「あーあ、今年も初日の出は拝めそうにないな」
厳つい剣を肩に乗せ、嘆くようにケインはため息をつく。そんな彼を不思議そうな顔でウィンターは見返した。
「はつひので?なんだそれ」
「あれでしょ、ニューイヤーのお祝いみたいなやつ!」
頰についた返り血を拭き取りながら短刀を納めつつ、リーナが言う。
「ちげーよ、いや、違くないんだけどさあ、お前たちが想像してるようなパーティーなかんじのじゃなくって」
ケインがうんうんと唸りながら捻り出した話をまとめると、新年を祝いながら年始に日の出を見る文化があるそうだ。わびさびと言うやつだろう。
「へえ、じゃあ見ればいいじゃねえか」
ウィンターは何気なくそう言って、そしてあたりを見回してあっと言った。それもそのはずだ。彼らは魔王軍を追い詰めるために日夜戦い、今は昼も夜もない火山帯の戦場真っ只中なのだから。
じっと自分を見る痛いくらいの視線に苦笑いを浮かべ、ウィンターは肩をすくめる。
「まあまあ、そんな落ち込むなって!」
「そうそう、今から頑張れば、日の出くらい拝めるかもよ!」
二人掛かりでやんややんや言っていれば、二手に分かれていたパーティーメンバーが戻ってきたようだ。一気に人数が増えて騒がしく明るくなった戦場で、ケインはよし!と大きな声をあげた。
「日の出までに終わらせてやらあ!」
「おー!!」
話の流れを知らないものも知っているものも、とりあえずノリで士気を上げる。そうして眼前に迫った敵陣へと向かっていくのだった。
吐いた息が白に染まる。まだ薄っすらと暗い空の下、引かれた手が早く速くと急いているようだった。
「諒!早く行かないと日の出に間に合わないよ!」
すっぴんで髪も櫛でとかしただけの彼女が、目の前で膨れっ面をする。出会ったばかりのころは、いつ会ってもバッチリ化粧で、髪はいつもアイロンで巻いてあって、甘い女子の匂いがしていた。そんな彼女が今ではこうも無防備だと思うと、なんだか胸がくすぐったく感じる。
「何よ、ニヤニヤして」
膨れっ面をさらに膨らませて、まるでリスのようになった彼女は、それでも足を止めない。
「なんでもねえよ。いいから前見て歩け」
後ろから来ていた自転車にも気づかなかった彼女を引き寄せると、少し大人しくなる。
不思議に思いながらも、目的地の海はすぐそこだ。付き合って3年目で初めて一緒に見る初日の出。彼女が楽しみにしていることはよくわかっていたが、いざその日になると自分も楽しみにしていたことに気づいて驚く。
「あ、またニヤニヤしてる」
「だからなんでもねえよ」
下から見上げてくる彼女が、また指摘する。今度はバレないように手で口元を覆ったはずなのに、目ざとい。
「ほら、もう着くぞ」
誤魔化すように前を指差した。
「わあ」
隣から歓声が漏れ出る。
ちょうど水平線から日が昇るところだった。
オレンジ色の光が周りに溢れ出てくる。当たった光は次々とものをオレンジ色に変えて行った。
「綺麗」
ぴったりと横にくっついている彼女の頭を撫でる。彼女はくすぐったそうに笑った。
「来年も見にこよう」
ふと口から出た言葉だった。
オレンジ色にほっぺたが染まった彼女を見ながら、自分が撫でたせいで崩れた髪を手櫛で直してやる。
「うん、また来年も一緒にこよう」
珍しくこちらを見ない彼女の耳だけ、オレンジ色ではなくピンク色に染まっていた。
小さい頃、鳥になりたいと思った。
「頑張れ〜!!千恵美!!」
友人の声が遠くの方から聞こえる。他にも口々に私の名前を叫ぶ後輩や先輩、顧問の先生の声も聞こえた。
私の目の前にはまるで壁のようなバーがある。そして手にはポール。風が少し吹いているものの、障りはない。天気もこれ以上ないほどの快晴で、高校最後の大会にふさわしい日だ。
ポールを握った手を強く握る。唾を吐いて息を整えると、きっと前を見つめ、走り出す。
練習したように、走ってポールを地面について、飛ぶ。まるで鳥のように、高く高く。もっと高く。
ぐんぐん空に近づいて、後少しで天にも届きそうなくらいになって重力が私を引き戻す。
マットの上に落ちた私は、ぼんやりと空を見上げてから起き上がった。周りからは歓声と拍手の雨。
結果は自己ベストで大会ベスト。嬉しい。それと同時に、飛んだ時の感覚が忘れられなかった。空がぐんぐん近づいてきて、まるで鳥のように高くもっと高くと天をかける。
「千恵美?千恵美!!」
「え?」
ぼーっとしていたらいつの間にか大会が終わっていた。目の前には大会の最中必死に私の名前を呼んでくれた友人がいる。
「え?じゃないわよ!優勝したお祝いに、どこかに食べに行こうって言ってるの。どこに行きたいとかないの?」
友人に肩を持たれてグラグラ揺らされて、いよいよ現実に戻ってくる。
「えー、うーん、なんでもいい」
「なんですってー?!」
そのまましばらく肩を揺らされながら空を見上げる。すっかり茜色に染まった空を黒いカラスが自由に飛んでいた。
いいなあ。
「千恵美ー!!またぼーっとしてたら置いていくわよ!」
「はいはい」
友人の声に引き戻されてまた現実を歩き出す。またあの感覚を求めて、私はこれからも空を飛ぶのだろう。
子供のように駆け回って、遠い地平線を目指して旅に出れたらいいのに。
「ジェリック!起きな!」
「いってぇ!」
布団をひっぺがされ、蹴られてベッドから転がり落ちると、ジェリックは目尻に涙を浮かべながら飛び起きた。
そんな彼を見下ろして、仁王立ちで深くため息を吐くのは、彼の妻であるルカレアだ。
「ルカ!随分大胆な起こし方じゃないか?」
「あんたが何度言っても起きないからだろう!久々の快晴なんだから、シーツを洗濯するんだ。わかったらいいからとっととどきな!」
その怒鳴り声に押されるようにして、ジェリックはその場から逃げ出す。たまの休みくらい寝かせてくれよと思いながらも、彼女に頭が上がらないジェリックは口が裂けても言えない。
若い頃はツヤがあってチャームポイントだった短い金髪をかきあげると、身支度をして家を出る。仕事じゃないにしろ、家にいるのは少し居心地が悪かった。
トボトボと歩いていると、おっ!と見知った声が聞こえる。
「ジェリックじゃねえか。こんな昼間にどうした」
「うわっ酒臭え」
がっしりと肩を組んできた禿頭の大男は、幼馴染のリプトンだ。昔は悪さをしてはよく一緒に怒られたものだ。
「なんだ?しけたツラしやがって。とうとう嫁さんに逃げられたのか」
「まだ逃げられてねえ!」
そう言って腕を叩けば、リプトンはわざとらしくよろける。
「へーへーお熱いこって。だがお前、最近夫婦仲が冷め切ってるってルカがこぼしてたぜ。贈り物のひとつでもしてやったらどうだ」
まだ絡んでくる酔っ払いをゲンコツで沈めると、ツレに押し付ける。
「うるせえ、一生独り身の奴に言われてたまるか!」
そう言い捨ててジェリックは街の方へと歩き出した。
部屋の掃除をしていたルカレアは、ドアの開く音で夫の帰宅に気づいた。よくバツが悪くなるとどこかへ出掛けてしまう彼の癖は、大人になっても変わらないらしい。
帰ったぞーと玄関から聞こえた声に、適当に返事をしながら向かう。
すると、玄関にはまるで子供のように泥だらけになったジェリックがいた。
「まあ!泥だらけじゃないか!いい年して、一体何してきたんだか」
そんなルカレアの声を遮るように、ジェリックは花を押し付けた。葉っぱだけが少し汚れている白い大輪の花。人工で育てられないため、森にある群生地までとりに行かなければいけない、ルカレアの一番好きな花だ。
「暇だったから知り合いの薬師の手伝いで森に行ったんだ。適当に歩いてたら見つけたから、やるよ」
そう言い捨てて風呂へと走るジェリックの耳は、後ろから見ても真っ赤だ。じっとしていられない旦那に、ふっと笑みがこぼれる。
昔、彼が一端の冒険者だった頃、森やら谷やらを駆け回って死にそうな目に遭っても、いつもこの花を持ち帰ってきたことを思い出す。
「まったく、変わらないねえ」
花を花瓶に挿すと、袖を捲り直してキッチンへと向かう。彼の好物ばかり仕込んである夕食を、完成させるために。
「起立。礼。ありがとうございました」
日直の声が響き、生徒たちが口々にありがとうございましたーと復唱する。そしてすぐにざわざわとした雰囲気の中、部活に行くものや帰宅するもの、バイトに行くもの、遊びに行くものとそれぞれに分かれはじめた。
「健太!お前もカラオケくるか?」
友人の声にそちらを振り向くと、数人の男子がゾロゾロとやってくる。これからみんなでカラオケに行く約束なのだろう。
「いや、わりいけど、今日は見舞いに行く日なんだ」
そう言ってすまんと手を合わせれば、友人たちはこっちこそごめんな!と口々に謝ってくる。いい奴らだ。
俺に気にせずいけよと言って、健太はリュックを背負って早々に教室を後にした。
健太が向かったのは病院。手には土産の漫画とゲームが入っている。学校に持って行くと怒られるので、一度家に寄ってから来た。
慣れたように受付で手続きをして、すぐに病室へと向かう。ガラガラと音を立ててドアが開くと、中は大部屋で数人がこちらをみる。それにも慣れたように挨拶をすると、仕切りをくぐって、一目散に一人の女性の元に歩いていった。
「よ、佳穂。元気か」
「元気よ。また来たの?」
もうっという佳穂は、口では憎まれ口を叩きながらやけに嬉しそうだ。
「足の靭帯切ったくらいで、毎日来なくていいって」
ため息をつく佳穂の隣に腰掛けつつ、健太は土産を机に置いた。
「お前おっちょこちょいだからな。心配だろ。ほら、暇つぶしと学校のプリント」
「……ありがと」
照れくさそうに笑いながら、佳穂はプリントをペラペラと眺める。開け放たれた窓が少し冷たくなってきた風と金木犀の香りを迎え入れる。
「で、最後の大会には出れそうなのか」
「どうかなあ。リハビリによるって先生は言ってたけど、もう部活引退して勉強したらって親は言ってる」
ペラペラとプリントをめくったまま、こちらを見ない佳穂の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「お前はどうしたいんだよ。高校最後の試合だろ」
ぐしゃぐしゃな髪のまま、佳穂は俯く。そして震えた声で呟いた。
「……そりゃあ出たいよ。最後だもん。思いっきり全力で走りたい」
「じゃあ、メソメソしてる場合じゃないな!」
健太はニカッと笑うと、スケジュール帳を取り出す。
「一緒に作戦考えようぜ」
その様子に佳穂は安心したように笑って、もうっとまた言った。
「どっちがいい成績残せるか勝負だからね」