「アンタ、顔赤くない?もしかして酔っ払ってる?昼だけど」
「まさか。仕事前に飲む程私は不真面目ではないよ」
珍しく同僚から話しかけてきたと思ったら、飲酒を疑われていた。否定はしたが、とても不名誉だ。
「熱でもあるんじゃないか?」
彼女に呼ばれてきたのか、友人が顔を覗き込んできた。
熱?私は丈夫な体だから、熱など出た記憶はない。
「師範、大丈夫?」
「無理しないで休んでろよな」
弟子たちもぞろぞろと出てきて私は囲まれた。
特にだるくもなかったが、確かに少し体が熱を持ってる感覚はある。
そして、半ば強引に自室へ追いやられ、ベッドに横になった。
「珍しいな、お前が風邪を引くだなんて」
「風邪……?」
思わず聞き返す。
同僚たちは呆れた顔をする。何故だろう。
「粥でも作ってくるから、大人しくしてろよ」
「私もー!師範、起きたらダメだからね!」
弟子たちに命令までされてしまった。
「お前は無理しすぎだ、いつか過労死するぞ。だからあれ程休めと言ったのに……」
「まぁ、いい機会じゃない?しっかり休んで早く復帰しなよ。仕事たまってんだから」
耳は痛いが、こうして見守られているのが嬉しくて、つい笑ってしまう。
「すまない、お言葉に甘えて今日は休ませてもらう」
「何か欲しいものはあるか?」
「いや、無いよ」
私の欲しいものは今、目の前にあるのだから。
こんなあたたかな気持ちなるのなら、風邪を引くのも悪くはないな──不謹慎だがそう思った日だった。
【風邪】
紅葉が散り、実りの秋が終わりを告げる。
外に出ると吐く息は白く、冷たい空気に肌がぴりりと引き締まる。
「まだ降らないのな」
ぽつりと独り言を漏らすと、ちょうど家から出てきた妻に聞かれていたようで。
「雪?好きだねぇ。私は寒いの苦手だからわかんないけど」
「子供の頃はいつも雪が降るのが待ち遠しくてな。朝起きるのが楽しみでわくわくしてたんだ」
「へぇ、かわいいとこあるじゃん」
妻は笑う。かわいいと言われてだいぶ複雑だがまぁそれはいい。
「雪が降ったら何するの?」
「そうだな……かまくら作ったり、雪だるま作ったり」
「やっぱりかわいいねアンタ。雪合戦って言うかと思ってたのに」
「笑うな」
またかわいいと言われてしまった。別にいいだろう、男が雪だるまを作ったって。
「拗ねちゃった?ごめんごめん」
「拗ねてない」
「今年は私も一緒に作るからさ?」
「そうか……じゃあ、余計に待ち遠しいな」
そうだ、俺には妻がいる。
来年、再来年あたりには家族が増えているかもしれない。寒い寒いと言いながら、皆で雪遊びをするのも良いかもしれないと思う。
そんなあたたかな未来のことを頭に思い描いて、今日もひっそりと雪を待とう。
【雪を待つ】
クリスマスまでには絶対に彼氏が欲しい!と思っていたけど、友達も私もなかなかに厳しい戦いをしている。
そう簡単に彼氏なんかできないって。言っちゃったら夢がないから言わないよ。思うだけ。
さて、朝は気になる大人の彼を待ち伏せしている私だけど、帰りもバッチリやってるんだな、実は。
部活をしたあと友達と喋ったりして遅くなると、たまに早上がりの彼と会える時がある。むしろそれを狙ってやっている。
「お疲れ様!」
「……警察を呼ぶぞ」
今日も冷たい視線にぞくぞくする。
って、違う、そうじゃない!やっぱりストーカー扱いされてる!
いや、やってることはそうかもしれないけど。女子高生ですよ?ちょっとは嬉しくないのかな?
「暗いから子供は早く帰れ」
「あっ、イルミネーション!」
彼の言葉に被せてイルミネーションを発見、指を差した。駅近くの広場に大きなツリーがある。LEDライトが幻想的で、寒いけど冬はこれがあるからいいんだよね。
恋人同士じゃないのに一緒に見られて幸せだなぁ、と思ったら笑っていた。
「んふふ」
彼がドン引きしているのが見えたけど、別にいいや。
「また来年も一緒に見たいね!」
ハァ、と溜め息をついて頭を掻く彼。困っている顔もかっこよくて大好き。
その隣は今年も来年も、誰にも譲らないんだから。
【イルミネーション】
「あ、また枯れてる……何でだろ」
「へぇ、君に植物を育てる趣味があるとは知らなかったな」
幼馴染みがキッチンでぼやいたから。後ろから覗きこんだら素早い裏拳で殴られた。
「父さんにハーブの種を貰ったから、育ててみただけだし!」
「なるほど、ファザコンが過ぎるというわけだね。で、何回枯らしたのかな?」
意地悪い質問をすると彼女は小さな鉢を抱えたまま黙りこくってしまう。
俺の知ってる彼女は体育会系で、ストイックに毎日体を鍛え続ける真面目な女子だ。植物の世話は今始めて知ったが、水やりをサボって水不足になることはない筈だ。
鉢の中の土を見てみても、充分に濡れている。
「きっと、水のやりすぎだね。根が腐っているのかも」
「えっ?」
「毎日水をあげていただろう?愛情を注ぐのはいいことだけど、過ぎるとよくないこともある」
「う……」
無知が恥ずかしいのか、落ち込んでいるのか……彼女はがくりと項垂れた。
「植物の分、俺に愛を注いでくれると嬉しいんだけどね?」
「だ、誰がアンタなんかにっ……」
「はは、顔が赤いよ? まぁ、半分冗談だけど。種はまだあるかな?今度は俺も一緒に育てるから」
彼女は目を丸くして驚いた。
お父さんを喜ばせたいんだろう?と言うと素直に頷くのがいじらしくて、俺は笑ってしまった。
愛は適度に与えたいものだね。
【愛を注いで】
“化け物”と呼ばれていた私には、親しい友人がいなかった。
人の心がわからなかった。
皆どうして平気で人を陥れるのだろうか?
皆どうして私が楽しいと思うことが楽しくないのだろう?
人らしく振る舞おうとしても、何処かずれていて。疎外感の中で生きてきた。
「今日から貴殿──否、お前が俺の部下か」
突然現れた年上のいかにも堅そうな男は言った。
話には聞いていた。新しい部隊を作ると。
その男は見た目通り真面目で、真っ直ぐで、嘘がなかった。
「やはりお前は人間だ」
温かい言葉をくれた。
私が間違ったことをすれば叱り、面白ければ笑い、そうして共に過ごす時間はかけがえのないものになっていった。
価値観は違うことも多いが、私を人として扱い接する……そんな男に惹かれていくのは自然なことだった。きっと異性ならば恋でもしていただろう。
──そして、男の訃報を聞いた。
戦場から亡骸すら帰って来ない。
絶望の中、私は人を殺して食らい続けた。
何を悲しむ必要がある、かつて化け物と呼ばれていた頃に戻っただけだ。ほんの少し、楽しい夢を見ていただけなんだ。
何年もの楽しかった日々が思い出される。
心と心を繋いだあの温かさが、今はひどく愛しい。
「ああ、君がせっかく……私を人にしてくれたのに」
ごめん、と血溜まりの中で涙を流した。
【心と心】