ミミッキュ

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1/11/2024, 1:59:12 PM

"寒さが身に染みて"

 早朝の散歩。胸元にハナの体温を感じながら、いつもの道を歩いていく。自身の体温とハナの体温をジャンパーの中に内包している為、とても暖かい。だが。
「さっむ!」
 風が強く、曇り空。どんなにジャンパーの中が暖かくても、冷たい風が強く吹いている上に太陽が隠れていては寒い。
 視線を落としてハナを見ると、強風のせいで耳がピクピクと忙しなく動いている。
「毎日のルーティンだが、今日はさすがにやめよう……。ごめんな、ハナ」
 手袋をはめた手でハナの頭を撫でる。「んみぃ」と小さく鳴いて相槌を打ってきた。
──別の道を歩いたほうがいいな……。これ以上強風にあおられるのはなるべく避けたい。
 来た道から少し外れて、医院へと歩みを進める。
 歩いてきた距離は、医院から出て七分くらい。
 外に出た時から強風が吹いていたが、次第に止むか弱まるだろうと考えていたが、全く止む気配も弱まる気配も無い。ここまで歩いた自分の考えの甘さに苛立ちを感じて、小さく舌打ちをする。
 風避けの為になるべく塀に寄りながら歩いていると、数メートル先に自動販売機が見えた。
──助かった……。
 早足で自動販売機に近付き、ラインナップを見る。一番上の段の【HOT】と書かれた枠の中にブラックコーヒーを見つけ、ポケットから財布を取り出して小銭を投入口に入れる。ボタンに光が灯ったのを確認すると、ホットのブラックコーヒーのボタンを押す。ガコン、という音を聞いてしゃがみ、取り出し口に手を伸ばして、出てきたブラックコーヒーを取り出して立ち上がる。
 手袋ごしでも分かる程に温かく、手袋を身に付けてても冷たい強風で冷え切っていた片手によく染みる温かさだ。
 そーっと頬に当てる。手以上に冷え切った頬にはとても高温で、ゆっくり当てたにも関わらず「あつっ」と思わず声を出してしまった。けれどものの数秒で慣れて、缶コーヒーの温かさに冷え切っていた頬がほぐれていく。
 少し移動してしゃがみ、塀を背に預けると手袋を取って両手で缶コーヒーを持つ。ハナの身体を持っていた手にもその温かさは染みて、ほぅ、と息を吐く。
 プルタブに指をかけて力を入れる。ぷしゅ、と音を立てて開き、口を付けて中のブラックコーヒーを一口飲む。コーヒーの温かさが身体の芯まで染み渡って寒さに震えていた身体が落ち着き、苦味が脳をスッキリさせてくれる。
 すると缶コーヒーに興味があるのか、ハナが前足をジャンパーから出して伸ばしてきた。缶コーヒーを口から離して、ハナから遠ざけるように頭上に掲げる。
「これは駄目だ」
 猫にカフェインなど言語道断。絶対に駄目。近付けてはいけない。
 そもそも動物にカフェインは危険だ。カフェインは、一日の摂取量によるが人間にすら危険なのだ。調べなくとも動物に与えてはならない物なのは分かる。
「みゃーあーっ」
 大きな鳴き声を上げて抗議してくる。遠ざけてもやはり無駄なようだ。
 こいつは、一度興味を持ったものには飽きるまでとことん喰らいつく。まるでスッポンだ。
 空いている片手でハナの首根っこを掴む。鳴くのを止めて前足を引っ込めた。
「これはお前には危険な物なんだ。危ねぇやつ。だからどんなに鳴き喚いても駄目なものは駄目」
 掴んでいた手を離すと、正面を向いて後頭部を見せてきた。どうやら、興味の対象を取り上げられて拗ねてしまったようだ。ご機嫌取りにハナの頭を撫でる。
「悪い、言いすぎた」
 掲げていた手を下ろして、今度はハナの顎の下を指で掻くように撫でる。すると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。手を離すと「みゃあ〜」と気持ち良さそうな声で鳴いた。
 片手でハナの身体を自身と密着させるように支えて再び缶コーヒーに口を付けてブラックコーヒーを、ごくり、と喉を鳴らしてゆっくり嚥下する。早く帰る為に口を付けたままもう一口飲む。飲んでいる間にもハナの頭を撫でる。
「全く……。本当に困った奴だな、お前」
 ほくそ笑みながら言うと「みゃあ」と鳴いた。その声を聞くと、再び口を付けて残りのブラックコーヒーを飲む。
 飲み干すと立ち上がって、自動販売機の横に設置された空き缶入れに空となった缶コーヒーを入れて、再び医院への帰路に着いた。

1/10/2024, 12:52:14 PM

"二十歳"

 コンビニで昼食を買い、外に出て早歩きで帰路に着く。
「早く帰ってハナに飯やらねぇと」
──きっと今頃『まだかまだか〜』って鳴き喚いてるだろうな……。
 ハナの食いっぷりは、成猫用のドライフードを与え始めた辺りからパワーアップしていた。子猫用のを与えていた時より減りが早く、心做しか食べ終わるスピードも早くなった気がする。
 初めてご飯をあげた時から食いしん坊だったが、成猫用の方が味が付いている上に育ち盛りっていうのもあって、食欲に拍車がかかったようだ。今ではとんでもない食いしん坊モンスターと化している。
──成猫用のドライフードに変える時、食べてくれるか心配してたのに……。
 無駄な心配に終わったが、全く食べてくれないよりはマシだ。
 すると、数本向こうの通りから賑やかな声が聞こえてきて、そちらを見る。遠目に色鮮やかな和服に身を包んだ大勢の人が見えた。
──あぁ、確か今日か。
 この前見た町内掲示板で『二十歳を祝う会』開催のポスターに書かれていた日程を思い出す。時間までは見ていないが時間は全国同じだろうから、もう終わった頃だろう。
──俺は、当時まだ大学生で勉強勉強で時間無くて、結局スーツで出たっけ。
 二十歳の頃の自分を思い出して、その場に立ち尽くしながら懐かしさに浸る。だがすぐに、はっ、と我に帰って頭を振る。
──いけない。早く帰ってハナのご飯と、午後の準備しないと。
 遠目で和服姿の二十歳の人達の集まりを見ていた顔を進行方向に向け、小走りで帰路に着いた。

1/9/2024, 11:15:13 AM

"三日月"

 明日の準備を済ませ、火照った身体を冷ます為にブランケットを羽織って裏口の扉を開いて外に出る。
「……さっむ」
 う〜、と唸って身を縮こまらせると、少しでも暖を取ろうと両の手のひらに息を吐く。吐いた息が白い霧のように数秒漂う。
 たとえ短時間でも一月、しかも夜だ。流石にブランケット一枚は堪える。けれど火照った身体を冷やすには十分だ。中の温度と身体を動かした事で代謝が上がったのが相まって少し浮ついていた身体が引き締まる。
 肌寒さに慣れてきて、顔を上げて空を見る。綺麗な三日月が夜空に浮かんでいて、思わず感嘆の声をあげる。
──そういえば、三日月に向かって祈ると願いが叶うとか幸運が訪れるとか聞いた事あるな。
 一体どこで、誰に聞いたか忘れた知識を思い出し、両手を組んで口元に持っていき、両目を閉じて祈る体勢になる。
 別に、そんなスピリチュアルな事を鵜呑みにしているわけではない。ただ、こんなにも綺麗な三日月が昇っているのだから、なにか御利益がありそうで、気付いたら祈っていた。
 ただ、《祈る》と言っても何を祈るのかは決めていない。ただ無心で祈る体勢をしているだけ。形だけの《祈り》だ。それでも意味があるような気がして、寒さを忘れて三日月に《祈り》を捧げる。
 目をゆっくりと開き、顔を上げる。そろそろ戻って晩御飯の用意をしなくては。
 するとここが真冬の夜空の下だと身体が思い出したのか、急に寒さが襲ってきて自身の肩を抱いて身を震わせる。
 くるりと身体の向きを一八〇°変えて、急いでノブに手をかけて回し、滑り込むように中に戻った。

1/8/2024, 11:27:36 AM

"色とりどり"

 あの日からずっと、俺の世界はモノクロで冷たい世界だった。
 一目見た時、あいつだけ色付いていて不思議に思った。《始まりの音》が聞こえた気がした。それからも同じように色付いて見える奴らが出てきて、その度にまた《始まりの音》が聞こえて、最初聞こえた時は何となくで『面白くなりそうだ』と言ったが、まさか本当にその通りになるとは思わなかった。
 同じ色でもその時によって色味が違ったり、時々混ざって違う色になったり、一人でも色んな色になっていくのを間近で見て、そしたら少しずつ周りが色付いていった。
 あいつらを通して色んな色を見ていくと、周りに色が足されていってカラフルな世界になっていった。
 世界はこんなにもカラフルで綺麗なんだって気付いた。
 晴れは嬉しいだけじゃない。全てを包み隠さず見せ、太陽の光が自身を責めて鋭く刺す光になって、心をジリジリと蝕む。
 雨は悲しいだけじゃない。恵みの雨となって、膿んだ傷を優しく包み、心を潤してくれる。
 同じ場所、同じ天気でも別の色を見せてくれる。
 その事を教えてくれた。だけど、なにか足りない気がした。何が足りないのか分からなかった。そんな時、また教えてくれた。足りないのは《俺の色》だと。
 それまでよりも色鮮やかになって、俺の世界があの頃のようなカラフルな世界になった。
 それでも色はまだまだ沢山あった。どんどんカラフルになっていって、それでも色は人の数だけ増えていく。
 新しい色を見つける度、俺に色を教えてくれたあいつらに、口で言うのは恥ずかしいし口で言ったら絶対図に乗るだろうから心の中で言う。
 《ありがとう》と。

1/7/2024, 2:21:26 PM

"雪"

「う〜、さぶ……」
「みゃう」
 早朝の散歩中、医院を出て五分ほど歩いたところで風が吹いてきて、思わず身を縮め震わせる。昨日の予報で『今朝は冷える』と言っていたが、思っていた以上の冷え込みだ。
──ストールをマフラー代わりにして首に巻いてくれば良かった……。
 後悔しながらハナを抱える腕に力を込めてハナの体温で暖を取る。
「んみぃ」
 少し苦しそうな声を出して抗議する。
──悪い……けど我慢してくれ……。
 ふわふわの体毛で気持ち良く、身体が小さい為子ども体温でとても暖かい。微かにトク、トクと小さく細かな心音が鼓膜を揺らす。寒さに強ばっていた身体と心が少しずつほぐれていく。
 ハナの身体は日に日に大きくなっていく。少し前よりも身体が大きくなって少し重くなっている。順調にすくすく成長している事を肌で感じて感慨深くなる。
 ハナの暖かさに癒されていると、不意に頬に冷たい何かが触れた。
「冷たっ」
 思わず声を出して驚く。俺の声に驚いてハナが「みゃうっ」と小さく鳴く。
「あ……ごめんな、驚かせて」
 謝罪の思いを込めて、手袋越しにハナの頭を撫でる。すると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら気持ちよさそうに目を閉じた。顔を上げて空を見る。曇り空が広がり、小さな白い綿のようなものが、はらはらと舞い落ちてきた。
「雪……」
 昨日の予報では『昼頃から』と言っていた。確かに降ったが、降るタイミングまでは外れたようだ。
「みゃ〜あ」
 するとハナが空から降ってくる雪に興奮の声を出す。
──こいつ、本当に猫か?
 前々から思っていたが、俺が知っている猫とかけ離れていて『猫に似た別の生き物なんじゃ……』と思う事が何度もあった。何度検査の時獣医に相談しようと思ったか。けど、俺と会ったのはまだ数ヶ月前だ。身体の大きさは成猫とあまり変わらなくても、生後は半年も経っていない子猫。目に映るもの全てが新鮮で、興味津々に何事にも物怖じせず近付いていく。危険だが微笑ましく、時にそれが羨ましく思う。
──こいつに沢山、色んなものを体験させてやりたい。
 そう思いながら、ジャンパーの中で前足を蠢かせるハナを宥める。すると、身体を捻って胸元に前足を付けてきた。暖かく柔らかな感触が、布越しに伝わってくる。
「どうした?」
 不思議に問いかけると首を伸ばして、素肌を晒している首元に擦り寄ってきた。喉まで鳴らし始める。
「な、なんだよ……っ」
 肩を跳ねらせ驚きの声を出すが、次第に暖かさに強ばっていた身体を弛緩させる。
「や、やめろよ……」
 首元を撫でるヒゲがくすぐったくて、くぐもった声で抗議する。だが止める気配が全くない。
「ふふ、笑って、う、動けねぇだろ……ふひ」
 それでもハナはスリスリを止めない。笑いで震える手で、何とか首根っこを抓る。
「みぃ」
「イタズラがすぎるぞ」
 声を低くして言い放つ。観念したのか「んみゅ……」と小さく鳴いて大人しくなった。「分かればいい」と抓っていた手を離し、ハナの背をジャンパー越しに優しく叩く。
──落ち着きが出るのは、まだまだ先だな。
 はらはらと舞い落ちる雪を見ながら大きなため息をついて、早く帰ろうと歩き出した。

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