歪んだ歌声を奏でる蓄音機
舌に居残る真っ黒の珈琲
まだ透明な涙を滲ませた少年は
褪せた街へ去り行くのでしょう
道すがら膨らませた在来の妄想
石鹸玉のように弾けて消えて
曇った硝子のその先へ、積もる灰を踏み越えて
彼が足跡を辿らないよう祈る
どうでもいいけれど、本当に石ころのようだけど
気触れて腫れた夢の跡
乾いた一筋、砂糖水
天鵞絨の椅子に腰掛けて
外れた調子を真似て口遊む
満点の星を纏って歌い踊る
厚塗りを剥いでも宿らぬ虚構の姫
ちぐはぐ、あべこべ、空回る
摘み損ねた芽は吹かれ抉れて枯れていく
知られず勝手に、無様に転がる石ころのように
せっかく庭を用意したけれど
彼はもうここには来ない
私が蹴飛ばしたから、駆られたようにころころと
きっとどこかで削れて砕けて、粉になって
でなければ勝手に咲き誇れ
阿呆のように硬い種だった、それだけなのだから
(台風が過ぎ去って)
また傷付いているんだね
愛されて生まれた陽だまりのあなた
雨粒に紛れた一雫、その程度に過ぎなかった運命
すっかり萎れて黒ずんだ指先を隠して
そうしてまた笑うんだ
馬鹿な人、優しい人、初めからずっと弱い人
いっそ偽善であれば良かった
昨夜の雨水を放るように捨ててしまえば良かった
あんなに綺麗な手をしていたのに
数え切れないほど星を灯して
恋を夢を焼き尽くして、まだ満足出来ないのかな
誰かの幸福を願いながら
あなたはあなたを諦めているくせに
その笑顔を見る度に吐き気が止まらない
刻まれた悪夢を再現したなら肉片すら残らないだろう
辛い、苦しい、もう嫌だ、と劈く
頼りない背が叫んでいるの、煩いほどに
沈殿する汚泥が熟成されて、どす黒い渦になって
臭くて汚い、あなたの笑顔に耐えられない
何度も傷を抉られて、内側まで掻き混ぜられて
ねえ、どんな気持ち
私には聞こえているけれど改めて教えてよ
痛みを忘れない高潔な人
手を差し伸べて一緒に泣いてくれる美しい人
誰かを今日も赦すんだ
本音なんて吐いたことないくせに
あなたがあなたを赦さないくせに
可愛らしいその顔を歪ませてやりたい
重すぎる、そう零してよ
逃げ出したいと願ってよ
一度だけでも、聞き届けるから
きっと必ず、流星のように連れ出してあげるのに
あなたはまだ傷付いている
一緒に燃え尽きてあげるのに
灰になっても離さないのに
あなたがどんどん眩しくなって、見えなくなるの
純朴で鈍くて陽だまりの匂いがする
私、そんな人を愛したのに、知らない誰かにならないで
手を繋いで一緒に燃え尽きて
永遠になんてならないで
(フィルター)
久しく曇らぬ硝子の奥に、亡霊の君を見た
ただ濡れて立ち尽くす案山子のように
途方に暮れた瞳は、悉くを飲み込む夜の色にも似て
伸ばした手は懐かしく凍えて、けれど声は届かず
透き通る背が秋霖にすっかり溶けてしまうまで
白い手は揺れて震えて彷徨った
歩み寄るには遅かった、許しを得るには驕りが過ぎた
君は何を伝えようとしたのか
二度と答は訪わない、それが私の罰ならば
幻を見ていたのだろうか
それは林檎の香りをした白昼夢、惑うも啜る甘い汁
幾星霜を遡り希ったとして、きっと沈黙は変わらない
蒼天を傲慢と罵る瞳は曇ったまま
擦っても瞑っても頑なに澄み渡らない世界へ唾を吐く
これが私の罪、永劫に続く後悔の始まり
矛先を失くした愛が膨らむばかり
弾けて消滅する、終末という名の救済すら能わずに
捧げた理想は腐り果てて行く
癒えない傷ごと苛むように
降り頻る雨は涙だろうか
君か、あるいは誰かの悲しみを継ぐ雫
この体を濡らすのに、抱き締めることは叶わない
かつて繋いだ心、最後まで離別を拒んだ成れの果て
贖いの旅路にて、忘却を禁ずる記憶の欠片
私の眠りを妨げることもせず
あまつさえ逃避を幇助するような、残酷な優しさ
直視するそれは余りに眩しく温かく
私が追放したくせに今更何を伝えられるか
沈む思考は海にも似て、そして宇宙は底にある
薄紅の唇が私の名を告げる日は来ない
君は振り返らずに落ちて行く
瞬く光を携えて、一心不乱に朽ちて行く
願いたくなるけれど、懲りずに手を伸ばすけれど
実らせてはならないと理解して果てる
ただ美しいだけの命無き色彩、誰も喰まぬ毒の徒花
愛した君がいつか滅びてしまっても
私だけは憶えているから
遠い遠い未来までも、独りになっても抱えて眠ろう
(雨と君)
瞬く星にも似た美しい感情を、その瞳から、その唇から
あなたには濁流のように映っただろう
けれど確かに、満天に戴く何よりも尊い煌めきだった
少なくとも私にとっては、夢のような
朝焼けと共に枯れる花、けして叶わない幻想の結実
生まれながらに呪われた想い
解かねばならない縛り
どうしてこの心はあなたを選んだのだろう
自由にしなくてはならないのに
飛び去る翼を笑って見送りたいのに
隠した縄でその足首を括る
そんな機会を待ち侘びている
きっと、紛うことなき決別の瞬間
あなたの心に蟠り続ける錘の恋
私を腐敗させる崩壊の糸
生涯許されないだろう、故に記憶に居座る毒の愛かな
音もなく弛む激情を戒める
締めて縊って、二度と蘇らないように
穿たれた胸に空洞が残っても構わない
代わりにあなたが幸せになれるのなら
薄れた過去のどこにも、こんな愚か者を残さないで
私が不自由であるうちにどこへでも消えてしまって
錆びた釘を手に、先端がこの胸の他へ向かう前に
最後にはきっと敗れてしまうから
けれど、けれどね
一度だけ、あなたの星になりたかった
(secret love)
纏わりつく苛立ちを免罪符に耽る怠惰
何ら変わりなく、滞りなく通り過ぎる橙色
責めるでもなく誰を選んで照らすこともない光
蜜を掬う気力もなく、砕いて割れる砂糖のように
ただ貪り尽くし、訪れない明日に誓いを遠ざける
人生を旅に準えた美しい物語を呪う
奇譚に微睡み空想する傍らで、平凡に縋り繕う
相反する自我、摩耗する精神
刻まれる敗北の記録を投げることで忘れようとした
転がる私を見放すように日は遠ざかる
行かないで、置いて行かないで
まだこの道を照らしていておいて
どうか愛して、雨粒一つ分だけで良いから
何故なら、怠惰は必要なことだった
私は間違っていない、私は間違っていない
遅れていない、忘れられてなどいない
正しくなくとも美しくなくとも、息を切らして後列へ
ひどく曖昧な明日は、迫る暗礁によく似ている
傷つけることで輪郭をなぞった
擦り付ける痛みで無色を隠した
怠惰が招いた傲慢に際限はなく
ゆえに私は見放されたのだろう
同じ過ちを繰り返し汚れて行くのだろう
沈む先にも果てはなく、暗く暗く溶け朽ちるまで
帷と共に重なる悔いを知りながら
嵩張り絡まる錘を引き連れて
なまじ丈夫なばかりに壊れることも許されないまま
辛いよ、苦しいよ、逃げ出したいよ
どこかへ行ってしまいたい、違う誰かに成り代わりたい
叫んでも、誰の耳にも届かない
足掻いても、誰の目にも止まらない
当然だ
坂に置いた石が転げ落ちるように
降り注ぐ雨が巻き戻らないように
起き上がることすらろくにせず、潮の流れに身を任せ
手足の先一つ動かさず、流れ着く終わりを願う怠惰の塊
他ならぬ自身が投げ出している
海底へ辿り着く明日を恐れながら、祈ってもいるのだ
救わないのなら求めるな
背負わないのなら希うな
泣きも笑いもせず固まった頬は、けれどまだ温かい
次に日が昇っても、私はきっと怠けるだろう
馬鹿みたい、自分一人救えない
(8月31日、午後5時)