cloudy
なんかcloudyな空が似合う人だった。
出会ったばかりの頃、彼女にそんな印象を抱いていた。晴れそうにないけど、雨にもならないだろう、そんな淡い灰色の空がよく似合う人──窓辺に座り外を眺める彼女の横顔は、アンニュイな曇り空に溶け込むようで美しかった。触れられそうで触れられない曖昧な余白みたいなものが彼女にはあって、それが僕を魅了した。
けれど僕の伴侶となり年月を重ねた今、彼女に似合うのは、もっとなんかこう……濃い曇天って感じの空だ。重く垂れ込めて空を覆い、いつ稲妻が光って強い雨が降り出してもおかしくない、そんな不穏な曇り空。
濃淡の違う灰色の雲が、刻々と形を変えながら重なり合う様子は、目が離せないほど空を劇的にする。まるで僕を翻弄する妻の機嫌のようだ。だけどどんな暗い曇天でも、その奥には晴れ間が隠されていることを僕は知っている。暗い雲が光を帯びた時、神々しいほどの美しさを見せることも……。
今にも雷鳴がとどろきそうな曇天の中、僕は妻のもとへと向かう。まっすぐ迷わず一目散に。曇りの奥にある光を信じて。
虹の架け橋🌈
「雨が上がったらここを出よう」
なんて言ったけど、本当はあなたといたいから雨はやまなくてもいいと思っていた。
静かな図書館の片隅で、雨の匂いと雨音だけが私たちを包み込む。曇った窓の外の世界はぼやけていて、私たちのいる場所だけ世界から切り離されてるみたいだった。
「今、なんの本読んでるの」と聞くとあなたは私の知らない海外のSF作家の名前をあげた。
「設定がすごく独創的でさ……」
私はその分野はさっぱりだったけど、言葉を弾ませるあなたの話を聞くのが好きだった。
会話が途切れた時あなたはそっと私の手を握った。驚いたけれど、あなたの手のひらから伝わるぬくもりと鼓動に胸がいっぱいになった。
図書館の受付から死角になっていて私達の他に誰もいないのをいいことに、私たちは唇を重ねた。好きだと言葉で伝える前に、そうすることが当然のように。
唇が離れた後あなたは「もう雨は上がったかもな」なんて何でもないフリをして曇りガラスを拭った。
その時だ、虹がかかっているのを二人で見たのは。
雨雲を残した空にうっすらとかかった虹──私たちは思わず顔を見合わせて笑い、また手をぎゅっと握り直した。まるで誰かが私たちが想いを通わせたことを祝福しているみたい──そんなこと思うほど浮かれている自分がおかしかった。きっと彼も同じだったんだと思う。私たちは目を合わせ微笑みあい、吹き出して笑った。
それから私たちはやはり、そうするのが当然みたいにキスをした。手を強く繋ぎ直して、唇は柔らかく合わせた。静かな図書館の片隅、音が響いてしまわないようにそっと、でも何度もキスを繰り返した。キスの合間に虹を見ることもせず、ただ幸福な時に身を委ねていた。
雨上がりの空に、虹が大きくかかっている。
あの日と同じようにあなたは私の隣にいる。でもあなたはもう私の手を握ろうとはしない。今は虹がかかる空を美しく切り取って写真におさめることに一生懸命。あなたがスマホを空にかざす隣で、私は薄くなっていく虹を見つめていた。あの日図書館の一角で私たちが夢中でキスを交わしていた時、いつの間にか虹は消えていたことを思い出す。あんなキス、もう今の私たちには出来ないだろう。
でも私達はまだこうしてお互いの隣にいる。
私は静かにひとつ空に願いを掛けていた。
虹は儚く消えてしまうけど──私とあなたの間に架かる梯子は消えることはありませんように。
虹の端は次第に薄れて空に溶けていく──消えちゃうよ、虹。あなたにそう声をかけようとしてやめた。結局私はあなたに、何かに夢中になっていて欲しいのかもしれない。
一人で虹を眺めていた私の手を、あなたの手が掴む。あなたは探していたものを捕まえるようにぎゅっと強く私の手を握り締めた。その力強さと温かさに、私は思わず息をのむ。あなたのぬくもりに、いつだって私は満たされる。
既読がつかないメッセージ
既読がつくはずなどないのだ。
彼女のスマホは、俺が壊して川に捨てたのだから。間違いない。道路に叩きつけて画面を割った後放り投げた。暗い水の中にボチャリと沈んでいった。手の中にはまだ残っていた、あいつの細い首筋を締め付けた感覚が。
震える手でタバコを取り出して火をつける。煙を吸って吐き出しながら俺は彼女宛にメッセージを何度も送る。
『仕事終わらない、ゴメン』
『終わったら、行くから』
『早く会いたい──愛してる』
愛してる、だってさ。メッセージを打ちながら自分で笑った。さっき首を絞めて殺した女へ、愛のメッセージ。
愛してる、あいつがいつも聞きたがっていた言葉だった。
──あなたを愛してる。あたしはあなたをこんなにも、こんなにも愛してるのに。あたしだけを愛して四六時中、もっと言葉を尽くして愛して。あたしがあなたを愛する以上にあたしを愛して。
もう、うんざりだった。彼女に愛してると言われる度、俺は奪われてる気分だった。メッセージに既読をつけないと、それだけで火が尽いたように責め立ててくるような女。俺はあいつとの関係を終わらせたかった。あいつがぐったりと体の力を失うまで、俺は首を掴んで締め付けた。
あいつへの空虚なメッセージは、アリバイ工作のつもりだった。白々しいメッセージを送った後、俺はしばらく黒く流れる川を見つめていた。川は昨夜の雨で水かさを増して勢いよく流れていた。全てを飲み込もうとする濁流は、なんとなくあいつの愛情の求め方みたいだ、と思った。俺はあの流れから逃れたんだ……やっと、あの黒い濁流のような女から。この時の俺は、一人の人間を手に掛けた罪の意識よりも、ただ心からの安堵を感じていた。偽りの安寧だとしても今この時だけは、あいつから逃れた自由を味わっていたかった。
だがスマホの画面に目を戻した時、俺は全身に震えが走るのを感じた。画面に薄い文字が浮かびあがったのが目に入ったからだ──既読の文字が。
はは、そんな筈あるか。顔がひきつる。俺はついさっき、あいつのスマホを壊して川に放り込んだのに。なのになぜ。
指の震えは止まらない。俺の顔は引きつった笑いが張り付いたまま歪んでいく。
彼女への『愛してる』は既読がつかないはずのメッセージ。その横に既読がつくことなどあるわけない。あるわけないのに。
通知が鳴る。彼女からの返信──『私も愛してる』
秋色
「秋になると身に纏う色も秋っぽくしてお洒落したいよね。それって僕ら人間だけじゃないって知ってる?おしゃれする信号機とかあってさ、秋になるとちゃんと秋カラーで光るんだよ。ダークネイビー、ゴールデンイエロー、ボルドー。たまにだけどあるんだって、そういう信号機。信号待ちしてる時とか、よく見てみなよ。
逆に紅葉だって、毎年同じ色合いじゃ飽きるのか違う色に染まる木だってある。本当だって。俺一度見たことあるんだ、山奥で。青色に色付いた木が何本もあった。あれは本当に綺麗だったな。薄くくすんだ青から紫がかった濃い青まであって……別の世界に迷い込んだみたいだったよ。君にも見せたかった。いつか一緒に見に行こう」
適当なことばっかりいう人だったなあ……
学生時代の友人に、いつもそんな夢みたいな話ばかりする人がいた。あの人今頃何してんだろ、ちゃんと社会人してるかな。青く色づいた木を見に行こうだなんて、あれってもしかして私のこと口説いてたのかもしれない。だとしたらごめん、全然気づかなかった。
秋カラーの信号機もブルーの紅葉も見たことない。絶対、その人の嘘だと思う。だけど秋になるとつい、目で探してしまう。秋色に染まった街のどこかにあるんじゃないかって。おしゃれした信号機、青く色づく葉っぱ。だってもしそんなの本当にあったとしたらきっと──めちゃくちゃ素敵だ。
もしも世界が終わるなら
創造主
「もうこの世界は終わりにしてもいいのかもしれん」
部下
「待ってたんですよ、あなたのその意思決定。世界をクローズしていただけるんなら、助かります。フルコミットでやらせていただきます。勿論ASAPで。スピード感持って回しましょう。ユーザーへの事前アナウンス無しでいいですよね?」
創造主
「いやいや、待て待て……人類にはそれとなく知らせた方がいいのではないか。一ヶ月……せめて一週間前には」
部下
「そのリードタイム、何の為に取るんですか?」
創造主
「え〜?んーと例えばその間に愛を確かめるとか罪を悔い改めるとか……」
部下
「今さら人類のエンゲージメント強化しても期待されるシナジーは出ません。ソロユーザーなら即時終了希望でしょう」
創造主
「うーん……終焉の前に彼らに自らの人生を省みる機会を与えてはどうかね?」
部下
「ROI見合いません」
創造主
「ていうか最終的には私に救いを求めて欲しいんだよねえ……」
部下
「なるほど。そこでクローズした方が無慈悲感強めに出せますね」
創造主
「だろう?」
部下
「さすがです、そのブランディング力」
創造主
「褒めてくれてるなら嬉しいよ」
部下
「じゃあこの件、私の方で進めておきます。一週間後には世界終焉、デリバリーできてると思います」
創造主
「まあ一つよろしく頼むよ」
部下
「あの……ボス」
創造主
「ん? どうした」
部下
「プロジェクト終了後は僕ら二人きりになります」
創造主
「まあ、宇宙が一つ減るのだからな」
部下
「でしたら次は……本気で僕らのエンゲージメントについて考えませんか?」
創造主
「……ん?」
部下
「フルスケールで強化しましょう。ASAPで。恒久的にディープダイブし、スコープアウトはゼロベースで削除します……」
創造主
「正直、君の使う用語は私にはさっぱり理解出来んのだが……まあ、二人きりになるのだし、君のいいようにしたまえ」
部下
「はい、ありがとうございます。そうさせていただきます、僕ら二人きりになるので……恒久的に……二人だけで……」
完