一目惚れだった。
部下として配属された十七歳の女子相手に、三十路のおっさんが何をどぎまぎしてるのか。
色恋にかまけている場合ではないのに、つい目で追ってしまっていた。
「班長」
「……何だ」
「そろそろ休憩では?」
突然意中の女子に声を掛けられた。じろじろ見ていて気持ち悪い、と言われるかと思って変な汗が出たが。どうやら違ったようだ。
差し出された手には握り飯……皆に作ってくれたのか。
「あぁ、悪いな。そういえば腹が減った……皆喜ぶだろう」
「────から」
「ん?」
「班長にしか、作ってないから」
聞き返したら、女子は顔を赤くしてそう言った。
「お、おぉ……そうか」
「ちゃんと、食べて」
「おう……助かる」
「私はさっき休んだ時に食べたから。じゃあ」
ふわりと髪をなびかせて女子は行ってしまう。動いた時に見えた耳も赤かった。
淡々としていたが、あれは。急に顔に熱が集まり、口元が緩んでしまいそうなのを耐える。
「でかいな……」
俺の為だけに作られた、歪な形の握り飯は拳よりもずっと大きかった。
同僚が来て冷やかされる前に早く食ってしまおう。
何でもないフリは俺にはとても出来そうにないから。
【何でもないフリ】
彼女に嫌われていることは知っていた。
「アンタさぁ」
「邪魔なんだけど」
「クソ野郎」
罵られるのなんて日常茶飯事だった。
理由はわからない。ただ、友人──彼女の好きな男と喋っているだけで睨まれたから、嫉妬なのかもしれない。私は男だが。
「その顔で御役所仕事に戻るつもり?みっともないから拭きなさいよ」
先の戦いで顔に浴びた返り血を、男勝りの彼女は少し乱暴に手拭いで綺麗にしてくれる。
そう、彼女は優しくもあった。
「今日はどうしたんだい?明日槍でも降るのかな?」
「そこは『ありがとう』でしょうが、この礼儀知らずの馬鹿野郎!仲間に感謝しな!」
凄まじい速さで頭を思いっきり叩かれた。
仲間……仲間か。その響きが少しむず痒く、また心が温まるような心地がした。
時は流れ、私の友人と彼女は恋仲になり、結婚した。そして友人は彼女と子供を残し、すぐに亡くなった。
彼女は泣いた。ひどく憔悴し、見ていられない程に痩せた。
“仲間”──昔彼女に貰った言葉がちらつく。
今度は私が言ってあげたら……彼女は心が温まるだろうか?
部屋に彼女を呼び出す。
だがもう、駄目だと悟った。彼女は既にひび割れてしまっていた。
愛する夫を失い冷え切ってしまった両手を束ね……私は作った笑顔で彼女を壊すように抱くしかなかった。
自らも友人を失った心の穴を埋めたかったが、それもどうにもならなかった。ただただ、悲しみが増すだけの行為だった。
「──もう、ここには来ない」
朝方、彼女は掠れた声でそれだけ言うと、部屋を出て行った。
もうあの温かさに触れることはできないのだ。
あんなに大切にしていたものを、ぐちゃぐちゃにしてしまった。その後悔は、死ぬまでずっと忘れることはないだろう。
【仲間】
付き合って初めて相手の家に来た。
付き合うまでも硬派な男と距離を詰めるのに時間がかかった。家で何をすればいい?何も考えないで来てしまったけど、どうにかなったらどうするんだ私は……!
「茶……飲むか?」
「う、うん!」
声が裏返った。柄にもなく緊張している、恥ずかしい。
「そんなに警戒しなくても……何もしないから」
「うん……え?」
しないのかい!
いや何期待してたんだ私!
「最近ゆっくり休む暇なかっただろ。それに、話もしたいと思ってたから」
「へ?!」
何もしないって言ったのに、手を握られた。
たったそれだけのことなのに、全身が熱くなる。
「悪い……その、今日はこれだけさせてくれ。嫌だったら殴ってくれて構わない」
いやなもんか、めちゃくちゃ嬉しい。
さっきから心臓がうるさくて話なんかできそうにないけど。
「すまん……上手く話ができそうにない」
耳が真っ赤になっている。緊張してるのはお揃いなんだと思ったら笑いが込み上げてきた。
「そんなにおかしいか?」
「おかしいとも。ねぇ、もう少しこのままでいない?……慣れるまで」
「あぁ」
向かい合って手を繋いで。
私たちはゆっくり始めていこう。
【手を繋いで】
また死者が出た。
仕方ない、人は脆いのだから。私のように傷がすぐ治癒することも、なくなった部位が再生することもない。
顔に布が被せられた遺体が次々と運ばれてくる。わかる。あの子も、あっちの子も皆、私が武術を教えた。生きて帰ってくるように、出立前に発破を掛けたのだが、それでも犠牲は出るものだ。
「準備ができました。いかがしますか?」
部下が後ろにやってきて報告した。
わかっている、感傷に浸っている暇などない。そんな資格もない。
「燃やせ」
一言、命令して踵を返す。
早急に次の駒を準備しなければ。私たちはこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだから。涙一滴すら流さない私を許さなくていい。
火葬場から聞こえるごうごうという音が、死者の悲鳴に聞こえた。
大丈夫。あとは任せて、ゆっくり眠るがいい。
「ありがとう、ごめんね」
無駄にはしない、君たちの死は誰一人として。
必ず、誰もが笑って暮らせる日を……私が連れてくると誓うとも。
【ありがとう、ごめんね】
久しぶりに実家に帰った。
日が暮れてきたため部屋は薄暗い。壁にあるスイッチで灯りをつける。近所はほとんど和風の造りだが、祖父が生粋の英国人のためこの実家も西洋造りにしてあるのだ。
シャンデリアの光が届かない部屋の片隅で、ぼうと暗い影が動いた。
「やぁ、姉さん。久しぶりに来たよ」
影は返事をしない。
「そんな隅っこにいないでこっちに来たら?」
声掛けに俯いていた顔が上がった。
人形のように美しい顔。
太陽の光に当たれば白く輝く美しいプラチナブロンドが揺れた。血の気のない頬……無表情のままこちらを見る瞳は宝石のような綺麗な金眼。
「今日は罵らないのかな? 鞭で叩かないのかい? 私が……いや、ボクが来てあげたっていうのに」
姉は途端にたじろいだ。にっこりと笑ってみせれば、怯えたように闇に溶けて消えて行った。
「つまらないな」
ソファに座って天井を見上げる。
私を虐待していた美しい姉は、僅か十歳でその生涯を終えた。義理の弟──私に惨殺されて、食べられた……そんな話を誰が信じるだろうか?
不義の子である私が憎かったのだろうが、私は彼女が心底美しいと思っていた。好意すら寄せていた。それが気持ち悪かったのなら、仕方ない。
部屋の片隅に現れる彼女は、私の作り出した幻想なのだろうか?
もし化けて出ていたのなら、また掴めるのなら……
「また、食べてみたいな」
姉とひとつになった私の金眼が、鏡に映って楽しそうに笑った。
【部屋の片隅で】