「あ、そう」
気のない返事だった。薄暗い部屋の中、『ユウヤミ』の瞳に他人は映らない。その視線は常にゲーム画面のキャラクターに注がれている。手元はレバーやボタンを操作するので忙しいらしく、常人には理解できない速度でシステムに入力が行われていく。
「なんか言うことないの?」
「向こうでも元気でね?」
微かな沈黙の後に彼女はそう言った。
冬になったら転校する。親からそう告げられたのは一昨日のことだった。それはいつものことで、つまりは父の転勤に合わせて家族ごと引っ越すのだ。次は秋田県に移るらしい。
オンライン対戦は終了して、キャラの決めポーズと一緒にwinの文字が現れる。
「……じゃあ、それだけだから」
伝えたいことは言った。
「今日はやってかないの?」
画面から視線は逸らさず、彼女は指だけでコントローラーを示した。
「じゃあ、ちょっとだけ」
彼女の隣に座って、コントローラーを握る。彼女に勝ったことは、一度もない。
ゲームはいつも一方的だった。キャラを変えても練習をしても、『ユウヤミ』には敵わない。結局、熱量が違うのだろう。
「いつも思ってたんだけど」
「なに?」
「いや、どうして対戦してくれるんだろうなと思って」
「それは」的確にコンボを決めながら彼女は続ける。「実力差があるから?」
防戦だけ、今この時間を伸ばすだけのためにコマンドを入力していく。
「まぁ、そうだね」
「君は好きじゃないの? 格ゲー」
彼女は正確にアドバンテージを積み上げ、こちらは逃げ惑うだけの時間が続く。
「普通くらいだよ、多分だけど」
「あ、そう」
それからはただゲームをした。もちろん、負けた。
「じゃあ、帰るから」
コントローラーを置く。立ち上がりかけたところで、「待って」と声をかけられた。初めてのパターンだった。
「あたしは、結構楽しかったよ。弱かったけどね」
「そっか」
視線は相変わらず、画面のキャラクターに向けられている。
「うん。それと、君のこと好きだよ。弱いけど」
時が止まったかと思った。レバーとボタンの入力音が、やけに大きく聞こえた。
「こういうとき、どうすればいいか分かんないな」
対応するためのコマンドは、自分の中にはなかった。
「キス、する? 向こういったら、出来ないし」
彼女がこちらを見つめた。何回だって見てきたはずの顔に、初めての印象を受ける。思えば二人のやりとりは、ずっと画面越しだった。緩慢な動作で、互いに縋り付くように不格好なキスをした。画面の中でキャラが身体を揺らしていた。
「じゃあ、またね」
「うん、またね」
引っ張られて少し乱れた服を整えて、彼女の部屋を後にした。
バイトを始めよう。向こうでもゲームが出来るよう、コントローラーを買うために。ふとそう思った。
冬になったら、転校する。
11/17/2024, 5:39:18 PM