秋の訪れ
秋が訪れると、冬が来る。
当たり前だが、仕事上、この時期から大変だ。
個人的には、秋は大好きだ。以前にも秋の事を沢山書いた位、秋にやりたい事は、目一杯ある。まあ、この時期、中々忙しい。
自然を相手にする仕事なので、冬将軍様が来る前に、大方終わらせなければならない。雪を避けながらの外作業は、心身共に辛い。そして、その準備に、また、仕事に追われる。
「山行きてー」と思っているが、予定がつかない。登山計画書の日にちもいつも空白だ。予定がわからない。
なので、隙間を狙い、この前の休みに栗拾いに行った。まぁ、気分転換にぶらぶらみたいな所だ。
実は、初めての栗拾いで、軍手に棘がささるささる。
胡桃もあったので胡桃も拾ってきた。
きのこも と思ったが、きのこに詳しくないのでやめた。昔、母に「いっぱいきのこ取ってきた!」と持っていったら、全部毒きのこだった。あぶないあぶない
そんなこんなで一応、秋の訪れを感じた。
家で初めての栗を蒸して、むいて、食べたが、味は「うーん」。
拾った栗がダメなのか、あんなものなのか、謎である。
秋が訪れると、冬である。
「山行きてー」
明日も朝が早い。部屋で叫んで、ビール飲んだら、昨夜は、床で死んでた僕であった。 だから、昼休みに作成中。
これが、僕の 秋の訪れ? である。
旅は続く
みなさんの旅の目的は、なんでしょうか?
旅で、何を得られますか?
旅で、何を求めますか?
失恋、心身の痛み、出会い、自分を求めて
旅の目的は、人の数だけある。
どう転んだにしても、旅の最後には「いい旅だった」と、誰しも思う筈だ。
僕の旅は、山行、釣行、輪行、徒歩、自転車、バイク、電車、車と、若い時から一通り旅をした。
高校の図書局時代に、高文連の体験記コンクールの題材にもした、堀淳一氏の「鉄道跡を紀行する」、これが僕の1人旅の原点かも知れない。
僕は夏冬中、毎日古紙回収のアルバイトをし、やっとの思いで買ったミヤタのマウンテンバイクで、1年後旅に出た。
友達2人を無理やり誘い、6日間、自転車の旅だ。
テントに、ホワイトガソリンのストーブ、使わないのにナイフをぶら下げ、着替えに、パンク修理セット。そして、行く先々で炭焼き小屋の人達に分けてもらった炭とナタ。
自転車に積めないから登山リュックを背負って、頭にはバンダナとヘッドライト。大量の10円玉。もう笑える。
食べ物は現地のお店で買って、調理して食べる。当時はコンビニはまだなかった。夜は肉だか、虫だか肉だかわからずに「うまいうまい」と食べていた。キャンプ場とかも無いので、バス停や、野球場の脇、公園、農家?の畑の脇とか、ほんと笑える。
醍醐味は、人の温かさと、触れ合い。そして、新たな縁だ。
食べ物をくれて、果物を取らせてもらい、笑えるのは、「まだ、高校なんだから」と、心配で夜に来てくれた人もいた。ありがたい。
そして、途中で偶然に会った学校の先生にも感謝だった。
「黙っててやるから、怪我するなよ。でも始業式は、覚悟しておけよ笑」
このテーマを書きながら思った。
なんだかんだ、負の人生とか言いつつ、僕は、人に救われ、友に助けられ、悪く無い人生なんだと思う。
旅を終え、始業式の全校集会で、名前を伏せて僕らの事を校長が語った。当然、高校生でダメだよ的な内容だ。でも最後に
「当然、高校生だけでは絶対にやってはダメな事です。と、校長として言わなければなりませんが、今の時代にあって、彼らの純粋さ、ひたむきさ、何より、かけがえのない仲間との絆を、分かち合える喜びを知る事ができた彼らの行動には、個人としては嬉しく感じます」
気持ちをわかってくれたんだ。ありがとうございます
本から出た旅だ。かっこいい目的もなかった
でも、最後は、ちょっと、大人の涙を流すことができた。
「いい旅だった」
初めて、そう感じた時だった。
だから、僕は旅はやめない。死ぬまで、死の旅路も面白く「いい旅だった」と、天国で言おう。
だから、僕の旅は続く
途中会った、先生。あれから3ヶ月後に死んでしまった。あの先生が、学校に報告とフォローを、校長と学校全体にかけ合ってくれていた。
この場をお借りして、 先生、ありがとうございました。
僕は、つくづく、人に救われているんだとそう実感する。
このテーマにしていただき、本当にありがとうございました。
久々に、思い出しました。
みなさん、 良い旅を
モノクロ
世界を想像すると、僕はいつも闇を想像する
漆黒で、無で何もない
自分の精神世界か、自分がなりたいものなのか
華やかな世界は、僕には似つかない
心が騒々しく、 落ち着かない
光が無く、何も感じない そんな所に安寧を感じる
ネガティブ的なのは、わかっているが
僕には光が、眩しすぎるようだ
光は、いつも届きそうな、少し前にいる
でも、手を伸ばしても、触る事ができない
そして、いつも、自分の無力さを感じさせる
努力しても、頑張っても、光は、遠ざかっていく
疲れ果てて、立ち止まると、また、闇が僕を覆うのだ
人生には、光を追う人と、闇に生きる人が存在する
今の僕は、この闇のモノクロの人生、なのだろう
いつまで、闇に生きるのか?
今日も、闇に安寧を感じていた
いつか、その光に これから光の人生って奴に
出会わせてくれるのか、ぼくは知りたい
モノクロの闇の人生は、もう嫌だ
永遠なんて、ないけれど
「僕は、故郷を捨てた」
実家の会社を手伝って、約20数年経った。
その間、結婚、息子が生まれ、大きな事故も無く、仕事も儲けも無かったが生きてもいけた。
僕は幸せを噛み締めていた。
休みなんてない。両親の会社だ。朝早く、夜遅く。徹夜、寝ずに、そして、子供にも、全力で向き合った。
肉体的にはボロボロだか、でも仕事のやりがいと息子の成長を近くで見られる。 精神的に幸せだった。
趣味こそ、全く出来なかったので、よく周りに「趣味が仕事」と笑って見せた。それでも 幸せだった。
このまま、永遠に続く 訳は、なかった。
この世に、永遠と形は、長く存在しない。
会社を閉める事になり、僕は選択を迫られた。
僕は、故郷と両親を捨てたのだ。
家族と共に、遥か遠くの土地に、僕は逃げたのだ。
故郷から、親から、友達から 周り全てから
この選択は、間違っていたのか?
今も同じ様な仕事をしている
故郷にも、2年位に1回は、帰っている
新たな人生、新たな幸せを求めて、僕は選択をしたはずなのに
今は、すごく後悔している。読んでる人には、たぶん、最初が贅沢なんだと思う人もいると思うが、小さい会社で生き抜く過酷さを、どう表現すればよいのだろう。
僕は、あの幸せは、永遠に続く、と思っていた。
永遠なんて、ない、けれど、どこか、信じてみたかった。
今更、過去は変えられない、何もしなかった自分が悪いのもわかっている。
だから、僕は今、足掻いている。自分と、人生を変えようと。
永遠なんて、ないけれど、また、信じて頑張っている
幸せを信じる、
新たな人生に向かって
涙の理由
ありふれた言葉だけど
涙の数だけ、物語はあって
流した分だけ、成長する
楽しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、辛い時も
いらない涙なんて、まったくなくて
涙を流した物語は、素敵な思い出にかわる
涙の理由も、全部後付けで
理由なんてものは、いつもわからない
僕の涙は、人より多く流すらしく
たぶん、「恥ずかしい奴」と思われるかも知れないけど
そんな自分を、気に入っている
僕の 涙の理由 は、
この世で生きていたんだ、と、
みんなの思い出に残りたい、思い出して欲しい
そんな理由、なのかも知れない。