猫背の犬

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1/21/2026, 1:02:05 PM

「僕はただ君とって特別な夜をあげたかっただけなんだ」
朝になったらいろいろ面倒なことになって、たぶんこいつと俺はもう一緒に居られなくなる。
俺もこいつもこの街に住んでいけなくなることはおろか、自分を証明する類のすべてをドブに沈めなくてはいけない。
「あーあ、これで来世でも一緒になれないの決定だな」
「なんで」
「こんな悪いことした奴らを引き合わせる神様なんて、絶対に居ないからだよ」
木造の家が炎に飲まれていく焦げ臭さと、徐々に近づいてくるサイレンの音はどのような形態で生まれ変わったとしても、既存の記憶として刻まれていることだろう。
「間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた……僕は、僕はただ特別な……」
夕焼けの色に似た炎の光で照らされた絶望と悲愴に満ちた顔が見れたことが、確かに特別な夜だったのかもしれないと麻痺した脳が思い込む。
「お前は忘れていいよ、俺が忘れないから」
「——っ!」
錯乱した人間の頭をスコップでぶっ叩くって意外と興奮するなんて今日まで知らなかった。
偽造工作にしては荒すぎるかもしれないけど、もう時間がないからこれに関しての罰は、あとからまとめて受ける所存。
痙攣してる体に記憶を真っ白に染めてしまう薬剤を打ち込めば晴れて記憶喪失となり、こいつは一連の被害者で可哀想な青年として明日から扱われることになる。
「はなから二人で居ることなんて許されなかったし、お互いの心の真ん中に鎮座できる方法がこれしかなかったんだよ、ごめんな。まあ、お前は真っさらになっちゃったけどね」
普遍的な「特別な夜」では物足りない俺たちにはこれくらいの地獄がちょうどよかったんだ。
二人同時に耐え難い罰を受けて、いつか骨になって、灰になったときに落ち合える未来に繋がるこの夜こそが特別なんだ。
「——だから、お前は間違えてなんかないよ。ありがとうな」
これから一人きりになって全く知らない朝がやってきても、この特別な夜を忘れない。お前が忘れても、俺がずっと憶えてるから。

1/20/2026, 1:39:33 PM

——「手を繋いだままなら海の底だって苦しくないよ」
大人と子供の境目の夏、やっぱりまだ子供のままだった僕たちは海の底でイルカになった。
手を繋いでいれば苦しくはないかったし、あのまま海の底を漂ったらよかったと今更思う。
もっと深い藍を目指して、いつまでもふたりで泳いで居ればよかった。
そうすれば大人で居ることが、地上で息をしていくことが、こんなにも苦しいだなんて知る必要のない子供のままで居ることができたはずだ。
狭い水槽に閉じ込められ、薄い酸素ですれすれを生きることが大人になるということで、体が動かなくなるまで強いられるようだ。
きっとこの水槽のどこかに存在しているはずの君はなにを考え、なにを感じて今を生きているのだろうか。
濁った先入観とプライドが行動を阻めるせいで再会という選択肢を選べない僕たちは、お互いのことを知らないふりして窮屈な水槽の底でもがき続けている。
水槽の水面に見える空の藍がすぐ側にあるように見えるけど、それはただの屈折だということ見破ってしまうようなつまんない大人になった。差し込んだ光がゆらめく情景も幻だって思い込んでなにもよく見ようともしないし、なにも受け付けようともしない渇いて使い物にならなくなった心をまだ大事に持っているのは、イルカになった記憶を手放すことができないから。
薄い酸素を騙し騙し肺に取り入れる日々に違和感を抱きながらも妥協を重ねて、今日も水槽の底を漂う。
酸欠状態で朦朧とする意識の中、イルカになったあの夏の日へと想いを馳せている。
僕のすべてを食い尽くしてくれても構わないから、奇跡が起きてほしい。
君が僕を海の底へ連れ戻す未来が明日にでも、いいや今すぐにでも来てくれないだろうかと毎秒祈っている。
もう会うこともないし、叶わないってわかってるんだけど。

1/17/2026, 11:52:46 AM

木枯らしが吹いた頃に忽然と姿を消した君の残り香を感じながら、魔法が終わったことを悟った。

10/18/2025, 3:57:59 PM

光と霧の狭間で、まばたきをしている。目醒めているはずなのに、夢の中で見た背中を追い続けている。手を伸ばしてみるけど、指先すら届かない。これは後悔が見せる残像なのだろうか。ともすればやはりあの時、安い嘘なんて吐くべきじゃなかった。あの人の涙を拭い、手をとってやるべきだったのだ。

8/20/2025, 11:34:20 AM

「きっと忘れないって言ってくせに“誰、でしたっけ…?”だってさ。ホント笑っちゃうよな。あーあ…こんなことならあのとき殺しておけばよかった」



打ち上がる花火の音に混じった哀愁と不穏を忘れることができないまま、十年の月日が流れた。

むわっとした蒸し暑さと、鬱屈とした感情とは裏腹に煌びやかな花びらが舞う夜空と、隣に居たあいつの頬を照らしていた赤とか黄色。ぬるい夜風に靡く細い黒髪。
忘れていたわけじゃないけど、この季節になるとよりいっそう前のめりになる。思い出とかじゃなくて、僕の中にあるあいつへの感情みたいなやつ。
すべて夢だったんじゃないかと思う。けど、鈴虫の声を聴けば、あのときのビールの味が舌に蘇る。それから溶けそうなほど熱かった粘膜の感触も。だからたぶん夢とか思い込みじゃない。僕はそのせいでお酒が飲めなくなった。全く酔えないのに、頭がおかしくなりそうになるんだ。
過ぎた時間を、たどるように脳裏に映し出すと、後頭部が痛む。無意識に飼い慣らしていた本能が本領発揮をして、警鐘をしているのだろう。

過去として遠ざかるたび誰かを憎むあいつの顔は、ぼやけていくのに、あのとき六感が得た感覚だけが生々しい。生きているみたいに、意思や感情を持って息をしているみたいに、僕を掻き乱す。目の前にあるかのような。今まさに体現しているかのような。——けど、やっぱそれは、それだけは、あり得ない。冬が来る前にあいつは死んだから。把握できる視界のすべてから物理的に消えた。実態がない。もう会えない。どうにもならない。どうにも、どうすることも、できない。

「思い出せないほど俺のこと考えるようになったら……んー? えーと……だからその、思い出にできないほど常に頭の中に俺が居る状態になったら、一生解けない俺からの呪いだから受け取って」

寒気がするほど重たいことをへらへらと告げたあいつのあの感じ、あいつが漂わせていた独特な特有の哀愁と不穏さが、やっぱり忘れない。ずっとある。頭の中だけじゃない。僕のすべてにあいつが漂っている。この夏が過ぎても、次の夏が来ても、僕が相変わらず悶々としているであろうことは想像に容易い。

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