だって、後悔はしてないでしょ?
後悔なんて出来ない位、努力してたの、ずっと見てた。」
「だから、忘れないで。貴方の努力は少しも無駄じゃ無かったって事。報われなかったなんて、思わないで。」
「私が見ていたから何だ、って思うだろうけど、見ていた人がいた、その努力を認めてくれた人がいたって事。
それは、嘘じゃない。だから、自分を赦してあげて。」
嗚呼、何でそこまで甘いのだろうか。
私の胸の中にある想いは、軽くなっていた。
ある休日のお話
その時期は、夏の暑さがジリジリと体に染みる七月だった
皮膚を焼く太陽の光、アスファルトから見える蜃気楼。
正に、真夏である。
私は彼女と、この茹だる暑さにピッタリな、大型のショッピングセンターに来ていた。
一度ドアを通れば、エアコンの冷気が体を包む。
〔あぁ〜、涼しい。〕
体をダラリとさせて、近くの共有スペースの椅子に座る。
そんな私を見て、日傘を畳み、帽子を外した彼女が笑う。
「なんていうか、溶けてしまいそうね。」
クスクスとしながら彼女は言った。
彼女も私の横に座り、汗が引くまで一緒に涼む。
といっても、彼女はそこまで汗をかいていない。
そんな彼女を見て、羨ましいと思いながらも、
私は暫く茹だっていた。
大体、十分程だろうか。やっと汗が引いて、少しスッキリとする。
ふと、近くに目を遣ると何かのブースが出店していた。
〔あれ、何だろ?〕
私がそう言うと、彼女もそちらに視線を移す。
私よりも目が良い彼女は、ブースを見て
「オリジナルのアクセサリーを作る、ですって。
イヤリングとか、そういった物。」
そちらを見たままに教えてくれた。
へぇ、アクセサリーか。普段付ける機会が無いものだからピンと来ない。
私がぼーっと考えていると、彼女はこちらに振り返り、
キラキラとした目をしている。
ああ、行きたいんだな。
〔そうなんだ。私少し気になるから、一緒に行ってくれるとすごく嬉しいな。〕
多少の棒読みは許して欲しい。
そう言えば彼女は笑みを溢して頷いてくれた。
椅子から立ち、ゆっくりとブースに向かう。
…先程から彼女が少し落ち着きが無くなっている。
普段、我儘なんて言わないし、欲が無いのかと思っていたが、何となく安心した。
ブースに着くと、丁度席が空いた様で、すんなりと案内を
してもらえた。
席に着くと、店員さんからの説明が始まる。
此処のオリジナルアクセサリーは、どうやら貝殻を使って世界に一つだけの物を作れる、らしい。
貝殻の種類は数mm程度から、数cm程度迄多岐に渡る。
私はどうにも惹かれず、聞き流していると
「じゃあ、この貝殻で、お願いします。」
と、彼女の声が隣からする。
めっちゃ決断早い。思わず彼女を見てしまう。
彼女は私の方を見て、楽しそうに笑った。
出来上がり迄時間が掛かるらしく、ショッピングモール内を彷徨く事になった。
彼女は、どんな貝殻を選んだのだろうか。
世界に一つだけのアクセサリー。
彼女にとって、夏休みの、大切な出来事になると良いな。
夏休み、最後の一週間。
とても大事な一週間、私と彼は宿題を終わらせるため、
一緒にレポートを進めていた。
まぁ、お互い殆ど終わっていたので、間違いや忘れ物が
無いかの確認作業となったが。
朝九時に集まって、大体夜七時前に帰宅する。
集まる場所は、お互いの家だったりファミレスだったり。
楽しく、忙しい日々が六日間過ぎた。
そして、最後の七日目。
その日は彼が私の家に来る事になった。
大体、朝の九時過ぎ辺に、チャイムが鳴る。
「おはよー。」
と、やる気の無い声と共に、眠そうな彼の顔が
インターホンに映る。
〔おはよう。今開ける。〕
軽く返事をして、私は鍵を開けに玄関に向かった。
チェーンを外し、鍵を開けると、彼が猫背で立っている。
「お邪魔します。余裕持ってがんばりましょ。」
家に上げると、彼はやはり眠そうに言う。
思わず、
〔そのトーンで言われてもなぁ。〕
そう言って苦笑いをしてしまう。
彼を居間に案内して、私はキッチンで冷えたお茶を入れる。
…そういえば、ほうじ茶で良かったのだろうか。
そんな事を考えながら、私もお茶を持って居間に向かう。
居間の扉を開くと、早速レポートを広げて、彼は作業を
始めていた。
さっきまであんなに眠そうだったのが、嘘みたい。
〔お茶持って来たよ。ほうじ茶で良かった?〕
私が話し掛けると、彼はパッとこちらを見て頷く。
良かった。
「ありがと。先に始めててごめんね、さっさと終わらせて置きたい所があってさ。」
少し申し訳無さそうに彼が言った。
お茶を机に置き、ノートを覗く。
そのレポートは、私はもう終わらせてあった所だったので
大丈夫。とだけ言う。
〔全然。さっさと終わらせて、ゲーセン行くんでしょ。
気にしなくていいよ。〕
そう言いながら、私もノートを開き、作業を始めた。
「うん。頑張ろう。」
その返事を聞きながら、頷いた。
カリカリと、静かな音だけがする。
外では少し時期外れな蝉が鳴き、室内の静寂を際立たせる。
会話もせず、時々お茶を飲む、ゴクリと喉の音が部屋の中に響く程、静かだ。
私は、ノートをめくりながらに考えていた。
もしかしたら、今の自分の胸の鼓動が、彼に届いてしまうのではないかと。
これだけ静かだと、少しだけ不安に思う。
今、こんなに、ムードも欠片も無い所で、彼に想いを知られてしまったら。
ある意味、一生忘れられない思い出になってしまう。
「大丈夫?何か分からないとこ、ある?」
私の手が止まっていたのが気になったらしい彼が、
近づいてそう聞いてくる。
ドキッとして、私は少し仰け反ってしまった。
不思議そうな彼に謝りつつ、
〔何でも無いよ。大丈夫。〕
とだけ伝えた。
嗚呼吃驚した。本当に、鼓動が届いたのかと思った。
私は不安か安堵かも分からない息を少し吐いて、
また作業へと意識を戻した。