君はふらつきながら顔を上に向け、思い切り口を歪めた。ビール瓶を持った手を突き上げ、あいまいな空を怒鳴りつける。
「なんて空模様だ!降るか晴れるかどっちかにしろよ!」
僕はどうにもおかしくて、くすくす笑いが止まらない。
君の赤らんだ顔。くしゃくしゃのシャツ。僕のネクタイはいつのまにか、どこかへ消えてしまった。
君は僕を睨んだ。
「おい、笑うなよ。おまえも一言言ってやったらどうなんだ」
「……空に?」
「そうだよ」
僕はにやりと笑って、ぐずつく空を見上げて叫んだ。
「降るなら早く降れよ!」
「いいぞ、その調子だ」
君は満足気に僕の背中をばしばし叩く。
背中はひりひり痛んだが、僕はとても嬉しかった。
すでに君の目は半分閉じている。
空が怒って本気で降り出す前に帰ろうと、僕は君の肩を押す手に力を入れた。
君の燃える眼差しに焼き尽くされるのが怖かった。
僕が君の姿で犯したすべての罪を、君は黙って見ていた。
僕は間違っていただろうか。
薄闇の部屋で一人、君は登れもしない螺旋階段をよく眺めていた。
タバコの煙で誤魔化せない苦しみに苛まれていた。
僕より高い体温が、命の矛盾を痛いくらいに伝えてきた。
君のすべて。
僕は君のすべてを貰った。
僕は間違っていただろうか。
君を焼き尽くした炎を燃料にして、僕は旅立つ。
君の瞳で僕は宇宙を見ている。
僕らは誰にも言えない秘密で繋がっていた。
まだ6月だというのに、ぬるい夕暮れの空気は肌にまとわりついて不快だ。
さびれた住宅街のアパートで、僕はベランダの窓を開けた。
西陽がまともに部屋を満たして、君は目を細めた。
「眩しい」
「暑い方がいやだろ」
君の携帯が着信音を鳴らす。
運動会でおなじみの天国と地獄。
君は発信元をちらりと見て、出もせずに切った。
「誰?」
「秘密」
「なんだそれ」
君はふいっと顔を逸らす。
汗が僕の額を伝って目に入った。
天国と地獄のメロディを鼻歌で歌いながら、君は窓を閉めた。
暑いって言ったのに。
忘れられない、いつまでも。
あなたの吐息の熱さ、首に触れる指先、僕を見つめる榛色の瞳。
良い香水の香り、薄暗い部屋、うっすら上がった口角。
燃える暖炉、並んだ本、知らないクラシック。
それから、僕を呼ぶあなたの声。
忘れられない、いつまでも。
君の眉間に寄った皺、安物のローション、黒縁眼鏡。
くしゃくしゃのシャツ、犬の毛、揺れる巻き毛。
美しい瞳、私の腕を掴む手、歪んだ微笑み。
そして、君がついに進化を終えた歓び。
忘れられたなら、どんなに楽だろうか。
侵食するあなたが恐ろしい。
僕は目を閉じて耳を塞いだ。
忘れないように、記憶を抱きしめる。
君に侵食していくことを喜ばしく思う。
私は目を開けて耳を澄ませた。
一年後、扉がノックされた。
鍵なんてかけてないのに律儀なやつだ。
僕は扉を開けてやった。
「やあ」
まるで昨日も会ったかのように、戸口の君が片手を上げる。
僕は無言で不機嫌を伝えた。
歓迎ムードじゃない僕に気がつき、君は不思議そうな顔をした。
「怒ってるのか?」
「当たり前だろ。君、一年も何してたんだよ」
そう、一年も。
今日は君がふらりと散歩に行って戻らなかった日から、きっかり一年後だ。
君はきっと僕の心配や悲しみなど気にもしていなかったんだろうな。
「そうだ、おまえに土産があるんだ。珍しい菓子だぞ」
背負ったリュックサックをごそごそやりだす君を、僕は抱きしめた。
まったく。人の気持ちなんてわからないくせに、こんなことばっかり覚えやがって。
ずっと我慢していた涙が溢れ、君の肩口を濡らしていく。
びしょびしょになればいい、勝手に出て行った罰だ。
僕はそっと口を開く。
「おかえり」
君は戸惑ったように身じろぎし、少し迷って恐る恐る僕の背に腕を回した。
「ただいま」