【寂しくて】
夕方のグラウンドにボールの転がる音だけが響いていた。
二人で放課後に残るのが、いつの間にか日課になっていた。
話すことがなくても、黙ってキャッチボールをしているだけで妙に落ち着いた。
「大学、どうするん?」
ぽつりと呟かれた声にボールを握る手が止まった。
「まだわからん。お前は?」
「俺はもう決まっとる。遠くの学校やねん。」
そう言って笑った顔が、少しだけ寂しそうだった。
それからのボールは、どこか重く感じた。
いつも通りの距離なのに、投げても届かないような気がした。
風が強くなり、夕日が沈む。
帰り道、二人ともほとんど話さなかった。
街灯の下で別れ際に、彼は小さく手を振った。
「またな。」
その声に「おう。」と答えたけれど、もう次がある保証はどこにもなかった。
夜、部屋の隅に置かれたグローブを見つめる。
ただの道具のはずなのに、そこにあいつの声が染みついている気がした。
寂しいのはいなくなることじゃない。
心のどこかに、もう一人分の居場所が空いてしまうことなんだと思った。
【心の境界線】
昼休みの屋上。
風が少し冷えて、空がやけに広く見えた。
二人で並んで、コンビニのパンをかじっている。
話すでもなく、ただ街のざわめきを眺めていた。
「昨日、また寝坊したんやってな。」
「うるさい、ギリギリ間に合ったからええねん。」
くだらない会話に笑い合う。
言葉の端々に、互いの一日がにじんでいる。
昔は、人のあいだには境界があると思っていた。
どんなに仲良くとも、どこか踏み込めない場所があるんだと。
けれど、こいつといるとその線の存在を忘れる。
境がなくなってしまう。
何も言わなくても気づかれて、何も求めなくても支えられている。
そんな関係が本当にあるんだと知った。
部活でうまくいかず無言で帰った日も、こいつは何も聞かず隣を歩いた。
ただ、それだけで心が軽くなった。
心の境界線なんて最初からなかったんじゃないかとすら思ってしまう。
放課後、夕陽に照らされた校門を抜けながら彼が笑った。
「明日も同じ時間な。」
「もちろん。」
言葉より確かなものがそこにあった。
俺たちは今日も同じ空の下で笑っている。
【透明な羽根】
夕方のグラウンドで、ボールがフェンスに当たって跳ね返った。
「あーもう、お前また外した!」
「ちゃう、風が変な方向から吹いたのが悪い。」
「はいはい、言い訳乙~。」
二人で笑いながらボールを拾いに走る。
その途中、土の上で光るものが目に入った。
拾い上げると、薄くて透き通った羽根だった。
「なんやこれ、ガラス?」
「ちゃうやろ。鳥の羽根ちゃう?」
「こんな透明の鳥おらんでしょ。」
冗談を言い合って笑い転げたあと、なぜかその羽根だけはポケットにしまった。
なぜかは分からない。
ただ、持っておかなければならない気がした。
それから時が経ち、あいつは仕事で県外に行った。
最初は連絡取ってたけど、だんだん間が空いた。
それが当たり前だとわかっていても、やはり寂しかった。
忙しいのだろうと思いながら、たまにポケットの羽根を見ては悲しくなった。
ある夜、コンビニ帰りにスマホが震えた。
画面に表示されていたのは懐かしい親友の名前だった。
「今度帰るねんけど一緒に飲まん?」
スピーカー越しの声は昔と変わらず明るく響いた。
見上げた夜空にふわりと白い物が落ちた気がした。
手のひらに広がるのは、あの透明な羽根。
羽根は街灯に透けて、まるで笑い声のように明るく光っていた。
【灯火を囲んで】
焚き火の火が大きくはぜて、静かな山を照らした。
こうしてこのメンツで集まるのは何度目だろうか。
数えるには日が暮れ――いや、もう暮れとるな。
「おい、誰やねん! マシュマロ焦がしたの!」
「ちゃう、これは“香ばしさ”だしてやったねん。」
「黒こげやしもう炭や!」
笑い声が夜に響く。
ひとりが火ばさみを振り回して、もうひとりが逃げ回る。
「危ないわ、火の粉飛ぶやろ!」
「大丈夫や、お前ならいける!」
「いけへんわあほか!」
火の勢いが落ち着くと、誰かが缶ビールをカシュ、と開けた。
「お前、前みたいに一気しようや。」
「もう無理やろ。歳考えてみい。」
「なに言うとん、“永遠の二十代”やろ。」
「いや、腰痛持ちの二十代がおってたまるか!」
また笑いが起こる。
火の明かりに照らされた顔は、みんな汗と笑いでぐちゃぐちゃだった。
それでも、この空気が心地いい。
「なんやかんや言うて、こうやってアホ言うて笑ってんの、やっぱり楽しいな」
一瞬だけ静かになって、誰かが笑いながら薪をくべた。
「せやなぁ。来年もここでまたアホしよや。」
焚き火がぱちりと鳴いた。
夜風が吹いて、笑い声をふわりと運んでいった。
【冬支度】
北風が山を越えて町に降りてくる頃、二人は古びた小屋の前に並んで立っていた。
屋根の上には去年よりも深く落ち葉が積もり、軒先の薪棚はすっかり空になっている。
「今年ももうそんな時期かー。」
片方がつぶやくと、もう一人は黙って斧を持つ。
乾いた木を割る音が、冷えた空気の中に鋭く響く。
二人でこの小屋を直し始めたのは、いつだったか。
確か3年前だったかな、冬の少し前だった。
町を出てから互いに行き場を失い、偶然のように再会した。
誰も来ない山裾の土地を借り、手探りで暮らしを整えていくうちに言葉よりも確かな絆が芽生えた。
薪を積み上げ、窓の隙間を詰め、湯気の立つ鍋を囲む夜。
「来年も、こうやって準備してるんやろな。」
火に照らされた顔は、どこか遠くを見ていた。
「さあ。まぁ、お前がおったら冬も悪くないわ。」
小さな笑いがこぼれる。
外では雪がちらつき始めていた。
焚き火のぱちぱちという音の向こうに、静かな季節の足音が近づく。
2人は肩を並べ、何も言わずに湯気の向こうを見つめた。
その沈黙には、言葉より深い約束があった――また、この冬を共に越えようという。