なのか

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12/2/2023, 7:32:25 PM

「夜明け?」
七宮さんはオウム返しして首を傾げた。
「はい」
冷めないうちにと牛丼を食べ進める。夜のデートとして牛丼屋が適切かは分からないけれど、七宮さんの発案なので特に言及はしない。
「革命の夜明け的な?」
「違います。比喩的なものではなく、夜明けそのものです」
「へー。ロマンチストだねぇ」
七宮さんはにやりと笑った。
聞かれたから答えたのに。
「夜明けを見るのが好きなの?」
「そうです」
「好きになったきっかけは?」
「牛丼、冷めますよ」
七宮さんはそれ以上追及せずに「そうだね」と相槌を打って牛丼を食べ始めた。
「小六の冬休みの時に、夜更かししてゲームをしてた時があって」
あの時はただ、夜更かししてするゲームが楽しいだけだった。親の目を盗んで、布団に潜ってやっているのが妙に可笑しくて、そのままのテンションで何となく外に出てみただけだった。
「別の世界に来てしまったような感じでした」
東の空から始まりはやってくる。寒色のグラデーションが色鮮やかで、そこに柔らかなオレンジが混ざって朝が顔を覗かせる。冷めきって止まっていた何もかもが、発条の巻かれたオルゴールみたいに動き出す。静けさを鳥の鳴き声が破って、正常な一日が始まる。
「感動で、その時は言葉が出ませんでした。朝食の席で親に一生懸命話したけれど、やっぱり上手く言葉に出来なくて」
今も変わらないなと思う。
七宮さんは相槌を打つだけで、何も言わなかった。その後は何も話さず、黙々と牛丼を食べ終えて会計を済ませた。
「夜明けを見に行こう」
助手席に座ってシートベルトを引っ張っていた時だった。ハンドルを握って、フロントガラスを真っ直ぐに見据える七宮さんがそう言った。
「明日、普通に大学ですけど?」
「いいの。私は今、君と一緒に夜明けが見たいと思った。だから見に行く」
こっちも普通に講義があるのだけれど、ハンドルを握っているのは七宮さんだ。どちらにせよ選択権はない。
夜明けまではかなりの時間があったので、カラオケだったりネットカフェだったりで時間をつぶした。この時間で仮眠を取ればと思ったけれど「小六の君とおんなじがいいの」と却下された。
程よく時間は流れて、夜明けまであと少しとなった。アプリの音声案内に従って道を進み、辿り着いたのは港だった。近くにあった公園の駐車場に車を停めて、海を見渡せるスポットで柵にもたれかかる。
「寒いねぇ」
海風が頬をびりびりと撫でていく。眠気と寒さが入り交じって、身体がふわふわとしていた。
やがて、夜明けは始まった。途切れがちな雲が少し漂っていたけれど、彼ら彼女らが流されていくのも見ていて楽しかった。波の音が不規則に耳を打つのは、隣にいる七宮さんがじっと押し黙っているのを意識しているからだろうか。目の前で起こる劇的な変化の奔流に流されて、言葉は塵となって消えた。
「ねぇ、キスしよ」
「ここでですか?」
「今、ここで」
七宮さんの声は鋭かった。丹念に研がれた刀を、喉元に添えられた気分だ。
「言葉に出来ないの。だから、もう触れることでしか私たちは分かり合えない」
そう言って、七宮さんは目を閉じた。考えることを止めて、キスをした。
眠気と寒さで鈍っている身体に、触れた唇の確かな熱を感じる。磨り硝子越しの世界に、甘やかで柔らかい何かがじんわりと広がっていく。
「何か分かりました?」
恥ずかしくなって、冗談が口をついてでる。
「私ね、生きてて良かった、って本気で思ったの初めてかも」
「そうですか」
それからしばらくの間は、水面を優雅に飛ぶ水鳥達を眺めた。頬に刺さる海風と繋がれた手の温かさだけが、ここが現実であることを確かにしていた。

12/1/2023, 3:54:58 PM

へんてこな講義を取ってしまったと後悔しても、単位は必要なので後戻りは出来なかった。
先々週は引き寄せの法則について学び、先週はテスラとエジソンの電力を巡る争いについて学んだ。今週は何が飛び出るのだろうと思ったら、パーソナルスペースについてだった。
講義の半ば、恋人がいない人という条件の元、教授に指名されて黒板の前へと出ていく。自分の他にもう一人、大原という女学生が立候補して前に出てきた。哀れな単位難民なのだろう。
大原さんと三メートル程の距離で向かい合うよう指示される。向かい合う二人をよそに教授はパーソナルスペースの説明を続けた。簡単に言うと、他者に近づかれると不快になるスペースのことらしい。
「五十センチずつですか?」
教授に確認する。大原さんに少しずつ近づいていき、不快だと言われるまでそれを繰り返すことで、パーソナルスペースの大きさを測ろうということらしい。酷い話だ。
まず一歩目。
「大丈夫です」
二歩目。
「大丈夫です」
アクションを起こす度に無責任にざわめく教室を無視しながら、三、四歩目をクリアする。
五歩目はかなり勇気が必要だった。大原さんとの距離は小さい前へならえ程度に縮まり、どちらかのバランスが前へ傾けばもつれ合って倒れてしまいそうだった。
「大丈夫です」
教室から歓声が上がる。完全に見せ物気分だ。
「あの、普通にこっちが照れるんですけど」
大原さんの視線から逃れるように身を捩らせて教授に申し出たけれど、男側の意見は聞き入れないということで続行になった。実に時代錯誤だ。
五十センチ縮めると触れてしまうので、もう半分だけ前に出ることになった。靴一足分を目安に慎重に前へ踏み出す。
自然と息が詰まるような距離感。黒板の方へ視線をずらして空気を求める。シャンプーなのか香水なのか分からないけれど、微かに爽やかな香りがした。
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃないです!」
両手を上げてバックステップの要領で後退りする。教室は様々な種類の笑い声がこだまして、教授の拍手がトリを飾った。
その後は、肩が触れてしまいそうな距離で横並びにさせられて、正面と横ではパーソナルスペースに差が出るのだと説明がされた。
災難な講義だったけれど、終わってしまえば諦めもつく。周りに何かを言われる前にと思い、さっと机の上を片して教室を後にする。
「あの、すみませーん」
とりあえずご飯にしようと食堂への道を歩いていると、後ろから声をかけられる。さっきの講義で何度も聞いたので、声の主には覚えがあった。
振り返ると、大原さんが息を切らせて近づいてくるところだった。
「あの、食堂でご飯食べるんですか?」
「そうですけど」
「よかった。よければ、一緒してもいいですか?」
何がよかったのかは分からないけれど、自分のやることは特に変わらないので了承した。
「講義の出席日数足りてないの?」
食堂で並んでいる間、興味本位で聞いてみる。
「どうしてですか?」
「いや、あんなのに立候補してたから。余程評価が足りてないのかと」
よもぎ色のトレイを二人分取って、一枚を大原さんへと流す。大原さんは小さく頭を下げて、賞状みたいに恭しく受け取った。
「あー、そっか。そうですね」
ゆるやかな空気の返事は、宙を彷徨って消えた。
「大変だね、お互い」
フルーツとサラダ、ネギトロ丼を載っけて会計を済ませる。中心は幾つかのグループが大挙して騒がしかったので、人の寄り付かない端っこのカウンター席に二人並んで座る。
「そうですね。これから大変そうです」
大変そうだという言葉のわりに、大原さんは微笑みを絶やさない。
いただきますと手を合わせてから、しばらくは黙々とご飯を頬張る。
「そういえば、講義の時『大丈夫じゃないです』とか言ってごめん。こっちも頑張ってたから出ちゃっただけで。別に嫌だったわけじゃないです」
隣に存在を感じるのが面映ゆくて、そっぽを向いてしまう。
「私の方こそ、ごめんなさい。面白くって、つい頑張っちゃいました」
くすぐったい声だった。
Tシャツの裾を引っ張られて、彼女の方を見やる。こちら側にぐっと彼女の身体が傾けられて、あの時と同じような香りがした。
「今も、結構頑張ってるんですよ?」
何も理解していないのに「なるほど?」と相槌を打った。触れてはない。まだ、触れてはいないだけの距離で、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。

11/30/2023, 4:16:53 PM

何かに夢中になったりすることがあまりない人間だった。出来る範囲で出来ることをやって、社会規範から外れない場所で適度な楽しいを享受する。
「本当に辞めるの?」
「辞めるんじゃない、辞めたんだ。退部届けは受理されてる」
昼休み、文芸部の部長から図書室に呼び出された。退部の件についてだった。
「文芸誌はどうするの? 」
「どうするって言われてもな……。既に部外者だし」
「それは無責任じゃない?」
責任か。部活動にはどれほどの責任が伴うのだろう。
「辞められると、困るんだけど」
「作品が集まらないからか?」
「そう」
「あんなに人がいるのにか」
部長は下を向いた。言い返す言葉は持ち合わせていないだろう。
「貴方が一番、作品を出していたのは認める」
「事実だ。認められるまでもなく」
「そうね、事実」
部長はスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「そんなに、何かに一生懸命になるのが嫌?」
部長が打ち出した方針のことだ。文芸誌にもコンクールがあり、そこで優秀賞を取りたいらしい。目的があるのは素晴らしいことだが。
「誰しもが、評価を欲している訳じゃない。みんなとわいわいやれるのが楽しくて所属してたやつらを排除したのは、あんただろ」
「排除だなんて、そんなつもりなかった」
ここらが踏ん張りどころだ。
「実際、尊敬するよ。何かに打ち込むのは熱量が要る。ただ、それについていけるやつとそうでないはいるだろ。それだけだよ」
「貴方はついてきてくれると思ってた」
「そうか。あてが外れたな」
訪れた沈黙に、今のうちにとでも言わんばかりに刺さる好奇の視線。逃げ出してしまえばいいと思っているのに、自分でも不思議なくらい意固地になっている。
「じゃあなんで、作品を出し続けたの? 貴方にも、熱はあったんじゃない?」
どうだろう。文芸部はそれなりに居心地の良い場所だったし、所属するからにはとやるべきことはやった。ただ、それは自分にとって必ずしも必要なことではなかったのも確かだ。
「私も、言いすぎたなって反省はしてる」
静観していた司書教諭がカウンターから出てくるのが、遠くにぼやけて見えた。
「貴方だけでも、戻ってきてほしい」
「他の奴らはどうでもいいのか?」
何故かその瞬間、明確な線引きが二人の間にされたように思う。一度出てきてしまえば、言葉は止まらなかった。
「俺が作品を出せる人間だから、引き留めたいだけだろ? あんたは反省なんかしてない。他の奴らにも、同じようにしてやったか?」
「それは、今からやるつもりだった」
「そうか。じゃあ頑張るんだな」
堪えきれなかったのは向こうも同じだった。部長は既に言葉を持たず、溢れる気持ちが涙になって流れていた。
「泣くのは、ずるいだろ」
泣いてほしくて話したんじゃない。けれど、何のためかと問われても答えはなかった。
事情を知らないのにざわつく外野も、彼女の肩を優しく擦る司書教諭も、馬鹿みたいに鳴り響く予鈴のチャイムも。世界の何もかもが煩わしかった。
言うべきことは言ったし、聞くべきことは聞いた。聞きたかった言葉を彼女はくれなかった。互いに押し付けあった理想は、言葉に切り刻まれて惨たらしく死んだ。
窓の外のカラスが、嘲笑うように高く鳴いた。

11/29/2023, 7:03:39 PM

「乾燥で本の頁が上手く捲れなかった時」
それだけ言い放って、彼女は返却本を棚へ並べる作業に戻った。
「いまいち共感出来ないな」
「じゃああんたは? どんな時に冬だなって思う?」
どんな時に冬だなと思うだろう。
「コンビニの肉まんが食べたくなった時、かな」
彼女はハードカバーの小説を棚に戻しながら「なにそれ」と笑った。
「でも、嫌いじゃない」
「そうですか」
日焼けして装丁の色が薄くなった小説を、ラベルを頼りに棚へと並べる。
「食べ物じゃないけど、暖かいココアは冬って感じするかも」
ブラックコーヒーを好みそうなイメージが勝手にある。
「今、似合わないって思ったでしょ」
「まさか」
似合わないとは思っていない。意外だとは思ったけれど。
他愛もないことを言い合っている内に作業は終了した。図書委員も楽な仕事じゃない。
返却本を入れていたケースを所定の位置へとかたづけて、ぐっと一つ背伸びをする。どこかの骨が愉快な音を立てた。
「あんた、これから暇?」
「あとは帰るだけ」
「じゃあさ、コンビニ行こうよ。言ってるうちに食べたくなってきた」
財布を確認する。買い食いに付き合うだけの資金はありそうだ。
作業が終わったことを司書教諭へと報告して図書室を後にする。外に出ると、ちらほらと星が顔を出していた。
朝は生徒でごった返しているコンビニも、下校時刻にはわりと空いていた。ホットの緑茶を手に取ってレジに向かい、一つしかなかった肉まんの代わりにピザまんを選んだ。
少し遅れて、肉まんとココアを装備した彼女がイートインスペースへと入ってきた。
「食べ合わせ悪くない?」
「いいの。こうしたいと思ったから」
意志の強いことだ。
「ねぇ、半分こして食べない?」
冷気に晒されて湯気立っている肉まんが、半分に割られてこちらに差し出された。
「急になんで?」
「あんた、私に遠慮したでしょ」
「してないよ。別にどっちでもよかった」
食べたいと思っている人間に食べられた方が、肉まんもましだろう。
「じゃあ、ピザまんも食べたいから、半分交換しよ」
「じゃあ、って……」
譲る気はなさそうなので大人しくピザまんを半分にして渡す。圧力に屈したトレードだ。先進国同士なら国際問題に発展するだろう。
「あんたは、今年サンタさんに何頼むの?」
口に運びかけた肉まんを落としてしまうところだった。隣を見やると、平然とした顔でピザまんを頬張っている。
「冗談」
分かりづらい冗談だ。
「サンタはともかく、欲しいものとかないの?」
「特にないな」
「そう、幸せなのね」
至って普通だよと言い返したかったけれど、口いっぱいにチーズの幸せな味が広がっていたのでやめておいた。
「そっちは? 欲しいものあるの?」
「欲しいもの、はない」
「含みのある言い方だね」
緑茶にそっと口をつける。快適に飲める温度まではまだ時間がかかりそうだ。
「イルミネーション、隣町でやってるじゃない? 毎年。あれ、観に行きたい」
「そっか」
脇腹をつつかれた。
「やり直し」
「は?」
「は? じゃなくて。返事、やり直して」
まっすぐ窓の外を見つめたまま、彼女の表情は伺い知れない。
「一緒に、行く?」
弾けては消える言葉達の中で、唯一残ったのがこれだった。
「ぎりぎりだけど、合格」
満足気に、彼女は合格を言い渡した。冬は始まったばかりで、約束はまだまだ遠い。
適温になったはずの緑茶の味が、何故か感じられなかった。

11/28/2023, 9:30:09 PM

いつの間にか、帰り道を共有するようになった。正門から坂道をのぼって横断歩道を渡るまでの五分に満たない時間。
「フウね、いつか韓国に住みたい」
「韓国好きなの?」
「好き。韓国ってね……」
大抵はこんな感じで、彼女が好きなものや興味のあることについて話し、それに相槌を打つ。たまに相談事を持ちかけられ、誰にでも出来るようなアドバイスを送ったりすることもあった。
「……それでね、韓国語の本買いに行きたいんだけど、一緒に行こ?」
歩行者信号が青に切り替わるのを待っている時だった。いつもはここを渡ってまた明日と手を振るのだけれど、丁度欲しい本もある。
「いいよ。付き合う」
信号が切り替わって渡ろうとすると、袖を掴まれた。
「そっちじゃなくて、ショッピングモールの方に行きたい」
ショッピングモールは帰り道とは真反対にある。ここまで歩いてきたのだから、横断歩道を渡った先にあるレンタルショップの方に行くのかと思っていた。
「沢山あった方が見てて楽しいから」
踵を返してモールへと向かう。道中は彼女に流されるまま寄り道を繰り返して、十五分で着くところを倍近くの時間がかかった。
モール内の書店に着いてからは、新作小説のコーナーをさっと見渡した後に語学書のコーナーへと移った。表紙のイラストが可愛いとかカバーの手触りが良いとか、内容よりはその本自体を好きになれるかどうかを重視する選び方が、とても彼女らしい感じがした。
「帰り道って、なんで短いんだろ」
無事に買い物を終えて、いつもの帰り道まで戻ってきた時だった。
「歩いても歩いても前に進まない道があったらいいのに」
「怖い話だ」
「怪談は無理。でもお化けと仲良くなってみたい。数学のテスト中にこっそり答え教えてもらう」
「悪い話だ」
折悪しく、互いの帰路を分ける横断歩道に捕まってしまう。
「寄り道したらいいんじゃない?」
歩行者信号をじっと見つめる。
「今日みたいに。」
続きはあった。けれど言葉は上手く出てきてくれなかった。歯科医院の看板のキャラクターが自分を見ている気がした。
信号が青に変わる。二人は止まったままで、左折を試みるドライバーが訝しげな視線を投げかける。
「する。寄り道、たくさんする」
唸りを上げて車が左折していき、歩行者信号が赤に切り替わる。
近くにいるのに遠回りして。帰り道は、まだ終わりそうになかった。

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