今日こそは、今日こそは、絶対に仲良くなってみせる……!
そう意気込んだ朝。聞いて驚け、片思い中の彼を待ち伏せして偶然を装い一緒に登校する……これ毎日やってる完璧な作戦。
「おはよう、ございますっ!」
「……ああ」
今朝もまた撃沈。全然興味ないって顔された。無視されないだけまだマシなのかもしれないけど。
紺のスーツをびしっと着こなした大人な彼は涼しい顔で歩いている。横顔もカッコイイ。ストライプのネクタイ、綺麗に磨かれた黒い革靴……そして整った顔にシャープな印象を醸し出す眼鏡。最高じゃない?
私は学生で、彼は社会人。歳は離れてるけど好きになっちゃったんだもん。仕方ないじゃん。
彼の視線が挨拶の時以外私に向くことはない、それもわかってる。でも全然縮まらない距離にやきもきしてる。どうしたら振り向いてくれるの?メイクかな、それとも髪……そんなことを考えながら歩く。
グ──と。唐突に、腕を引っ張られる。何が起こったかわからない。私は彼にくっついていて。何このご褒美?
減速した車の中の人がこっちを睨みながら通り過ぎていく。あれ?もしかして轢かれそうだった?気づかなかった……
彼の顔を恐る恐る見上げると、眉間に皺が寄っていて、めちゃくちゃ怒ってる。やばい、嫌われる……
「死にたいのか、君は」
「あー……ごめんなさい、死にたくない、です」
「勘違いのないように言うが……いくら君がストーカーであっても、死なれては寝覚めが悪いだけだからな」
「はい……えっ?!ストっ」
「ストーカーだろう」
呆れたような彼の顔。そりゃちょっとは自覚あったけど、まさかストーカーと思われていたなんて!というか直球すぎませんか?恋する乙女になんてことを!
「……程々にな」
呆然とする私にそう言い放って、彼は足早に去って行った。
「ただ好きなだけなのに〜〜〜!」
この恋は前途多難すぎる……!
残された私は拳を握りしめて佇むことしかできなかった。彼に一瞬触れたところが熱くて、今日はずっと動悸が止まらない……かもしれない。
【距離】
私の好きなアイスブルーの瞳が揺れた。
彼は恥じらうことなく涙を流して言った──「君を愛してる」と。
何度目かのその告白は、私の心を穏やかに満たしてくれる。
「何であなたが泣くのよ」
私も涙ぐんでいるけれど。
「すまない、何だか込み上げてきて……」
嬉しかった。彼の瞳に映るのがいつも私であることが。そして、こうして愛の言葉を聞けることが。
「本当にしょうがないわね」
「呆れたか?」
頬に触れる手には躊躇いがあった。今更何を遠慮しているのやら。でも、私には誠実で優しくありたいという彼の気持ちが伝わってきて、それもたまらなく嬉しくて。
「ううん、そんなことない。でもほら……もう泣かないで、涙を拭いて?笑ってるあなたが見たいわ」
指でやさしく拭うと、彼は照れくさそうな顔をした。
【泣かないで】
すっかり秋が深まった今日この頃。
朝の冷たい空気に軽く身震いしながらも外へ出た。子供たちは駆け出したと思ったら歓声を上げる。
「わあ、霜柱!」
「たくさんある!」
踏んでざくざく音が鳴るのが楽しいのだろう。はしゃいで探し回っている。
散歩に使う遊歩道にはもみじの紅い絨毯が敷かれていた。
「寒いね」
「ああ、明日からはマフラーが要るな」
子供たちの後ろを大人はゆっくりとついて歩く。ちょこん、と指先が触れた。
「手袋もいるかもね」
「そうだな……とりあえず、今日はこれな」
繫がった手から伝わる、温もり。
冬の始まりは、いつも寒くて、こんなにも温かいのだ。
【冬の始まり】
「ねぇ、次は櫛を買ってきてほしいの」
「我儘なお嬢様だな」
呆れた彼の横顔を見てくすくす笑う。
私は知ってる、頼まれれば彼は断われない。雇われ用心棒なんて、私の一言で首が飛んでしまうんだから。
病気で外に出掛けることができないから、買い物は人に頼まないといけなかった。ここ最近は彼がその係。本当は用心棒だけど、雑用係と言ってもいいくらい。
「アンティーク風の櫛がいいな」
「どんなだ」
「色は何でもいいんだけど、花柄で、宝石もついてた方がいいかしら。とにかく、私に似合うやつ買ってきて!」
無茶なことを言って彼を困らせるのが楽しかった。彼は私への当てつけか、大袈裟に溜め息を吐いて立ち上がる。羽織りを私の肩にかけて、部屋から出るなと釘を刺す。
「あ、待って」
部屋を出る彼を呼び留めようとして体勢を崩した。
「危なっかしいな、アンタ」
彼に抱き止められていた。
嬉しい。ただ、嬉しい。こんなことをしなければ触れ合えないなんて少し切ないけど。偶然に感謝した。
終わらせないで──この幸せな日々を。
ずっと続きますように……神様、お願い。
「あ……」
胸に突き立てられた短刀を見た。
流れ出る血、凄絶な痛み……私はどうしてこうなったのだろう?
彼は呆然と立ち尽くしていた。ねぇ、どうしてこんなことをしたの?もう何も聞こえない。桜の花びらが風で舞い散って綺麗だった。
彼は一瞬悲しそうな顔をして私を抱き締めた。
どうして──?
すごく痛いのに、悲しいのに。
彼に抱き締められているだけで、今この時を「終わらせないで」と思ってしまうの。
【終わらせないで】
父が亡くなって、もう何度目かの盆を迎えた。
墓前で手を合わせる。隣には夫。
「何度も来てるのに……慣れないわね」
込み上げてくるものがある。子供を庇ったという最期はとても父らしい。ひとつの小さな命が助かったことは喜ばしいことなのに、それでもやっぱり私には父が必要だった。生きていてほしかった。
そっと、肩に優しく触れる手があった。夫だろうかと思って隣を見ると、まだ目を閉じて手を合わせている。後ろを振り返ってみても誰もいない。
「父さん?」
幽霊とかの類が苦手なのに、そう思ってしまった。
「どうした?」
「いや、今肩に」
確かにあたたかい手が……と言うと、夫は笑った。
「そうじゃねぇの?お前のことずっと心配なんだよ。いつまで経っても俺には任せらんないってか……結構厳しいな」
泣けることを言ってくれる。でも、夫がいるおかげで今の私が在るんだから。もっと自信持ってほしいな──とは言えずに横顔をただ見つめていた。
「帰るか」
「うん」
夫からそっと繋いだ手。なんだか嬉しくて握り返した。ちゃんと伝わっているよ……不器用だけど、いつも感謝してる。
「ありがとね」
何が、という顔の夫。
今なお父に見守られ、夫に支えられ……私は果報者だわ。自然と笑顔になる。
「何がだよ、ちゃんと言えって」
「ん、秘密」
今日は美味しいものでも食べよう。また泣いてしまうかもしれないけど、その時はあなたに触れたい。
明日も明後日も、その先も、いい日でありますように。
ずっとずっと、幸せを紡いでいけるように頑張るから。父さん、見ていてね──
【愛情】