あと少し早く気付いていたら
いつも通り君の家へ寄っていれば
騒がしい蝉の声を言い訳にせず
あと十分、いいや五分でも
ちゃんと耳を傾けていたなら
過ぎ去った過去の重石を今も引き摺りながら
一体どうして願など懸けられようか
どうか呪ってほしい、不帰の愛よ
あなただけを見つめている
まとわりつくような汗を拭って
剥き出しになった腹が鳴るのを恥じる
熟さぬ果実であった頃
あなたと出会った遠い夏
何の変哲もない古びた窓枠が翼のように広がって
その瞳に光を見た
憧れという救済の糸
突然降り出した雨の中、閉じ込められた東屋にて
花咲く太陽が確かにあった
私のそばで、肩を並べて笑っていた
あなたはあの日、神様だった
この恋が焦げた縄と成り果てて
その首を締め上げ続けていたのだと
あと少し聡く息を吐けたなら
飾らない贖罪があると信じられたなら
いいや、もっと遡って省みるべきだ
誰より早くこの首を締め上げてしまえたら
あなたは今も笑っていましたか
誰かの世界を照らしていましたか
どれほど己を呪い尽くしても
あなただけを見つめていても
二度と帰らない想い出だけを引き連れて
けれどあなたは終わらせてくれないね
まだ早いよと呆れて笑う
忘れ物はないかと繰り返し問う
あなたの声を忘れたくない
蝉の声に掻き消されても、この胸に反響する願い
ただ一つの標、私を呪う夢の跡
あなただけを見つめている
(タイミング)
可愛げがなくて、従順じゃなくて
望まれた姿になれなくて、ごめんなさいね本当に
だって仕方がないでしょう
手を差し伸べられれば弾きたくなる
甘く囁かれれば拳が飛ぶ
縋り付く無様のせいで服に皺がつくでしょう
それに何より、あなたの為に生きていないので
理想通りの人形にはなれないの
誰だってはじめから、あなたの為に生まれたりしないの
メソメソしないで、選ばれたいのなら
俯かないで、鬱陶しいから
誰かを塗り潰すその前に、まずあなた自身に描きなさい
冷たい人形を抱く腕で、自身の体を洗いなさい
電子に溺れるその瞳で、虚妄に毒された二つの耳で
何処からか借りてきただけの刃を飛ばす乾いた唇で
あなた自身を曝け出して、剥がして、壊してしまって
そして最後に滝のように溢れ出す
手でも足でも使えばいい
歪な像を結んで固めて、本当のあなたを見せてほしい
そうしたらきっと、愛してみたくなる
私ではなく、あなた自身がね
きっと、もう少し、愛しくなるでしょう
塗り替えたところで惨めな過去は変わらない
何度色を重ねても、底の汚濁は溶けたりしない
思い出す度に頭を抱えて、顔を歪めて呻くのでしょう
あの頃はそう、愛嬌がなくて、生意気で
この目で見える世界が全てだと思っていたのね
それで良いのかもしれないね、本当に
だって仕方がないでしょう
遡れないし消せないけれど、きっと必死に生きていた
あなたなりに、私なりに
誰だって自分の為に生きていたけれど
願いながら組み立てた、最強の自分にはなれなかった
手を伸ばした先に、はじめから並び立つ未来は無かった
せめて頬に残る一筋の名残が
夜を照らす灯火になればいい
別れた道の先でいつかまた、会えたなら
(涙の跡)
それはまるで翠色の海
何よりも誰よりも鮮やかなドレスを纏って
吊り下げられた星空の下で踊るわ
懲りず押し寄せる波のように
台に載せられたケーキのように
あなたの為に、ただあなただけの為に
泡のように膨れ上がった手で
仔鹿のように震える足で
喚く頭の何処かで鐘が鳴り響いている
わんわんと誰かが泣いている
歪な星空の滲む手を持ち上げる力もないの
それでもきっと、あなたの為に踊ってみせるわ
綺麗でしょう、ただ一人の為に咲く花よ
たとえこの身体が崩れ落ちても
燃え盛る心臓を撃ち抜けるのはあなただけ
あなただけなのよ
私を止めて/捨てないで
誰も彼もが去って行くわ
鼻をつまんで、鼠を見るような目をして離れて行くわ
焦げた生地の端を避けて、汗で滲んだ額を睨んで
私を置いていなくなってしまう
蝕むつもりなんてなかったのに
腐るには早過ぎたはずの花は、毒にまみれて枯れ果てる
あなたは、あなただけは傍に居て
この手を握って泣いてほしい
この胸に縋って惜しんでほしい
ねえ、どうか此処に居て
だって私、死ぬ気で踊ったのよ
あなたの為に、ただあなただけの為に
報われなければきっと、百年先まで笑ってしまう
だからもう一度言うわ
丸くて柔い耳元で、あなたを呼んで懇願するわ
どうか私を、
(True Love)
小さな鳥が空を飛んでいる
帰る場所などない陳腐な袋なら逃げ続けている
透き通る怪物は意思もないのに追い回す
風が止むまで強いられる間抜けな鬼ごっこ
彼らが何を思うかなんて、知ったことじゃない
暴れる風よ、返してほしい
かつてあなたが攫った小さな心を
なんて、知ったことじゃないよな
煽られるままに揺らめく髪が視界を遮る
振り払っても、掻き分けても
寄せては返す波のように、濁った瞳を隠している
昨日のことも覚えていない
得たはずの学びは砂に紛れ、同じ過ちを繰り返す
飽きもせずに、諦めもせずに、ただ規則的に上下する胸
乾いた喉が伝えることは何もない
言葉はとうに掌から旅立って
そうか、手放したのはこの両手だった
自由を押し付けて悦に浸る
朽ちた愛を嘆き涙を流す
私は優しい人、私は正しい人
なんて、胃が爛れそうだ
空白になったはずなのに、吐き気が止まらない
私は何がしたかったのだろう
何を持ち、何を目指していたのだろう
投げ捨てたはずの心は焼けた心臓に再び芽吹く
結局、人は無色になどなれはしない
息を顰めても滲み出す涙痕が頬に錆び付いて
空、見上げた私を、大きな影が横切っていく
去り行く鳥は知らないだろう
地底からこそ見える景色があるのだと
(飛べ)
ほんの小さな一言で世界は壊れる
鼻で笑い飛ばす警句に、私は何を学んだだろう
昨日まで肩を並べた戦友は、今や賊を狩る従僕となって
唾を飛ばしながら血走った形相で
よくも友を、と義憤の旗を振り上げている
友よ、友よ、憎き仇敵を穿ってやるぞと槍を掲げている
次第に狭まる輪は氷より冷たく、雷より喧しい
何気ない一言がこの地獄を招いたのだ
ならばどうすれば良かったのだろう
返す言葉はなく、兵は裏返った目から血を流して死んだ
晴れていたはずの空が雲が覆い、やがて大粒の雨が降る
甲高い声でケタケタと笑う女神は
ふと迸る悪意の閃きのまま、あなたを突き飛ばす
跳ねた泥は白い頬を汚し、湧き上がる絶望を彩るだろう
従僕は彼女を囲んで、よく似た目で、口で、ケタケタと
追い縋る手を踏み付けて
細やかな一言を喉元に突き付けて燃え盛る
揺らめく炎はついに魔手を伸ばして
磔にされたあなたを顧みず火刑は執り行われる
少なくとも痛みは無い、肌を刺す熱はない
けれど潰える心はどこへ向かえば良いのだろう
あなたは綺麗と称賛した唇で
あの子は醜いと言いふらす
あなたの努力に倣いたいと誓った拳で
結晶の悉くを砕いて嘲る
こんなに惨めな体を引き摺って
こんなに哀れな塵を積み上げて
あなたに生きる権利などあると思ったの
彼女は笑う、皆が笑う、ケタケタ、ケタケタと
糸より細い絆も、紙より薄い信頼も
締め上げられて折れた首が、今もないている
何気なく穿たれた一言が、いつか彼女を壊しますように
不幸な輪廻から私は何も得ないだろう
花知らぬ日陰者は空想に酔い痴れて
帰らない返事に頬を染めるわ
(真昼の夢)