羊飼いの夢の跡

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 子供のように駆け回って、遠い地平線を目指して旅に出れたらいいのに。
「ジェリック!起きな!」
「いってぇ!」
 布団をひっぺがされ、蹴られてベッドから転がり落ちると、ジェリックは目尻に涙を浮かべながら飛び起きた。
 そんな彼を見下ろして、仁王立ちで深くため息を吐くのは、彼の妻であるルカレアだ。
「ルカ!随分大胆な起こし方じゃないか?」
「あんたが何度言っても起きないからだろう!久々の快晴なんだから、シーツを洗濯するんだ。わかったらいいからとっととどきな!」
 その怒鳴り声に押されるようにして、ジェリックはその場から逃げ出す。たまの休みくらい寝かせてくれよと思いながらも、彼女に頭が上がらないジェリックは口が裂けても言えない。
 若い頃はツヤがあってチャームポイントだった短い金髪をかきあげると、身支度をして家を出る。仕事じゃないにしろ、家にいるのは少し居心地が悪かった。
 トボトボと歩いていると、おっ!と見知った声が聞こえる。
「ジェリックじゃねえか。こんな昼間にどうした」
「うわっ酒臭え」
 がっしりと肩を組んできた禿頭の大男は、幼馴染のリプトンだ。昔は悪さをしてはよく一緒に怒られたものだ。
「なんだ?しけたツラしやがって。とうとう嫁さんに逃げられたのか」
「まだ逃げられてねえ!」
 そう言って腕を叩けば、リプトンはわざとらしくよろける。
「へーへーお熱いこって。だがお前、最近夫婦仲が冷め切ってるってルカがこぼしてたぜ。贈り物のひとつでもしてやったらどうだ」
 まだ絡んでくる酔っ払いをゲンコツで沈めると、ツレに押し付ける。
「うるせえ、一生独り身の奴に言われてたまるか!」
 そう言い捨ててジェリックは街の方へと歩き出した。

 部屋の掃除をしていたルカレアは、ドアの開く音で夫の帰宅に気づいた。よくバツが悪くなるとどこかへ出掛けてしまう彼の癖は、大人になっても変わらないらしい。
 帰ったぞーと玄関から聞こえた声に、適当に返事をしながら向かう。
 すると、玄関にはまるで子供のように泥だらけになったジェリックがいた。
「まあ!泥だらけじゃないか!いい年して、一体何してきたんだか」
 そんなルカレアの声を遮るように、ジェリックは花を押し付けた。葉っぱだけが少し汚れている白い大輪の花。人工で育てられないため、森にある群生地までとりに行かなければいけない、ルカレアの一番好きな花だ。
「暇だったから知り合いの薬師の手伝いで森に行ったんだ。適当に歩いてたら見つけたから、やるよ」
 そう言い捨てて風呂へと走るジェリックの耳は、後ろから見ても真っ赤だ。じっとしていられない旦那に、ふっと笑みがこぼれる。
 昔、彼が一端の冒険者だった頃、森やら谷やらを駆け回って死にそうな目に遭っても、いつもこの花を持ち帰ってきたことを思い出す。
「まったく、変わらないねえ」
 花を花瓶に挿すと、袖を捲り直してキッチンへと向かう。彼の好物ばかり仕込んである夕食を、完成させるために。

10/14/2024, 5:52:40 AM