壊れた月の残骸が、今も路傍に転がっている
物言わぬ岩はやがて忘れられて
冴え渡る白銀は初めから存在しなかった
蜃気楼のように
旅人の心にのみ焼き付いて、終焉まで連れ添うのか
鏡の向こうから
淀んだ眼差しが絡み付いて、寝怖る耳に垂らす災禍
繰り返し責める、まるで波長の合わない声
お前は誰だ
そう叫ぶ時だけは親友になれた
奇怪な足取りで探る息遣い
空になった肺を毒で満たして
剥き出しの頭で粗末な穢れを炙り出しては
自己満足に酔い痴れて
駄菓子のように脆い言葉で、爛れた愛を包んで贈る
臓腑も骨も弾丸に、膿んだ口元から吐き出す日々
もう懲り懲りだ
飽き飽きだ
草臥れた霊をぶら下げて
だから私は戸を叩いた
崩れる体で登る大輪を見つめる
足が落ち、もう立ち上がることは叶わない
澄んだ空気は罪を糾さず、されど沈黙もせず
風に紛れて詩を紡いだ
腕が落ち、胴が落ち、それでも空は果てしなく
純白の綿は贖いを求めず、空を滑り肥えていく
慰めでもなく、咎めるでもなく
等しく降る涙を蓄えて、山を越えて咲くまでは
残る頭は一句も残さず
石に揉まれて砂になって
微かな残り香だけを預けて眠る
白鳥だけが全て見つめていた
(夜が明けた。)
例えば、すっかり夜に身を預けた頃
立ち上がることすら億劫な暗闇の淵から
引き留めるような閃きが湧いてくる
明日には期限切れの救世主
必死に割れ目を繋ぎ合わせても
どこか歪んで褪せてしまう
そして罅割れた英雄は息絶える
その首を絞めたのは他ならぬ私なのに
感覚すらもう思い出せなくて
例えば、急かされるような五月の嵐
寝惚けた頭を横殴りに叩く風
怠惰へ誘う甘い声
例えば、見覚えのない煌めきの欠片
邪な夢を暴いて喰らう曳き網
手繰るほどに依存する虚構の海、悪意の尾
囁きが青白い喉を縊るたび、水浸しの英雄が蘇る
何度でも、死んだ魚の目をして立ち上がる
生まれなかった英雄譚に、確かに生きた亡霊
誰にも知られず、母にすら見捨てられた成れの果て
それはまだ私の背後に立っていて
痕が残るほど手首を握って、引き留めてくる
切り離された霞からは、声も想いも届かないけれど
悪い夢に苛まれるうちは、生きていこうと思うのだ
(ふとした瞬間)
願い続けた終焉に、今更抗う愚か者
罵声にこそ背を押され、軽やかな跳躍を
そうして宙に体を投げ出したなら
因果の滓も届かぬ孤独な星へ
透き通るあなたを連れて、どうか消えないようにと
握り締めた手を、同じ強さで返す熱がある限り
恥じぬ強さと愛しさを
ただ一つ揺るがぬ証明の為、立ち上がれたのだろう
私は今、銀河の波間を漂う亡霊
軋む音色を口遊み、潰えぬ愛を想って揺蕩う魚
あなたを守る岩、あなたが守る花
誰もが黄金の粒子に溶けて旅立ってしまった
あなたもそう、遥か昔
ただ幸あれと願う、私だけを呪った微笑みで
残火の慟哭は今も焼き付いて
せめて私を憎んでくれたならどれほど良かったか
暗闇に身を浸しても尚、この身を焦がす天の瞳
ゆえに私は宙を行く
もはや惑わぬ愛の証明
それは呪いのようで、祈りのようで
永遠をも飲み込む覚悟で、私はあなたのみ望む
慈悲ではなく執着を
博愛ではなく偏愛を
船出の代償に、それ以外の全てを手放そう
光なき旅路は罰に非ず、即ち空劫のしじま
欠片からやがて大輪へ、私はあなたを取り戻す
いつか目覚めるあなたが失意の涙を流しても
宙より暗い海淵に沈んでも
分け合った熱の理由は色褪せないのだから
(どんなに離れていても)
雨上がりの泥濘が引き留める
それでも朧月を追い掛けて
まだ濡れた葉を踏み締める
訪う客を見定める無数の眼
稲妻のような枝に切り付けられても
望むなら差し出そう
赤々と輝く胸を開いて
まるで壊れた映像記憶
見放された物語
微睡む体は薄明を拒むけれど
空に戴く、皓々たる円に惹かれて止まず
朔の夜は切なくて
潭月では満たされず
太陰に胸の奥まで曝け出して
黒焦げになった私を見てほしい
気付けば裸足のまま
逸る心は冷えた体を置き去りに
滲むばかりの月華を摘み取って
私だけを見てほしかった
鈴の鳴る音が聞こえる
私を、私を、私を呼んでいる
枯れた小枝が転がっている
今日の話はここでおしまい
(「こっちに恋」「愛にきて」)
清浄を謳い囲われた透明の檻
目に見えずとも、そこはきっと血と涙で出来ていた
息苦しさに喘いでも
澄ました顔で舞い踊ろうとも
得られる答えは変わらないまま
気紛れに伸ばした手は、熱に爛れて、鳥虫に啄まれ
生まれた頃から太陽に嫌われていた
訳も分からぬ喪失を埋めたくて
塗り潰された誰かを満たしたくて
懲りずに私は水底を蹴る
神々が手遊びに作り上げた小さな世界
捏ねられ生まれ落ちた人形達は
誰に唆されるまでもなく、創造主の真似事を始める
即ち遊戯、盤上から滴り朽ちるまで
遥かな時が流れても、言葉は刃に、指先は弾丸に
飛び交う砲撃で絶えず穴だらけの街ならば
仮面を被らねば一歩も外には出られない
池の隅で泡に揺られ転がるばかり
走り書きの顔では、路傍の花にも立ち向かえない
かつて導いた戦乱の終わり
失った太陽を追い求めるように
私は目を伏せ、冷えた掌から悉くを解き放った
この鎖した心を照らすものなど二度と訪わない
これが、凍えて眠る私への
宿痾とも呼ぶべき白日を落とした罰なのだと
穿つように拒んだのに
叫ぶ心を閉じ込めたのに
何度も何度も、繰り返し傷付けてきたのに
黒い両手がこじ開けて、当然とばかりに応えるから
人々は朝日の到来に背けない
私だって、そう、強引に手を引く黄金の帷を
悪態の裏で胸を弾ませ
射抜く蒼穹はきっと、逆様な心すら見透かして
無垢に笑う
悟りながら清くあり、足掻きながら美しい
私はあなたを、あなたは私を一心に浴びる
あなたは告げる
桜色の唇、燦然と輝く白皙の肌から
幾度擦れ違い、倒れ伏そうとも
二人は定められるまでもなく再会するだろう
それは呪いのようで、契りのようで
いつか世界が滅びても、きっと二人は邂逅する
例え流星の命でも、燃えて示そう
最も古き記憶から、変わらず絶えず灯る光を
(巡り逢い)