「ホコリって聞くとどんなイメージ?」
ベランダ側に面した窓を掃除している時のことだった。後ろから聞こえる、クラスメイトの談笑と掃除の音が混ざりあった教室の中で、その声はやけに透明に聞こえた気がした。
昼休みに声の体積が大きいグループの一人で、つまり自分とは接点のないタイプの人間だった。ただ、いつも聞こえてくる声より柔らかい感覚があった。
「あんたに話しかけてるんだけど?」
近くに人はいなかった。ちらと柏木の方を見やると、洗剤で不思議な模様を描いている窓ガラスを、折り目正しく折られた新聞紙で丁寧に拭いていた。片手がジャージのポケットに押し込まれているのが、知りもしないのにらしいなと思った。
「この状況なら、埃しか思い浮かばないかな」
「どっちの?」
相手には音しか聞こえていないのだった。
「叩けば出てくる方の」
「……ま、そうだよね」
窓を拭く音が大きくなった気がした。
使っている新聞紙が役目を十分に果たしたので(本意ではないかもしれないけれど)、近くのゴミ袋に押し込んでから新しい新聞紙を拝借する。一度広げてくしゃくしゃにしてから、作業へと戻る。
「さっきから、なんでぐしゃってしてんの?」
「こっちの方が掃除としてはいいらしいよ」
「……先に言ってよ」
新聞紙の破れる音と、くしゃくしゃにする音が隣から聞こえる。
「何か言うことあるの?」
上の窓を拭き終わって、下の掃除にとりかかる。洗剤を視線で探していると、柏木がポケットから出した左手で「そっち」と指さした。
「ありがと、助かる」
灯台下暗し、しゃがみこんで足元の洗剤を拾い、そのままの体勢で窓に吹きかける。
「……話、あるっちゃある」
「あるんだ。怖いな」
衣擦れの音、遅れてやってくる気配と柔らかな香り。反射的に視線を向けると切れ長の瞳とぶつかる。
どうしていいか分からなかったので、周期的な監視カメラのように首を振って窓を見る。何が可笑しいのだろう、隣から吐息のような笑みが聞こえた。
「あんたさ、奥井たちにノート貸してたでしょ?」
洗剤を渡すと、柏木はお礼を言ってから受け取り、窓に吹きかけた。
「ノート、貸してたね」
テストの前、提出物の前になると奥井たちが借りに来るのだ。彼女の所属するグループの人間だったはずだけれど、案外冷たい呼び方をする。
「あれ、私も見させてもらってたから、お礼を言っときたくて、」
言葉は途切れたけれど、空気はまだ繋がっていた。不思議なもので、この数分でなんとなく分かるようになっていた。
「だから、ありがと」
「どういたしまして」
言葉にしてしまえばどうということはない話だった。大したことをしている訳ではないので、これくらいが丁度いいのだろう。
『真夏ー! そっちもう終わったー?』
がやがやとした教室の中心から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。
「もう少しだけかかるかもー!」
『終わったらこっち来てー!』
返事の代わりに彼女はひらひらと手を振った。
「残りやっとくから、行ってきてもいいよ」
「いい。もう少しこっちやる」
窓拭きが好きなわけでは、どうやらなさそうだ。
「連絡先、交換しない?」
「いいよ」
「いいんだ」
スマホが手元にないので、電話番号を教えた。小さく復唱する姿が、しゃべるぬいぐるみの玩具のようだった。
「じゃ、後でかけるね」
そう言って、彼女は所属するグループの方へ戻っていった。立って背伸びをして、掃除し終わった窓を見やる。綺麗になった窓に対してやけに満足感のある自分がいることに、胸をすくような驚きを覚えた。
8/17/2024, 3:00:52 AM