よく見慣れた逆さまの景色。
私は縄で縛られた上に高い木から吊るされているところだ。
「師匠ーーー」
ぶらぶら揺れつつ呼んでみても返事はない。
何でこんなことになっているかって?そりゃあ勿論お仕置きだ。言いつけを守らないとたまにこうなる。
そろそろ限界かもしれない……そんな私を見かねてか、師匠が姿を現した。手に雉を持ってるから今日は鍋かな?なーんて。
へらりと笑ったのが気に入らなかったのか、師匠は苦無で私を吊るしていた縄を切った。
「わっ!」
頭から落ちる!
と思ったけど抱き止められていて。ホッとした次の瞬間には地面に投げられていたけど。
「何をしている、縄抜けくらいできるだろう」
「んまぁ、できるけど」
師匠に教わった縄抜けでするすると自由を手に入れた。しっかり縛られていたから全身痛いんですけど……
「雉も撃たれて落ちる時に逆さまになるのかな?」
「雉は高くは飛ばん、逆さまにはならんだろうな」
「あっ、そうですか……」
「なるのはお前くらいだ」
「はい……」
師匠が雉を捌くのを手伝う。
実は逆さまもちょっと面白いんだよ、と言おうとしたけどやめておいた。次のお仕置きがもっときつくなるような予感がするから、ね。
【逆さま】
──最近寝つきが悪い。
ベッドの中でもぞりと寝返りを打って、思い出すのは彼のこと。
高校に入学してすぐ、私のところに知らない男子がいきなり「俺と付き合え!」と怒鳴りこんできた。
私は覚えてないけど、昔会ったことがあるとかなんとか。
それから毎日私のところにやってくる彼。顔は嫌いじゃないけど、むしろ整ってていいと思うけど……何で私なのかわからない。
──最近寝つきが悪い。
寝返りをして布団からはみ出した。布団でよかった。眠れないのはアイツのせい。
高校で再会した時は焦った。焦っていきなり告白したけど、それは誰にも取られたくなかったから。
毎日告白してる気がするな、さすがに重いか?手作りのお菓子は引かれたかもしれない。女子力がどうとか言われた。次は弁当でも作って……やっぱり重いか?
──幼馴染みのアイツに相談してみようかしら?何だか彼と知り合いみたいな雰囲気だったし。剣道一筋で恋愛には疎そうだけど。
──昔からのダチに相談してみよう。俺の好きなやつの幼馴染みなんて許しがたいけど、昔から応援してくれるいい奴だ。
時計は午前零時を過ぎていた。
──何でこんなに悩まなきゃいけないのかしら。
──何でこんなに好きなんだろ。
【眠れないほど】
気がつくと、視界は白い霧で奪われていた。森の中を歩いていた筈だが、木すらもよく見えない。足の感覚を頼りに川沿いを歩く。
次第に霧は薄くなり、彼岸花が群生しているのが見える……ふとここは彼岸か、などと思い足が止まった。
見られている──そう直感して視線の主へと顔を向けた。目を凝らす……其処には、俺が殺した時のままの彼女がいた。
これは、夢だ。そう思うより他ない。確かにこの手で、短刀を胸に突き立て殺したのだから。流れ出るあたたかい血も、弱くなっていく彼女の呼吸も確認した。そして炎の中に捨て置いた。俺が殺した。俺を恋い慕っていた彼女はあの瞬間、誰にも汚されることなく綺麗なまま、永遠に俺のものになった。
だが、俺はどうだ?
彼女が欲しくて欲しくて、仕方なかった。その瞳を抉りだしたい衝動にいつも駆られていた。俺を心中に誘ったその潤んだ瞳に魅入られた。
そう、ただ欲しかっただけだ。
「俺は、アンタを愛していない」
嫌がる彼女の腕を掴んで、思いの丈をぶちまけた。こんな告白、する予定などなかった。顔が熱い。
彼女は今更だと呆れて笑った。柔らかく微笑んだ。恋焦がれた瞳に涙を浮かべて。
「いつかまた、会えるわ」
目が覚めると森の中だった。木にもたれかかるようにして寝ていた。
夢かと思ったがそうでもないらしい。
唇に蘇る彼女の熱は、確かに本物で現実だった。
そしてこれで永遠の別れだと悟った。
【夢と現実】
彼岸花が辺り一面に咲く此処で、彼を待っていた。何年も待った。
早く、早く、堕ちて来ないかしら。
私を殺して、少しは後悔したでしょう?
私のことが忘れられないでしょう?
私に会いたいでしょう?
幾ら待っても来ないから、もう地獄でも何処でも行ってしまおうかと思っていた時……突然彼はやって来た。
あの頃のままの私を見て、驚いた。
「俺は、アンタを愛していない」
突然何を言うかと思ったら。傷つくんだけど。
「だが」
「やめて、聞きたくない!」
「聞け!」
耳を塞いだけど、その手を掴まれた。
「愛してはいないが……焦がれる程に欲しかった」
「え?」
「共に過ごす穏やかな日々と、笑顔が、永遠に欲しいと思った。馬鹿だろう?笑って構わない」
寡黙な彼が早口でそう言った。私が欲しいと、確かに……
「馬鹿ね。今更そんなこと言ったって、私はあなたのものにはならないのに」
彼の手が私の頬を包んだ。
重なった唇から伝わる熱が、未消化だった心と後悔を溶かしていく──
「いかなくちゃ」
揺れる彼の瞳。ここで離れたら、二度と会えない気がして怖かった。
でもまだ彼には生きてやるべきことがある……そう思ったから。一緒にいけたらどんなに幸せだったことか。
「いつかまた、会えるわ」
精一杯の笑顔で、終わらせたいから。
ねぇ、私のあなた。忘れない。
だから、別れの言葉は言わないで──
【さよならは言わないで】
命令だからと仕方なく、自らの手を血に染めてきた。もう何が目的なのかわからなくなってきた。毎日殺せ殺せと命令される。
──首を斬る
背いたら駄目だ。
──胸を刺す
ただ任務を遂行しろ。
斬った人間の叫び声と呻き声が耳から離れない。斬った感触とあたたかい返り血で吐き気がする。
こんなの違う。
自分の信念とは違うんだ。こんなことがやりたくてあの方に仕えたわけじゃない。
一体いつになったら終わる?
いつになったら解放される……?
「────」
名前を呼ばれた気がして振り返る。
待ち望んでいた光が差した。
「もう、よい……戻れ」
ああ、許された。
安堵で全身の力が抜けていく。俺は戻るんだ、あの方の元に。
『許さない』
声がした。
足元を見ると、斬り殺した筈の人間たちが腹這いになって俺の足を掴んでいる。
数えきれないくらいの人が俺の後ろに並んでいた。
そうか、これが、この先人生で背負っていかなければならない罪の数か──
引き摺る足は重く……罪に鎖で繋がれたまま、たった一人の主の元へと歩き出した。
【光と闇の狭間で】