【時を止めて】
「なあ、もし時間止めれたら、何やる?」
コンビニの駐車場。
夜の冷たい空気の中で、あいつが缶コーヒーをプシュッと開けた。
「俺? 寝るわ、永遠に。」
「はぁ? 夢なさすぎやろ、お前。」
笑いながら、白い息がふわりと上にのぼっていく。
少しの沈黙の中で、遠くの車の音が消える。
缶の中から立つ湯気が、風に揺れた。
「俺は時間止めたら、お前だけ起こす。」
「は?なんでや。」
「いや、お前おらんかったらしょうもないやん。」
冗談っぽいのに妙に本気みたいで、返す言葉が出なかった。
時計の秒針が、やけに大きく聞こえる。
「じゃあ、俺も止めるわ。」
「なにを?」
「今。」
空を見上げると、雲の切れ間に星がきらりと光っていた。
あいつが肩をすくめて、缶を軽く持ち上げる。
「止めるんやったら、俺も動かしといてくれや。」
カラン、と缶がぶつかる音。
その音が夜に溶けて、時間がゆっくり止まった気がした。
ぬるくなったコーヒーも、街灯の明かりも、笑い声も──全部そのままで。
【キンモクセイ】
駅までの道がふわりと甘い匂いで満たされていた。
金木犀の花が風に散りながら、アスファルトの上で小さく光っている。
「今年も咲いたなー。」
隣を歩く声に思わず笑いが溢れてしまう。
毎年同じことを言うくせに、まるで初めて気づいたみたいな顔をしているから。
「お前、去年も同じこと言ってた。」
「言ったっけ?」
「言ってたって。しかも全く同じ場所で。」
くだらないやり取りに、ふたりして笑う。
でも、その笑いの奥には少しだけ寂しさがあった。
この道を一緒に歩くのも、もうすぐ終わる。
あいつが遠くの街へ行くことを俺は知っていた。
それでも、わざと何も言わない。
今だけは、いつものままでいたかった。
風が吹いて、金木犀の花びらが舞う。
オレンジ色の粒が光の中を漂って、まるで時間までゆっくりになったようだった。
「来年も、ここで同じ話しようや。」
「うん。約束な。」
そう言った声が少しだけ震えていた。
目の前がぼやけて、金木犀の色が滲む。
それが風のせいなのか、それとも——
わからないまま、歩き出す。
そんな背中に金木犀の光がふわりと滲んでいった。
【行かないでと、願ったのに】
夕焼けが街を染めていた。
ビルの隙間から差す光が、二人の影を長く伸ばす。
「お前、ほんとに行くんやな。」
目の前の親友は、荷物を肩にかけ、いつものように笑ってうなずいた。
「行ってくるわ。ちょっと遠くまでな。」
それがどれだけ遠いのか、なんてもう聞けなかった。
駅へ向かう足音が並ぶ。
ふざけて押し合いながらも、笑い声の裏には言葉にならない寂しさが混じっていた。
「お前がおらへんと、なんか落ち着かへんな。」
「たまには静かでええやろ。」
そう言って笑うその声に、喉の奥が詰まった。
改札の前で立ち止まる。
「じゃあな。また、飲もうや。」
軽く手を上げて歩き出す背中に、伸ばした指先が空を切る。
行かないで、と願った。
けれど声にはならなかった。
電車の音が遠ざかる。
残されたホームに、一人だけの笑い声が小さくこぼれる。
「ほんま、勝手なやつやな……」
そう呟きながら空を見上げる。
赤から藍へと変わる空の輪郭が、少しだけ滲んで揺れた。
どこまでも広がる空は、あいつのいた日々みたいにまぶしくて、少しだけあたたかかった。
【秘密の標本】
放課後のグラウンド裏。
フェンスの影に腰を下ろして、2人はノートを開いていた。
ページの隅には、くだらない落書きや謎のランキング、誰にも言えない秘密のネタがびっしり。
「これ、ほんまに残すん?」
「当たり前やろ。俺らの黒歴史アルバムやぞ。」
「黒すぎて、見てられるもんじゃないわ。」
砂ぼこりの舞う風の中、2人は笑い転げながら最後のページを書き終える。
1人がペットボトルのキャップをスコップ代わりにして、地面を掘り始めた。
「おい、埋めるんかよ。」
「そう。“タイムカプセルごっこ”」
「ごっこって……誰が掘り出すねん。」
「俺らを忘れた頃、多分まだバカやってる俺ら。」
ノートを袋に入れ、慎重に土をかぶせる。
少しズレた靴跡が二つ並んで、夕焼けに伸びていった。
「これ、見つけれた奴、運ええな。」
「俺らは見つけられへん想定やめてね。」
その言葉で、また笑いが弾ける。
ふたりの笑い声は、グラウンドのざわめきに溶けて消えた。
明日もきっと同じ場所で、くだらない話をしてる――そんな気がした。
【凍える朝】
凍える朝。
吐く息が白く膨らんで、風にさらわれていく。
自転車を押しながら信号を待っていると、「おーい!」と声がして振り返った。
手をポケットに突っ込んだまま、あいつが小走りでやってくる。
「さむっ。指終わったんやけど。」
「手袋したらいいやんか。」
「朝の俺にそんな知能はない。」
くだらない会話で笑いながら、コンビニへと避難する。
温かい空気に包まれて、悴んだ指がじんとする。
肉まんを買って外に出る。
湯気が顔に当たって、思わず目を細めた。
「これ持つだけで生き返るわ。」
「手袋みたいなもんや。」
あいつがかじりつくのを見て、「それ絶対猫舌で死ぬやつやん。」と笑うと、案の定「熱っ!」と飛び跳ねた。
道端の霜が朝日に光っていた。
白い息と笑い声が混ざって、世界が少しだけやわらかく見える。
「このあとなにするん?」
「さぁ。とりあえず、もうちょい歩こうや。」
凍える空気の中で、なぜか足取りは軽かった。
寒さを笑い飛ばせる相手がいるだけで、冬もちょっとはマシになる。