"澄んだ瞳"
お互いが休日の今日、2人で近くの水族館に来て少し見て回った後、水族館に常設されているカフェで一休みしていた。アイスコーヒーを口にしながら大我を見る。大我もアイスコーヒーを飲んでいて、自分とほぼ同じタイミングでグラスをテーブルに置く。
ふと大我の目を見る。大我の目は大きくどの角度から見ても光が宿っていてキラキラと瞬いていて、その奥の瞳も澄んでいて、瞳からも「何事も見逃さない」という強い意志の光を放っている。まるで光を一心に浴び吸い込んで、自身の美しさに揺らがず輝く宝石の様。そんな目で射抜かれると、あまりの輝きに見蕩れるのと同時に全てを見通してしまいそうな澄んだ瞳の眼光に物理的に目を逸らす事が出来ない。
そんな目を持った本人は今、透き通った淡い青色の光を宿した穏やかな目で、セットで頼んだティラミスを上品にフォークで切って掬い、口に運んで咀嚼している。
「…んだよ、人の顔ジロジロ見て。俺の顔に何か付いてんのか?」
こちらの視線に気付いて、目をこちらに向けてきた。恥ずかしそうに細められた目の奥の瞳は抗議の色を放っていた。
「いや、…美味しいか?」
「はぐらかそうとしやがって。…まぁ、悪かねぇよ。テメェが勧めてきたとこだし。」
「そうか。」
そういうと再びアイスコーヒーを啜り、再びフォークを手に持ってティラミスを頬張る。その瞳は「美味しい」と語っていた。彼の瞳の唯一の欠点と言えば、澄んでいるが故に口にせずとも目をよく見れば感情がある程度分かってしまう事。
──全く、いつになっても素直じゃないな。
そう思いながら、自身もセットで頼んだティラミスを頬張った。
"嵐が来ようとも"
CRからの帰り道、
「今日は急に呼び出したりして、本当に済まなかった。」
「もう良いっつってんだろ。全く…。」
と、治療が終わった後にもCRを後にする時も、帰路を歩くこの数分間ですら、もう何度目かの謝罪の言葉を「もういい」とこれも何度目か、若干鬱陶しく応える。
昼下がりの午後、空気を裂くようなけたたましい呼び出し音が俺の院内に響いた。その音の主は俺のスマホではなく、デスク横に置いていた俺のゲームスコープ。うちに来た患者のゲーム病が治り退院したため、新たな患者を受け入れる為の準備を整えていた時にゲームスコープの呼び出し音。慌ててゲームスコープを手に取り呼び出したのは誰かみると、ブレイブってだけで珍しいのにあのいつも冷静沈着なブレイブが慌てた様子の面持ちで何事かと思い聞いたら、どうやら向こうに運ばれて行った患者のバグスターが中々に手強く一旦退いて来たすぐ後らしい。更に聞くと、最初はエグゼイドだけで対処していたが、まともな防御すらするのが難しく自身が呼ばれ、それでも攻撃が出来る程には及ばずレーザーも呼ばれ、それでもあと一歩足りず、3人で防御しているので精一杯で攻撃の隙ができず苦戦していて、その苦戦を物語るようにエグゼイドとレーザーが横から出てきて俺にCRに来るよう必死に懇願してきた。3人と合流し、その肝心のバグスターを見てみると、近接武器だらけの3人では対処が難しいタイプの攻撃をして来るバグスターでガシャコンスパロウである程度距離を取りながら対応する事で何とか防御に余裕が生まれたが飛距離も威力も足りず、ドクターで唯一遠接武器を使う俺にヘルプを頼んだ、というところだった。実際俺が何度か攻撃の隙を作る事で攻撃が決まっていき、倒す事が出来た。その後は3人からの、聞き入れて来た事による礼と急な呼び出しをした事による謝罪の言葉の連続で──ゲームスコープを鳴らしたブレイブが1番鬱陶しかった。──適当にあしらいながらもCRを後にしたが、せめて送らせて欲しいと言われ、今に至る。
「仕方ねぇだろ、あんな攻撃パターンのヤツ。テメェらじゃ苦戦して当然だし。」
「しかし…。」
「もう良いっての、出る前から礼と謝罪の言葉でもう腹いっぱいなんだよ。流石にしつこい。それに、」
「それに?」
「それに…よ。…い、一応、テメェの…こ、コイビト…だし、恋人からの呼び出しだから別に、その…んなかしこまらなくていいつーか、なんつーか…。」
などと口ごもると、頭に疑問符を浮かばせながらも
「あ、あぁ…そうか。」
と、ブレイブもたどたどしい様子で応える。居たたまれなくなり視線を彷徨わせていると、少し頭痛がしだした上にさっきとは空気感が変わった気がして、空を見上げる。いつの間にか空が曇天になっていて、今にも雨が降りそうだ。
「今にも降り出しそうだな。」
そういえば今朝の天気予報で、昼過ぎに大雨が降ると言っていたのを思い出す。緊急招集だったために慌てていてその事がすっかり頭から抜け落ちていた。そのため普通の傘はおろか、折りたたみすら持っていない。
──クソ、完全にしくった…、どっか雨宿りできる場所…。
まだ小さな頭痛に耐えながら辺りを見回すと、数メートル離れた所にある公園の中に東屋(あずまや)──屋根付きのベンチ──があるのを見つけた。ブレイブも気付いたようで
「あそこで雨宿りするか。」
と、俺が提案を口にする前に提案してきた。同じ事を考えていたため「そうすっか。」と返事をして東屋へ走って屋根の下に入った。入ったのと同時に雨がポツポツ降り出し、次第にザーッという砂嵐のような音に変わる。
「あぶねぇ…。」
「ギリギリだったな。」
空を見上げると、灰色の雲が広範囲に広がっていた。
「こりゃ当分止まねぇな。」
「"遅れる"と連絡を入れないとな。」
「テメェなら迎えに来て貰えるだろ。」
「それはそうだが、たまには自然の摂理に従うのも良いだろう。」
そういうブレイブの横顔は、何だか一息ついたような顔だった。そういえば最近のコイツは、以前にも増して忙しそうだった。天才外科医としての腕を買ってやってくる患者が増えたのだろう。2人でいる時も何やら考え事をして上の空になっている時が度々あった。それはコイツの働く病院のOBとしては嬉しくもあり、ただ同時に、恋人としてはちょっと寂しくもあった。そんな事を思っていると、また頭痛がして顔を顰める。
「…そうかよ。」
そう一言応えるだけで。…というか、そう応える以外に良い応え方が見つからなかった。
「…。」
数秒お互い無言になって雨音を聞いていた。止めどなく降る雨の音を聞いていると、不意に思い付いた言葉が頭をよぎった。何だか、まるで…
「まるで俺たちだけ、世界から切り離されたみたい。」
ボソリ、と独り言を漏らす。とっさに"聞かれたら恥ずい"と思ったが、この雨音だ。聞こえやしない。と思ったがちゃんと聞こえていたようで。
「貴方と2人きりで、か…。悪くないな。」
フッと笑って言われた。恥ずかしくなって明後日の方向を向く。
「貴方はたまに、ポエムの様な事を言う。」
「…だから何だよ。」
「いや、馬鹿にしている訳では無い。…ただ、貴方の言葉選びは綺麗で美しくて、俺は好きだ。と、言いたかっただけだ。」
「ッ…!?」
思わずブレイブの方を向くと、目が合った。目が合った瞬間、ブレイブが優しく微笑む。美しく微笑む様に余計顔が熱くなる。けど、目が逸らせなくて目を合わせたまま、またお互い無言になる。数秒見つめ合っていると近付いてきて、顎をスルリと掬われた。
──…キスされる。
そう思い目を閉じると、やはり唇に柔らかく暖かな感触が伝わる。触れるだけだったのが、俺の唇に舌を捩じ込んで歯列をなぞり"開けろ"とアピールしてきた。咄嗟にブレイブの肩を掴み少し距離を取る。
「ば、かっ。ここ、外。」
「この大雨だ、誰も来やしない。それに、"俺たちだけ世界から切り離された"んだろ?なら、何しても問題は無い。」
そう言って、今度は顎を掴まれた。口が半開きの為、唇が触れるのと同時にブレイブの舌が俺の口腔内に侵入してきて、俺の舌に絡みつく。
「ん、ふぅ…ぅむ……はぁ、」
深いキスが長く続く。この大雨も、止むどころか弱まる気配がない。すると長時間にわたる深いキスからようやく解放され、ぷはっと声を漏らしながら大きく息を取り込むと、酸素を貪る様に呼吸をする。
「…どうだ?まだ、痛むか?」
と、俺の頭痛を心配してきた。
「はぁっはぁ、…お陰様でな。」
砂嵐の様な雨音はまだ弱まらない。いつもなら頭痛薬を飲んで憂鬱な気分に浸る。けれど、恋人と一緒に、大雨によって世界から切り離されたこの時間は先程まで感じていた頭痛など忘れ、いつまでも続けばいいと思った。そんな絵空事を考えながら雨音をBGMに再び舌を絡ませる。
"お祭り"
いつもの帰り道、住宅街を歩いていると町内掲示板が目に付いた。掲示板には暖かく柔らかな色の灯りを放つ提灯がデカデカとレイアウトされ、それに合わせたフォントの文字が様々な大きさで踊っている。どうやら近所の神社で夏祭りがあるらしい。
「へぇー、もうそんな時期なんだぁ。」
ポスターを眺めていると、いつの間にか隣に来たニコがそう呟く──声の大きさ的には呟きではないが──。先程まで自分より何歩も前を歩いていたので驚いて思わず声を上げる。
「うおっ、ビックリした…。んだよ、行きてぇのか?」
こういう行事に心弾ませるなんて、まだまだ子どもだな。なんて思っていたが、
「んー。行きたいけど、積みゲーあるし気になるゲームの新作も近々発売されるし、今年はやめとこっかな。」
「…そうかよ。」
"やっぱりこいつ生粋のゲーマーだ"と、少し引いた。
「んで、大我は?行くんでしょ?」
「…は?行くってどういう…」
──どういう意味だよ。つかなんで俺が夏祭りに行くって話になんだよ。
意味が分からなすぎて驚き、一呼吸置いてそう言葉を続けようとしたがニコがすぐさま言葉を続けてきたため叶わなかった。
「決まってんじゃん。しないの?"お祭りデート"!!」
「ッ…!?は、はぁ!?」
デートだと?ますます話が見えない。言葉が出てこず、口をハクハクとさせていると。
「だって、アンタら2人付き合ってんのにぜぇーん然イチャつきもしなけりゃ、電話とかの内容仕事ばっかで恋人なのか疑いたくなるしぃ。」
「べ、別に良いだろ。コイビトドウシだからって付き合う前と同じ様に過ごしても。」
動揺しすぎて"恋人同士"が多少たどたどしくカタコトの様な発音になる。
「まぁ、アンタらの性格的にしょうがないっちゃしょうがないけどさぁ…。たまには恋人っぽくデートとかしてきなよ、ね?」
「…。け、けど、アイツだって予定とかあるし…。」
「ちゃんと言ったら聞き入れてくれるよ。それに、カワイイ恋人からの、珍しぃ〜お願いだよ?絶対意地でも予定空けてくれるって。」
「んなっ…!?」
"カワイイって言うな"と異議を申し立てようと思ったが、これ以上疲弊したくないのでグッと堪えた。
「だからさ、"お祭りデートしよ"ってメッセ送っちゃお。スマホ貸して!!」
「あっ!!おい、何しやがる!!」
ポケットの中のスマホを強引に取り上げられ、「返せ!!」「ヤダ〜」の攻防を繰り広げながらも俺のポケットから取り上げたスマホを器用に弄って、数秒後「はい、返しまぁす。」とわざとらしいセリフを吐きながらスマホの画面を俺に向けて返してきた。半ば取り上げる様に受け取ると、画面には鏡との個人チャット画面が展開されており、1番下の最新のメッセは俺からの"今度の週末、お祭りデートしよ"と、打ったのが明らかに俺じゃない文面のメッセが送信されていた。
「は、はぁ!?何してくれてんだテメェ!!」
「だって、そうでもしなきゃ"自分から誘う"なんてしないでしょ?」
「うぅ…。」
──確かにそうだけどよ。図星だけどよ…!!
だからってあんな強引なやり方で…!!やっぱコイツといると精神的にも、どっと疲れる。スマホの画面を改めて見ると、俺が──ニコが──送ったメッセに既読の文字が付いていた。
「なっ…!?」
「ん?どしたの…。あららぁ、もう手遅れだねぇ。」
俺のスマホの画面を覗き込み、変な間延びしたわざとらしいセリフを俺の顔を覗き込みながら吐いてきた。
──…コイツ、今日の晩飯抜きにしよ。
すると俺のスマホから通知音が鳴った。見ると鏡からのメッセが送られてきていた。"分かった、予定を空けておく"といつも通りの簡素なメッセだった。
「うおっ…。」
「おっ何なに?お誘いの返事?」
と、また覗き込んできた。メッセを見るとニヤニヤしながら。
「やったじゃ〜ん、アタシのおかげなんだから今晩なんか奢ってよ?」
「うるせぇ。」
「あ、その前に浴衣買いに行かないと。」
「はぁ?…んでそうなんだよ。」
「だってデートだよデート!!しかもお祭りデート!!お祭りデートは浴衣で行かなきゃ。」
「んだよそれ。別に浴衣じゃなくても良いだろ。いい歳した大人が浴衣着ていくとかねぇだろ、私服で良いだろ私服で。それか甚平なら確かクローゼットの奥の方にしまってたはずだから…。」
「良くない!!ほら、浴衣買いに行くよ!!」
と、力いっぱい引っ張られ、つんのめる。
「うおっ…!!や、やめろそんな引っ張んじゃねぇ!!」
「グズグズしてないでさっさと付いて来る!!早くしないと良いのなくなるよ!!」
「わーったから!!…っ、まず手ぇ離せ!!」
やいのやいの言いながらショッピングモールまでの道のりを歩いてった。
"神様が舞い降りてきて、こう言った"
「…。」
──ここはどこだ?確かグラファイトと戦ってて…。
そこまで考えて、はっと思い出した。俺は負けて、アスファルトの地面に倒れて、そこで記憶は途切れていた。恐らくそこで意識を手放したのだろう。ならここは"黄泉の国"か。にしても、思っていた黄泉の国とはだいぶ違う、というよりかなりかけ離れている。一見暗闇だが周りを見てみると、星雲のような星々の集まりが無数に広がっていて、まるで柔らかな照明のように辺りを照らしてくれているおかげで足元がよく見える。なんて考えながら足元を見ていると不意に
「君はまだ、ここに来るべきじゃない。」
と、声を掛けられた。バッと顔を上げると、いつの間にか──恐らくだいぶ混乱して気付けなかっただろう──目の前に大きな扉が聳え立っていて、その扉の前に人影が一つあった。声の主は恐らくあの人影だろう。
「はぁ?"来るべきじゃない"って言われても知らねぇよ、気付いたらここにいたんだよ。ここに俺を連れて来たのはテメェじゃねぇのか?」
と、悪態をつきながら人影にゆっくりと歩み寄る。人影の正体は俺より背が低く、左目を長い前髪で隠したまるでスナイプのような髪型をした青髪の、見た事無い──恐らくヘッドフォンだろう──変わった形のヘッドフォンを首にかけた俺より遥かに若い青年だった。身に纏っているのは恐らくどこかの学校の制服、という事は背丈的に高校生、ならニコとそう変わらない年齢だろうと推測した、が。
「さぁ、そんな事言われても困る。いつも通りここに居たら急に君が現れて僕も驚いたし。」
「"驚いた"?」
にしてはあのセリフからずっと動揺一つ見せない、推測した年齢にしてはかなり達観した態度をとっていた。
──飄々とした様子でさっきのセリフを淡々と言っていただろ。こいつ精神年齢が実年齢より高いタイプか?
「さっきの答え。"君をここへ連れて来たのは僕じゃない。"そして"君がどうやってここに来たのかも分からない。"」
「そうかよ。…まぁこの際ここに来た経緯はどうでもいい。どうやったら帰れる?まさか"帰る方法も分からない。"とか言うんじゃねぇだろうな?」
言い終えて、ハッとする。話し方や態度のせいでこいつが高校生である事を忘れて強く当たってしまった。だが目の前の青年はそんな事は何処吹く風、というように俺が強く当たってもビクともせず淡々と話を続ける。
「それは分かる、簡単だ。君のすぐ後ろに元いたところへ帰る道がある。」
「なんだ、ならとっとと帰らせてもらう。」
と、後ろを向こうとしたが
「ただし。」
と、声で制される。
「ただし、一つだけ条件がある。それを守らないと君は帰る事が出来ない。」
「はぁ…?んだよ、それ。…まぁいい、どんな条件だ?」
勝手にここに連れて来られて、帰るには条件付きで、それを守らないと帰れないってどんな横暴だよ。
「それは…"何があっても、絶対振り返らない事"それだけ。」
「は?どんなムズい条件かと思ったら、"振り向くな"だけかよ。んなの簡単じゃねぇか。」
なんて言うと目の前の青年はこれまでの、どこかの気だるげな雰囲気から一気に神妙な雰囲気にガラリと変わった。
「"オルフェウス"の神話。」
「…は?」
かと思えば急に聞き慣れない名前と"神話"という単語がその口から発せられた。声色もだいぶ変わったので、その変わり様に驚いて反応が少し遅れた上に何をどう聞けばいいのか分からず、ただ"は?"とだけ返してしまった。
「オル、フェウス…の、神話…?何だそれ。」
何とか出せたのはただのたどたどしいオウム返しだったが目の前の青年は然と答える。
「"オルフェウス"の神話。"毒蛇に噛まれてしまった妻を冥界から連れ出そうとし、『振り向いてはいけない』という条件の中、あと一歩の所で奇しくも振り向いて、後ろをついていた妻の姿を見てしまい、妻と今生の別れとなった"という神話。」
「んな事よく知ってるな、高校生の癖に。」
「まぁ、ね。」
と、自分の推測と混じえて率直な感想を述べるが、全く驚きも頭に疑問符を浮かべるような顔を浮かべもせず、それ所かまた最初からの飄々とした態度に戻った。高校生なのは合っている、という事か。いまいち掴めぇヤツ。
「んで?"帰る時に振り返ったら、俺が元いたとこと今生の別れになるから振り返るな"って警告か?」
「まぁ、そんな所。」
「んで、"ここには俺が振り返りたくなるような『何か』があるから気ぃつけろ、誘惑に惑わされず真っ直ぐ帰り道を行け"っつー事で受け取ればいいのか?」
「流石だね、君。そこまで汲み取ってくれるとは。」
「はっ、褒めたって何も出ねぇぞ。」
方法と条件、それと注意する事が分かりゃ、あとはとっとと帰るだけだ。と思い、
「教えてくれてありがとな。じゃ…」
と礼を言ってまた帰り道に体を向けようとすると、
「待って。」
と、また声で制された。
「今度は何だ?」
「もう一つ、これは僕の自己満足に過ぎないけど。」
「自己満でもいい、何かして欲しいんなら言え。俺はとっとと帰りたいだけだ。…帰ったら二度と会えねぇかもしれねぇからな。」
そう言うと今度は、何か決意をさせる様な何かを見定めるような、まるで学生の時に受けた三者面談の担任のような、そんな雰囲気になった。彼はそのまま言葉を続ける。
「それは"君がどうしてここに来たのか"、その理由が大きく関係している。」
俺がここに来た理由?そう尋ねる前に彼が更に言葉を続けた。
「ここに来た理由、それは"君が生きる事に自暴自棄になったから"。」
「…。」
何も答えられなかった。何の声も発する事が出来なかった。俺が、生きる事に自暴自棄になったからここに連れて来られた、だと?
「…だから、何だよ。」
「だから、誓って欲しい。"もう生きる事に自暴自棄にならない"って…、そして忘れないで。"君には、生きる理由が沢山ある"、と…。」
「はっ、まさか高校生に、そんな綺麗事言われる時が来るとはなぁ 。」
そう言って、彼の答えに答えるよう、目を閉じて大きく深呼吸を一つ、そして彼を見据えて力強く頷き、最大限の決意を込めて応える。
「…あぁ、誓う…そして約束する。もう二度と、生きる事に投げやりにならねぇ。俺の生きる理由を見失わねぇ、ってな」
そう応えると彼は満足気に頷き、僅かに口角を上げて応えた。
「…うん。聞き届けたよ、君の覚悟。」
「…なら良かった。なら、今度こそ…。」
「うん、さようなら。」
「あぁ…、さようなら。」
なんだか少し名残惜しい感情が湧き上がったが、今度こそ帰り道を向いて、ただ前を向いて、そしてひたすらに真っ直ぐ、帰り道を進み続ける。そういえば名を聞いていなかった。別れを言う前に名前を聞けばよかった。…いや、名前なんてどうでもいい。ただ、彼との誓いと約束を胸に、確実に前へ前へと歩みを進める。次第に意識が浮上する感覚を感じながら。
「行ってしまったね。」
「…あぁ。」
「どうだった?」
「"どう?"って…。まぁ、楽しかったよ。久しぶりに人と話せたし、それに話した事の無いタイプの人だったし。」
「…寂しい?」
「まさか。…確かに、まだもう少し彼と話したかったけど、僕が彼をここにいつまでも引き止めていい理由にはならないから。」
「それもそうだね。」
「それに"彼ら"なら、僕とは違う形で"生命の答え"を見つける。せめてそれまでは、見守りたいしね。」
「うん、そうだね。…実はね。あの彼、ずっと前から以前の君を見ているようで、少し懐かしいって思ってたんだ。」
「そうかな?」
「1番近くで君を見ていた僕が言うんだ。」
「それもそうか。」
"誰かのためになるならば"
あれは消耗品の補充をしていた時。人がせっせと包帯やらガーゼやらを補充しているのを尻目にゲームしやがって。患者とはいえ、めちゃくちゃピンピンしているくせにうちに入り浸りやがって、ほぼ居候じゃねぇか。そんな元気ならちょっとは手伝えよ。などと心の中で悪態をつきながら睨むが、当の本人はなんのそので何処吹く風。ただゲーム機から流れてくる声やら音楽やらのみが部屋の空気を揺らすだけ、小さく溜息をつきながら作業を再開した。
──えぇーと、これはあっちの棚で、これが…。
『どうした…見ているだけか?』
なんて考えていたら後ろから不意に聞き慣れない声がして、驚いて肩が跳ねる。
──なんだ、ゲームか。
すぐに声がした方を振り向いて、声の正体を確認すると安堵し作業を再開する。
『我が身大事さに、見殺しか?』
声は話続ける。
『このままでは本当に死ぬぞ?』
『それとも、あれは間違っていたのか?』
──最近のゲームはこんなのがあるのか?ちょっと言ってる事重くね?
なんて考えているが、なんだかちょっと他人事には聞こえなくて、耳を傾けたまま作業をする事にした。
『良かろう…覚悟、聞き届けたり。』
『契約だ。』
──契約…なんかファンタジー系のやつか?
『我は汝、汝は我…』
──なんか前にどっかで聞いた事あるようなセリフだな。
『己が信じた正義のために、あまねく冒涜を顧みぬものよ!』
『その怒り、我が名と共に解き放て!』
「…。」
思わず手が止まる。そのセリフと共に5年前の事が頭をよぎった。さっきからまるで自分の事を言われているような気がする。
『たとえ地獄に繋がれようとも全てを己で見定める、』
『強き意志の力を!』
「…。」
補充作業を終えると急に外の空気を吸いたくなり、部屋を後にして外に出る。壁に寄りかかると溜息を1つ吐いて呟く。
「"あまねく冒涜を顧みぬもの"、か…。」
考えてみれば、今までの俺は周りの言う事など気にせず、自分の信じた道をただひたすらに進んで来た。まぁ、その結果自分の未熟さゆえに免許を剥奪され、無免許医になったんだがな。
『それとも、あれは間違っていたのか?』
…違う、間違ってなんかいない。もし俺が行かずに大人しく待機していようものなら、もしかしたらあの患者が、ブレイブと約束を交わせずブレイブが着くのを待たずと消えていたのかもしれない。もし時間稼ぎになっていなくとも、あの時俺が下した決断は俺の正義を貫いた結果だった。
これまでだってそうだ。誰かに"間違っている"と言われようとも、俺が貫いた正義だ。何の悔いもないし悔いたくもない。…では俺の正義ってなんだ?
どんどんと流れてくる思考の波に、幾度も幾度も答えて行く。
「"誰かのためになるなら、自分はどうなったって良い"。」
まさに典型的な自己犠牲だった。言い方はどうあれ、これまでの自分の思考の根幹にあったのはこの言葉で、この言葉が1番しっくり来た。
ゲームキャラに言ったセリフなのだろう、あのセリフを言われていたアイツと俺が重なって思えて、姿も声も分からない相手に急に親近感が湧いた。
──後でなんてゲームなのか、アイツに聞くか。物語だけなら、小説版とかねぇかな?
そんな事を考えながら院内に戻った。