羊飼いの夢の跡

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10/14/2024, 10:53:08 AM

 小さい頃、鳥になりたいと思った。
「頑張れ〜!!千恵美!!」
 友人の声が遠くの方から聞こえる。他にも口々に私の名前を叫ぶ後輩や先輩、顧問の先生の声も聞こえた。
 私の目の前にはまるで壁のようなバーがある。そして手にはポール。風が少し吹いているものの、障りはない。天気もこれ以上ないほどの快晴で、高校最後の大会にふさわしい日だ。
 ポールを握った手を強く握る。唾を吐いて息を整えると、きっと前を見つめ、走り出す。
 練習したように、走ってポールを地面について、飛ぶ。まるで鳥のように、高く高く。もっと高く。
 ぐんぐん空に近づいて、後少しで天にも届きそうなくらいになって重力が私を引き戻す。
 マットの上に落ちた私は、ぼんやりと空を見上げてから起き上がった。周りからは歓声と拍手の雨。
 結果は自己ベストで大会ベスト。嬉しい。それと同時に、飛んだ時の感覚が忘れられなかった。空がぐんぐん近づいてきて、まるで鳥のように高くもっと高くと天をかける。
「千恵美?千恵美!!」
「え?」
 ぼーっとしていたらいつの間にか大会が終わっていた。目の前には大会の最中必死に私の名前を呼んでくれた友人がいる。
「え?じゃないわよ!優勝したお祝いに、どこかに食べに行こうって言ってるの。どこに行きたいとかないの?」
 友人に肩を持たれてグラグラ揺らされて、いよいよ現実に戻ってくる。
「えー、うーん、なんでもいい」
「なんですってー?!」
 そのまましばらく肩を揺らされながら空を見上げる。すっかり茜色に染まった空を黒いカラスが自由に飛んでいた。
 いいなあ。
「千恵美ー!!またぼーっとしてたら置いていくわよ!」
「はいはい」
 友人の声に引き戻されてまた現実を歩き出す。またあの感覚を求めて、私はこれからも空を飛ぶのだろう。

10/14/2024, 5:52:40 AM

 子供のように駆け回って、遠い地平線を目指して旅に出れたらいいのに。
「ジェリック!起きな!」
「いってぇ!」
 布団をひっぺがされ、蹴られてベッドから転がり落ちると、ジェリックは目尻に涙を浮かべながら飛び起きた。
 そんな彼を見下ろして、仁王立ちで深くため息を吐くのは、彼の妻であるルカレアだ。
「ルカ!随分大胆な起こし方じゃないか?」
「あんたが何度言っても起きないからだろう!久々の快晴なんだから、シーツを洗濯するんだ。わかったらいいからとっととどきな!」
 その怒鳴り声に押されるようにして、ジェリックはその場から逃げ出す。たまの休みくらい寝かせてくれよと思いながらも、彼女に頭が上がらないジェリックは口が裂けても言えない。
 若い頃はツヤがあってチャームポイントだった短い金髪をかきあげると、身支度をして家を出る。仕事じゃないにしろ、家にいるのは少し居心地が悪かった。
 トボトボと歩いていると、おっ!と見知った声が聞こえる。
「ジェリックじゃねえか。こんな昼間にどうした」
「うわっ酒臭え」
 がっしりと肩を組んできた禿頭の大男は、幼馴染のリプトンだ。昔は悪さをしてはよく一緒に怒られたものだ。
「なんだ?しけたツラしやがって。とうとう嫁さんに逃げられたのか」
「まだ逃げられてねえ!」
 そう言って腕を叩けば、リプトンはわざとらしくよろける。
「へーへーお熱いこって。だがお前、最近夫婦仲が冷め切ってるってルカがこぼしてたぜ。贈り物のひとつでもしてやったらどうだ」
 まだ絡んでくる酔っ払いをゲンコツで沈めると、ツレに押し付ける。
「うるせえ、一生独り身の奴に言われてたまるか!」
 そう言い捨ててジェリックは街の方へと歩き出した。

 部屋の掃除をしていたルカレアは、ドアの開く音で夫の帰宅に気づいた。よくバツが悪くなるとどこかへ出掛けてしまう彼の癖は、大人になっても変わらないらしい。
 帰ったぞーと玄関から聞こえた声に、適当に返事をしながら向かう。
 すると、玄関にはまるで子供のように泥だらけになったジェリックがいた。
「まあ!泥だらけじゃないか!いい年して、一体何してきたんだか」
 そんなルカレアの声を遮るように、ジェリックは花を押し付けた。葉っぱだけが少し汚れている白い大輪の花。人工で育てられないため、森にある群生地までとりに行かなければいけない、ルカレアの一番好きな花だ。
「暇だったから知り合いの薬師の手伝いで森に行ったんだ。適当に歩いてたら見つけたから、やるよ」
 そう言い捨てて風呂へと走るジェリックの耳は、後ろから見ても真っ赤だ。じっとしていられない旦那に、ふっと笑みがこぼれる。
 昔、彼が一端の冒険者だった頃、森やら谷やらを駆け回って死にそうな目に遭っても、いつもこの花を持ち帰ってきたことを思い出す。
「まったく、変わらないねえ」
 花を花瓶に挿すと、袖を捲り直してキッチンへと向かう。彼の好物ばかり仕込んである夕食を、完成させるために。

10/12/2024, 3:11:42 PM

「起立。礼。ありがとうございました」
 日直の声が響き、生徒たちが口々にありがとうございましたーと復唱する。そしてすぐにざわざわとした雰囲気の中、部活に行くものや帰宅するもの、バイトに行くもの、遊びに行くものとそれぞれに分かれはじめた。
「健太!お前もカラオケくるか?」
 友人の声にそちらを振り向くと、数人の男子がゾロゾロとやってくる。これからみんなでカラオケに行く約束なのだろう。
「いや、わりいけど、今日は見舞いに行く日なんだ」
 そう言ってすまんと手を合わせれば、友人たちはこっちこそごめんな!と口々に謝ってくる。いい奴らだ。
 俺に気にせずいけよと言って、健太はリュックを背負って早々に教室を後にした。
 健太が向かったのは病院。手には土産の漫画とゲームが入っている。学校に持って行くと怒られるので、一度家に寄ってから来た。
 慣れたように受付で手続きをして、すぐに病室へと向かう。ガラガラと音を立ててドアが開くと、中は大部屋で数人がこちらをみる。それにも慣れたように挨拶をすると、仕切りをくぐって、一目散に一人の女性の元に歩いていった。
「よ、佳穂。元気か」
「元気よ。また来たの?」
 もうっという佳穂は、口では憎まれ口を叩きながらやけに嬉しそうだ。
「足の靭帯切ったくらいで、毎日来なくていいって」
 ため息をつく佳穂の隣に腰掛けつつ、健太は土産を机に置いた。
「お前おっちょこちょいだからな。心配だろ。ほら、暇つぶしと学校のプリント」
「……ありがと」
 照れくさそうに笑いながら、佳穂はプリントをペラペラと眺める。開け放たれた窓が少し冷たくなってきた風と金木犀の香りを迎え入れる。
「で、最後の大会には出れそうなのか」
「どうかなあ。リハビリによるって先生は言ってたけど、もう部活引退して勉強したらって親は言ってる」
 ペラペラとプリントをめくったまま、こちらを見ない佳穂の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「お前はどうしたいんだよ。高校最後の試合だろ」
 ぐしゃぐしゃな髪のまま、佳穂は俯く。そして震えた声で呟いた。
「……そりゃあ出たいよ。最後だもん。思いっきり全力で走りたい」
「じゃあ、メソメソしてる場合じゃないな!」
 健太はニカッと笑うと、スケジュール帳を取り出す。
「一緒に作戦考えようぜ」
 その様子に佳穂は安心したように笑って、もうっとまた言った。
「どっちがいい成績残せるか勝負だからね」

10/11/2024, 2:47:11 PM

 風なんか吹いていないのにカーテンが揺れている映像が、不気味な音楽がついてテレビで流れる。優子はそれをみて肩を振るわせる。
 そして隣に座っていた彼氏の肩をバンバンと叩いた。
「辰樹!辰樹!今の見た!?カーテンが、ひとりでに、ひらりって!」
「あーみたみた」
 興奮気味の優子とは裏腹に、辰樹はスマホを片手に生返事を返す。それにほっぺをリスのように膨らませた優子は、ふんといってテレビに向き直った。
 ちょうどテレビでは映るはずのない手が!なんて映像が流れている。それにまた軽く悲鳴をあげると、優子は辰樹の肩に飛び退いた。
「なんでそんな苦手なのに見るんだよ」
 少し鬱陶しそうに言った辰樹に、優子はまたリスのような顔をした。
「別にいいじゃん!好きなの!」
「ふーん。こんな子供騙しが?」
「それがいいんじゃん!」
 やや興奮した優子は今の映像のどこが作り物で、どこが本物で、どんな処理をして作ったのかなど語って聞かせる。
「だからね!さっきのは」
「あー、わかったわかった。俺が悪かったって」
 手を挙げて見せると、辰樹は優子の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
 そして何かにびっくりした顔をして、すぐ近くにあるカーテンを指差す。
「動いてるぞ」
 そういうやいなや、カーテンがひとりでに動き出す。確かに誰も触れていなければ窓も閉まっている。
「嘘!?」
 それに優子が驚きの声をあげれば、辰樹はケラケラと笑う。そして種明かしと言わんばかりに、にゃーと鳴いて一匹の猫が出てきた。
「なんだ……シロじゃん」
 ふさふさの立派な尻尾をピンと伸ばした猫をみて、優子は心底安心した顔をする。
 そんな彼女をチラリとみて、辰樹とシロは互いにウィンクし合う。二人ともよく似たイタズラ小僧の顔をしていた。

10/11/2024, 2:20:04 AM

 少し小高い丘の上からは、小さな村の全てが見えていた。夜が更けてきたからか、灯りがついている家は少なく、数少ない酒場ももうすぐ閉店なのか人が帰っているのが見える。
「あれ、にゃんこ、今日もここにいるんだ」
 ガサガサと音をたてながら、三つ編み姿の少女がやってきた。私はにゃんと声をあげる。
「おまえも好きだね、ここが」
 わしゃわしゃとひとの頭を撫でつつ、少女は隣に腰掛ける。ここで数日に一回顔を合わせる程度の中だが、何となくいつもと雰囲気が違うのがわかる。なんといっても10年一緒にいるのだ。分からないわけもない。
「今日は1人が良かったんだけどなあ」
 三角座りをして、膝に顔をうずくめる。チラリとしか見えなかったが、目元に光る何かが見えた気がした。
「まあでもにゃんこだし、いっか」
 独り言ちる彼女が寂しくないように、にゃんと相槌をうってやる。
「あはは、ほんと、お前はヒトの言葉がわかるように鳴くね」
 またわしゃわしゃと頭を撫でる手に、すりすりと頭を擦り付けた。これで数日で消えてしまった私の匂いもつき直しただろう。
「実はね、私もうすぐこの村を出るの。結婚しなきゃいけないんだって」
 遠くを眺めるように言った少女は、また目に涙を溜める。月の光に照らされた涙はキラキラと光り輝き、とても美しい。
「私が結婚するのはお金持ちの人で、村にお金も入れてくれるんだって。優しいよね、顔を見たこともない人の村にお金なんてあげるなんて」
 おや、めでたい話だと耳をすませていたが、随分ときなくさい話になってきた。香箱座りしていたがゆっくりと立ち上がり、本格的に涙を流しはじめた少女の顔を舐めてやる。
 猫の世も人の世もこんな話ばかりだ。より弱いものが割を食う話ばかり。
「別にね、結婚するのが嫌なわけじゃないの。今よりもいいご飯食べられるかもしれないでしょ?」
 そう笑うと、少女は涙をぐいっと拭う。
「でもね、もうここには帰ってこれないんだと思うと寂しくって。にゃんこともこれでお別れだね」
 少女の涙の理由は本当にそれだけなのだろうか。強く賢いこの子に未来が、閉ざされてしまうのでは?とおもうと実に歯痒い。
 それなら。
『私を連れていくといい。君のことくらいなら守ってやるさ』
 猫らしくにやっと笑った私をみて、少女は目をまん丸くさせた。
「え!猫が喋った!!!」
『私は普通の猫じゃないからね』
 一つにまとめていた二つの尻尾を、ふわりと離して見せる。
『世の中にはまだまだ不思議なことばかりだろう?』
 またニヤリと笑ってみれば、涙を溜めた目で少女はケラケラと笑い出した。
「うん、本当に!びっくりすることばかり!にゃんこ、名前は?」
『いっぱいありすぎるからね。君が好きにつけるといい』
「んー、じゃあ、何にしようかなあ」
 ケラケラと笑い合った一匹の猫と少女は、月明かりの中、楽しげに帰路へとついた。

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