なのか

Open App
11/18/2024, 7:57:56 PM

深夜の道を工事用ライトが煌々と照らしている。本来三車線あるはずのところが一車線に区切られて、並んだコーンの内側で誘導灯を振る人が見える。段差による衝撃を緩和するために、アクセルを踏む足首を柔らかく固定してそこを通り過ぎた。
「ここ、いつまでやってるんだろ」
助手席に座っているシオリがそう呟いた。投げかけた疑問というよりは、隙間を埋めるための独白のようだった。
「年末までには終わるんじゃない?」
「だといいね」
工期の話などどうでもいいというのは、おそらく互いに分かっていた。話せそうなことがあったから食いついただけだ。車内で沈黙が訪れたときの癖で、彼女はシートを軽く軋ませた。
「工事の話じゃないんだけど」
「なに?」
右折ラインに入ってウインカーを灯す。規則的な音が空気を幾分か柔らかくした。
「町って、想像してるよりずっと変わってるよね」
ここもそうなんだけどさ。そう前置きをしてシオリは続ける。
「私たちはずっと住んでいるはずなんだけど、十年前とか写真みると全然違うんだろうなって」
右折をしながら、頭の片隅にその言葉を捉える。十年前の故郷の姿は、たしかに思い浮かばなかった。
「びっくりマーケットってあったよね。たしか」
何故か印象に残っているのは安直だったせいだろうか。近所にあった、つまりはもう潰れてなくなったスーパーマーケットの名前を、ふと思い出した。
返事はなかった。視界の端でその姿を見てみると、なにごとかを考えているようだった。
「そんなのあったっけ?」
どうやら記憶の底からびっくりマーケットの存在を思い起こしていたようだ。残念ながら彼女は覚えていないらしい。
「どこにあった?」
「近所の、今はマックになってるところ」
調べてみてと促すと、彼女はスマホを起動させた。
「あー、見たことあるかも」
画面の中に抽出された画像を見てから、彼女は頷いた。
そこからは町にあった懐かしい建物や、新しく整備される道路の話だったりをした。少しだけ寂しさを感じたのは、公園から遊具が撤去された話をしたときだった。
「今見てるものも、変わってくんだろうね」
彼女は窓の外に視線を向けていた。その瞳に映るどれだけのものが、十年後も変わらずにあるのだろうか。
「十年後は、他の車に乗ってるのかな」
「さぁ、出来れるだけ長く乗りたいではあるけど」
摩擦音が聞こえる。彼女がシートを撫でている音だった。しばらく撫でたあと、その手はシフトレバーに置かれた自分の手へと重ねられた。
さみしいね。彼女はそう締めくくった。
工事用ライトの光も町の建物も、この時間だっていつかは語られる側になるのだ。
二人分の寂しさをのせて車は走る、誰かの思い出を塗り固めた道路の上を。

11/17/2024, 5:39:18 PM

「あ、そう」
気のない返事だった。薄暗い部屋の中、『ユウヤミ』の瞳に他人は映らない。その視線は常にゲーム画面のキャラクターに注がれている。手元はレバーやボタンを操作するので忙しいらしく、常人には理解できない速度でシステムに入力が行われていく。
「なんか言うことないの?」
「向こうでも元気でね?」
微かな沈黙の後に彼女はそう言った。
冬になったら転校する。親からそう告げられたのは一昨日のことだった。それはいつものことで、つまりは父の転勤に合わせて家族ごと引っ越すのだ。次は秋田県に移るらしい。
オンライン対戦は終了して、キャラの決めポーズと一緒にwinの文字が現れる。
「……じゃあ、それだけだから」
伝えたいことは言った。
「今日はやってかないの?」
画面から視線は逸らさず、彼女は指だけでコントローラーを示した。
「じゃあ、ちょっとだけ」
彼女の隣に座って、コントローラーを握る。彼女に勝ったことは、一度もない。
ゲームはいつも一方的だった。キャラを変えても練習をしても、『ユウヤミ』には敵わない。結局、熱量が違うのだろう。
「いつも思ってたんだけど」
「なに?」
「いや、どうして対戦してくれるんだろうなと思って」
「それは」的確にコンボを決めながら彼女は続ける。「実力差があるから?」
防戦だけ、今この時間を伸ばすだけのためにコマンドを入力していく。
「まぁ、そうだね」
「君は好きじゃないの? 格ゲー」
彼女は正確にアドバンテージを積み上げ、こちらは逃げ惑うだけの時間が続く。
「普通くらいだよ、多分だけど」
「あ、そう」
それからはただゲームをした。もちろん、負けた。
「じゃあ、帰るから」
コントローラーを置く。立ち上がりかけたところで、「待って」と声をかけられた。初めてのパターンだった。
「あたしは、結構楽しかったよ。弱かったけどね」
「そっか」
視線は相変わらず、画面のキャラクターに向けられている。
「うん。それと、君のこと好きだよ。弱いけど」
時が止まったかと思った。レバーとボタンの入力音が、やけに大きく聞こえた。
「こういうとき、どうすればいいか分かんないな」
対応するためのコマンドは、自分の中にはなかった。
「キス、する? 向こういったら、出来ないし」
彼女がこちらを見つめた。何回だって見てきたはずの顔に、初めての印象を受ける。思えば二人のやりとりは、ずっと画面越しだった。緩慢な動作で、互いに縋り付くように不格好なキスをした。画面の中でキャラが身体を揺らしていた。
「じゃあ、またね」
「うん、またね」
引っ張られて少し乱れた服を整えて、彼女の部屋を後にした。
バイトを始めよう。向こうでもゲームが出来るよう、コントローラーを買うために。ふとそう思った。
冬になったら、転校する。

10/25/2024, 9:28:30 PM

フリをしてると終わってしまうものって、なーんだ。
それは英語の授業中だった。関係代名詞を選別する単調な問題をこなしていると、隣から一枚の付箋紙が視界に侵入してきた。ちらと視線を送ると、逢坂さんは真剣に問題に取り組むポーズを取っていた。あまりこういうことをするタイプだとは思っていなかったので、少し驚いた。
付箋紙を教師の目から届かないところに貼り直して、問題を考えてみる。
フリをするでまず連想したのは、出題者の彼女だった。今まさに問題を解くフリをしている。それで何かが終わるわけではないだろうから、関係はないだろうけれど。次に出てきたのは、ラブコメによくある恋人のフリをする展開だった。これについては、ここから恋がむしろ始まるのだし、そもそも関連性は低いだろう。
気がつくと関係代名詞のプリントは半分くらい終了している。
あまり良いひらめきを得られずにいると、見かねたのか隣から追加の付箋紙が来た。答えは出た? と可愛らしいうさぎ付きで書かれている。余白部分に、もう少し待って。とシャーペンで書いてから隣へ返す。自分の字と比べると、逢坂さんのそれは丸くて柔らかい印象を受けた。
プリントと同時進行ではどっちつかずでむず痒かったので、先にプリントを終わらせることにした。先行詞が人以外のときはほとんどの場合whichを使用するので有難い。問題は先行詞が人の場合だ。whoかthatを使うわけだけれど、どちらを使えばいいのかいまいちはっきりしない。
そこまで考えたところで、先行詞を見てひらめいた。一度意識を切るとやってくるのが、ひらめきの何ともツンデレなところだ。
プリントの下に隠していた付箋紙の余白に、友達。と書き足してから隣へとそれとなく渡した。キャップ付きのペン特有の間抜けな音が隣から鳴って、耳に引っかかる摩擦音が続けてした。返却(あるいは贈与)された付箋紙には、goodとエクスクラメーション三つが書かれていて、大きな丸がつけられていた。
一仕事終わった気分で一つ息をつくと、机の方にまた付箋紙が貼られた。
次はそっちの番ね。楽しみにしてる。
新たに追加された付箋紙には、丸くて柔らかい字でそう書かれていた。実はもう考えついていた。ひらめきはツンデレなのだ。
息を吹くと膨らむ英単語って、なーんだ。
問題を書いてから、彼女の机に貼り直す。思っていたより早かったのだろう、この授業中で初めて目が合った。考えてみれば彼女が何者なのかよく知らないんだなと、その瞳を見たとき、ふと思った。

8/17/2024, 3:00:52 AM

「ホコリって聞くとどんなイメージ?」
ベランダ側に面した窓を掃除している時のことだった。後ろから聞こえる、クラスメイトの談笑と掃除の音が混ざりあった教室の中で、その声はやけに透明に聞こえた気がした。
昼休みに声の体積が大きいグループの一人で、つまり自分とは接点のないタイプの人間だった。ただ、いつも聞こえてくる声より柔らかい感覚があった。
「あんたに話しかけてるんだけど?」
近くに人はいなかった。ちらと柏木の方を見やると、洗剤で不思議な模様を描いている窓ガラスを、折り目正しく折られた新聞紙で丁寧に拭いていた。片手がジャージのポケットに押し込まれているのが、知りもしないのにらしいなと思った。
「この状況なら、埃しか思い浮かばないかな」
「どっちの?」
相手には音しか聞こえていないのだった。
「叩けば出てくる方の」
「……ま、そうだよね」
窓を拭く音が大きくなった気がした。
使っている新聞紙が役目を十分に果たしたので(本意ではないかもしれないけれど)、近くのゴミ袋に押し込んでから新しい新聞紙を拝借する。一度広げてくしゃくしゃにしてから、作業へと戻る。
「さっきから、なんでぐしゃってしてんの?」
「こっちの方が掃除としてはいいらしいよ」
「……先に言ってよ」
新聞紙の破れる音と、くしゃくしゃにする音が隣から聞こえる。
「何か言うことあるの?」
上の窓を拭き終わって、下の掃除にとりかかる。洗剤を視線で探していると、柏木がポケットから出した左手で「そっち」と指さした。
「ありがと、助かる」
灯台下暗し、しゃがみこんで足元の洗剤を拾い、そのままの体勢で窓に吹きかける。
「……話、あるっちゃある」
「あるんだ。怖いな」
衣擦れの音、遅れてやってくる気配と柔らかな香り。反射的に視線を向けると切れ長の瞳とぶつかる。
どうしていいか分からなかったので、周期的な監視カメラのように首を振って窓を見る。何が可笑しいのだろう、隣から吐息のような笑みが聞こえた。
「あんたさ、奥井たちにノート貸してたでしょ?」
洗剤を渡すと、柏木はお礼を言ってから受け取り、窓に吹きかけた。
「ノート、貸してたね」
テストの前、提出物の前になると奥井たちが借りに来るのだ。彼女の所属するグループの人間だったはずだけれど、案外冷たい呼び方をする。
「あれ、私も見させてもらってたから、お礼を言っときたくて、」
言葉は途切れたけれど、空気はまだ繋がっていた。不思議なもので、この数分でなんとなく分かるようになっていた。
「だから、ありがと」
「どういたしまして」
言葉にしてしまえばどうということはない話だった。大したことをしている訳ではないので、これくらいが丁度いいのだろう。
『真夏ー! そっちもう終わったー?』
がやがやとした教室の中心から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。
「もう少しだけかかるかもー!」
『終わったらこっち来てー!』
返事の代わりに彼女はひらひらと手を振った。
「残りやっとくから、行ってきてもいいよ」
「いい。もう少しこっちやる」
窓拭きが好きなわけでは、どうやらなさそうだ。
「連絡先、交換しない?」
「いいよ」
「いいんだ」
スマホが手元にないので、電話番号を教えた。小さく復唱する姿が、しゃべるぬいぐるみの玩具のようだった。
「じゃ、後でかけるね」
そう言って、彼女は所属するグループの方へ戻っていった。立って背伸びをして、掃除し終わった窓を見やる。綺麗になった窓に対してやけに満足感のある自分がいることに、胸をすくような驚きを覚えた。

6/18/2024, 7:01:08 PM

幼い頃によく遊んでいた公園があって、そこの滑り台は赤い筒状のやつだった。そこまで長さはなかったけれど、乱反射する光が赤くて歪んだ世界を作り出して、滑り終えた後は冒険から戻ってきたかのような感覚になったのを、今でも覚えている。
「公園って、教会の隣にあるやつ?」
北川さんは向かい合って座る席にトレイを置いて、一つ背伸びをした。
「そうだよ」
ここら辺で公園といえば、大抵の場合はそこを指す。地元の人間ならば、一度は遊びに連れて行ってもらったことがあるような公園だ。
「へぇ、そこで出会ったんだ」
「出会ったとか、そういうのじゃない。一時期遊んでただけ」
「でも、未だに覚えてる」
何が可笑しいのだろう、北川さんはにやりと笑ってから席に座り、流れ作業でトレイの上にポテトを散りばめた。人とシェアする時の常套手段らしいけれど、未だに慣れない。
「一時期とはいえ、結構遊んでたからね」
冷えて結露しているコーラを一口飲む。せっかくのコーラは、紙ストローのおかげで魅力が半減していた。
「名前は?」
「アリス」
「……すごい名前だね」
北川さんはちょっと珍しいくらいの表情をした。一昔前ならその反応も頷けるけれど、今どきだとそこまで不思議な名前でもないだろう。それに、
「あだ名だけどね」
別に彼女が金髪だったとか、英語を話したとかフリルを着ていたとかじゃない。
「滑り台を滑った後に、『アリスみたい』って言ったんだよ」
幼い自分はその意図するところがすぐには分からなかった。その意味を知ったのは、話を聞いた母がレンタルしてくれた『不思議の国のアリス』を観た時だった。
「『不思議の国のアリス』観たことある?」
「あるけど」
「初めのところ、なんとなくでいいから覚えてる?」
北川さんは視線を宙に彷徨わせた。塩でざらついた指を紙ナプキンで拭きながら、返答を待つ。
「喋る兎を追いかけて、穴に落ちちゃうんだよね?」
「そう。彼女は滑り台をそのシーンに例えたんだと思う」
「アリスちゃん、ね」
黙ってそっぽを向く。北川さんは気にせずにポテトに手を伸ばした。
「まぁ、彼女は休みの日にしかいなかったし、すぐに遊ばなくなったんだけどね」
「そっか」
「そっか、って……」
話をしろとせがまれたから話をしたのに、薄い反応だった。
「とにかく、これで初恋の話は終わり。次は北川さんの番ね」
「……、しなくちゃダメ?」
「別に義務はないよ。少しがっかりするくらいかな」
北川さんは薄く間延びしたため息を吐いた。光のよく射し込むよう計算された窓から、彼女に陽光が当たる。
「私のお母さんね、ヴァイオリンが弾けるんだけど」
「がっかりした」
「これから、びっくりするよ」
不敵に笑って、北川さんはポテトでこちらを指した。行儀はよろしくないけれど、絵になる仕草だった。
「賛美歌のいくつかは、ヴァイオリンで演奏するんだよ」
彼女はそれだけ言って、いたずらっぽく笑った。
どうやら、喋る兎の代わりにアリス自身が案内してくれるらしい。この不思議な感情が夢でないことを、今はただ願った。

Next