相も変わらず、この世界は鬼などの化生の類が跋扈している。
自分が鬼を斬る者を志したのは、両親がそうだったから。父は俺が産まれる前の大厄災で亡くなったと聞いた。
だから、母の背中を見て育った。
母は強い。家事、育児をこなしながら毎日鍛錬を欠かさなかった。そんなに忙しくしていて倒れないかと幼心にも心配していたが、あえてそうしていたのだと成長してから知る。
自らを追い込まなければ、多忙に飲まれなければ、父を失った悲しみを乗り越えられないのだと──。
剣の師範から、父と母はとても仲が良かったのだと聞いた。師範はかつて両親と同じ班で仕事をしていて、仲を取り持ったのだと自慢気に話していた。
俺はその話を聞くのが好きだ。父のことは母からも聞いていたが、一番の友だという師範から聞く父はまた違ったもので、飽きなかった。とても人間らしくて懐が深くて人望があって、でも母に対しては奥手だったとか。
稽古をしながら思う……父が守りたかったのは、きっとこういう日常だったのだ。
まだまだ鬼が人々の安全を脅かす日々──だが、この世界は、あたたかい人の温もりに満ちている。
それを守るために、俺もまた戦うんだ……母には恥ずかしくて言えないが。
師範に言うと、とても穏やかな顔で「君たちはやっぱり親子だね」と笑った。
【この世界は】
──どうして?
炎の中、涙も出なかった。
お父さんとお母さんは、目の前でころされてしまった。こわい顔をした男の人たちが、わたしから全部うばっていった。
──どうして?
「来い」
その中の一人が、わたしを抱っこして逃げ出した。一緒にしぬこともできないの?
──どうして?
「今日からお前は俺の弟子だ」
お父さんとお母さんをころした人が師匠になった。
追ってきたこわい人たちを、みんなみんなころしてしまった。
わたしを生かして、何になるの?
怒りも悲しみも、全部炎の中に置いてきたんだよ。今さら何の価値があるの?
強く抱きしめられて、鼓動を感じる。
ドクン、ドクンと。生きてる音がする。それだけで安心するなんて。
雨の日も雪の日も、師匠は幼いわたしを守るように腕に抱いた。
きっと、わたしに師匠はころせない。そうして空っぽになったわたしの中に、何かが満ちていく……
「俺は、誰も愛さない──」
言葉とは裏腹にわたしを包む優しい腕。
どうしてすがってしまうのだろう。あんなに憎くてこわかったのに、師匠が触れると溶けてしまう。
もうこの人なしでは生きていけないのだと、わかってしまった。
そう、降り積もる雪のような愛に、わたしは溺れてしまったんだ。
【どうして】
懐かしい声に引き込まれるように、今日も私は夢を見る。
夢の中で目を覚ますと、あの頃の日常があった。
あの人がまだいた日々は何もかも煌めいていて、恋い余る私に笑いかけるあの人が眩しくて。
「体は大事ないか?」
子の為、私の為に、体を張って戦う夫は誇らしくて、でもやっぱり心配だった。
鬼との戦いは激化しつつある。明日には死ぬかもしれない。明るい未来が想像できなかった。
ああ、どうか……私からあの人を奪わないで。
──祈りは虚しく、私は目を開いた。
現実に戻ると夫はいない。訃報が届いてどのくらい経っただろうか?
まだ幼い我が子を抱きながら、暗がりで泣いた。
どうして。どうして。
こんな悲しい気持ちになるために一緒になったわけではないのに。
母なのだから、強くあらねば……そう思っても心は柔らかく崩れてしまいそうだった。
白み始める空はいつも夢の終わり。私はずっと夢を見てたいのに。
涙を拭いた。平気なわけじゃない、全然駄目だ。
こうしてまた、あの人のいない新たな一日が始まるんだ……
【夢を見てたい】
「来い」
その一言だけ。弟子を抱き寄せ外套の中に入れる。
昔は蓑で乗り切っていたが、外套も悪くない。二人で身を寄せ合えば、真冬以外は野宿も何とかなるものだ。
とはいえ弟子も年頃になり、密着するのを嫌がるようになった。女として育てた覚えはないが、ちゃんと女になっているようだ。
師弟だが親子のように思っていた。甘えぬように、一人で生きていけるように、厳しくはした。だからたまには良いだろう──とは口にしない。
甘やかしているつもりで、本当に離れられないのは俺の方かもしれない。
「もう、子供じゃないんだけど」
不満そうな声がくぐもっている。抵抗しても無意味と悟ったか。
「今夜は寒さが身に染みる……諦めろ」
ぎゅうときつく抱き締めて離さない。
一体いつまでこうしていられるだろうか。
揺らめく焚き火を眺めながら、もう少し、この時が続くことを望んでしまう──ほのかにあたたかな夜だった。
【寒さが身に染みて】
幼馴染の彼女をベッドに組み敷いた世界は新鮮で。こんな日が来るなんて昔は思わなかった。
彼女は顔を真っ赤にして俺を見上げている。動揺して泳いでいる目が可愛い。
キスの雨を降らせると恥ずかしがりながらも目をつぶって俺に身を委ねる……今にも理性がぶち切れそうだが。
「あれ……?」
間の抜けた彼女の声。
俺はキス攻撃をやめてベッドに座る。その行動が想定外だったのだろう、彼女は頭の上にはてなを浮かべて上体を起こした。
「ごめん、今はそれ以上はできないんだ」
「え……?」
「君のお父さんとの約束でさ。『うちの娘を託してもいい。でも20歳までは手を出さないでくれ』って言われてるんだ。お堅いよねぇ……ま、君のお父さんらしいけど」
ファザコンの彼女にとっては嬉しいことだろう。自分を思っての発言なのだから。
「20歳って……あと何年待てばいいのさ」
「えぇと、君は今17だから……あと3年だね?俺も我慢するから一緒にがんば」
頑張ろうよと言わせてほしかった。
が、顔に投げられたクッションが直撃して言えなかった。
「バーーカ!そんなに待てるかっての!もういい、別れる!バイバイ!」
怒った彼女は部屋を出て行ってしまった。そんなに俺のこと好きだったのだろうか?
とにかく、約束は守ってますよお父さん──
さあ、これからどう仲直りしようか。
【20歳】