明日、もし晴れたら(旧友と駆ける)
『学校へ行ってみない?』
―――天気予報は盛大な雨マーク。
明日は全国的に大降りになるでしょう、と付けっ放しのテレビの中で気象予報士が謳っている。
「学校?」
スマホの向こうにいる彼に問い返す。
電話をかけてきたのは、お盆を利用して田舎に帰ってきているのを聞きつけた昔の幼馴染み。
久々に連絡をしてきて話に花が咲く中で、その彼は唐突にそんなことを言い出した。
『懐かしいじゃん? 学校終わってからも日が暮れるまで二人で遊び倒してた』
「うん。覚えてる。わたしによく泣かされてたよね」
は!? 嘘つけ!
電話口で焦る彼の様が手に取るようで、わたしは笑った。………まるでつい最近のような、けれど遠い昔のような。妙な感覚。
「学校行って何するの? 明日雨だよ」
『懐かしさ満喫する。さらにノスタルジーに浸って、今の自分を見つめ直す』
………何それ。疲れてるの?
と、喉まで出かかったセリフをわたしは既で引っ込めた。
―――もしかしたら本気で悩んでいるのかもしれないし、言えない何かを抱えているのかもしれない。
なぜかそんな気がした。
「いいよ。明日晴れたらね」
『おう。でさ、校庭で二人で徒競走しようぜ。小学生最後の運動会でお前に負けて二位だったの、今でも忘れてないからなこっちは』
僻むような声色に、あははとわたしは軽やかに笑ってみせる。
「やだ、まだ根に持ってたの。いいわよ、受けて立とうじゃない」
『へっ、後で吠え面かくなよ!』
蘇る、土の匂いと騒がしい人々の歓声。
先頭でゴールテープを切ったわたしと、ほんの僅かの差で敗北を喫した彼。
行けばまた、あの時の二人に会えるだろうか。
―――雨予報を吹き飛ばすような晴天の下で、彼とまたあの校庭のトラックを駆け抜けることができたなら。
わたしもきっと憂いを捨てて前に進んでいける、
そんな不確かなけれど確信めいた思いで溢れていた。
END.
だから、一人でいたい(見えない壁)
「ねえあの人って会社休みすぎじゃない?」
「子供の具合が悪いのは仕方ないけどさー」
昼休憩の部屋の片隅で。
ヒソヒソと、若い女子社員が数人集まって彼女の噂をしている。
またか、と思いながら俺は近くの自販機で缶コーヒーのボタンを押した。
やれ丸一週間だの、子供高学年のはずだの、挙げ句には時短勤務のくせに!仕事できないくせに!と、まあ次から次へと不満・悪口のオンパレード。
………確かに彼女、先月も子供の体調不良を理由に休みを取ってはいる。が、さすがにそこまで言うのはお里が知れると思わないのか。
「女って怖いねぇ」
缶コーヒーに口をつけながら、俺は肩を竦めた。
「何が怖いんですか?」
「わあっ」
―――至近距離からの声に、俺は反射的に仰け反って後ずさる。
「すみません、驚かせてしまって」
「ああ………、」
噂をすると何とやら。
例の彼女が自販機の前に佇んでいた。
「一週間お休みありがとうございました。ご迷惑おかけしました」
「あー、いいのいいの。それよりお子さん良くなったの?」
「はい、何とか」
自販機でペットボトルのお茶を買い、彼女が続ける。
「虚弱体質なもので、月に何度か寝込んでしまうんです。わたしは慣れっこですが、皆さんからは反感買われてしまって」
申し訳ないです、と小声で俯く彼女が不憫に思えた。
「まあ、わざと体調崩してんじゃないし仕方ないとこもあるよ。ご両親は手伝いには来れない感じ?」
「遠方なんです。新幹線の距離なので………」
「そっかー。旦那さんは激務?」
「そうでもないんですが、夜勤が多くて。昼間寝ないと体が持たないんです」
………まあ、夜勤だとそうなるわな。
「近所の人に頼むのは気が引けるし、置いていくのも心配で。高学年ではあるんですが、大人しい子で」
「うーん。難しいね」
………不謹慎だが、こういうのを聞くと結婚てどうなのって思ってしまう。
誰の協力も得られず仕事に行くのもままならない中、会社で理不尽に悪口まで言われる始末。
俺はご免だね、独身貴族でいたいねずっと。
「お金さえあれば、少しはましなんですけど」
ぽつりと彼女が無表情でそう呟く。
ん? そんなに困窮してる………のか?
確かに昨今物価高だし子供がいれば教育費もかかる。
けど共働きで旦那さんは夜勤となると、手当ては多いはず。彼女は正社員だしうちのボーナス、他社と比較しても遜色ないはずなんだが………。
「年末までに貯まるかどうか、微妙で」
「え、なに。手術でも控えてるの?」
「いえ、」
―――一息置いて、彼女はここまでで一番のとびきりの笑顔を垣間見せた。
「毎年年末、海外でスキューバダイビングをしてるんです!」
………へ?
「有給で毎年長めに取って、夫婦で。そのお金が今年は少し厳しくて」
「え………お子さんは………?」
「新幹線の距離の実家に預かってもらってます」
「あ、そう………」
「あっすみません。昼休憩終わりですね」
ではわたしはこれで、とにっこり会釈して去って行く後ろ姿を俺は呆然と見送る。
え、スキューバダイビング?
年末忙しい時期に長く休み取ってたのはお子さん絡みじゃなくて?
普段急な欠勤時に皆彼女のサポートしてるのに?
………いや、有給は誰しも取る権利があるから、これに文句を垂れる俺がダメなのか?
それとも彼女の無神経さに腹が立つ、俺の懐が狭いのか?
「………。何か、当分独身貴族でいいや」
うん。きっとそれが一番良い。
―――俺はそれ以上考えるのを放棄して、気分が晴れないまま残りの缶コーヒーを無言で飲み干した。
END.
澄んだ瞳(罪を暴く)
人の目で見えるものには、何かしら欺きがあるかもしれない。
心の目でよくよく観察しなさい。
欺きに惑わされる人間に成り下がるな。
………今はいない母親が、俺に口酸っぱく言っていた言葉。
「この子はわたしが引き取ります!」
「いやわたしだ! 遠い親族が出しゃばるな!」
「オレが引き取る! 血縁的にオレが最も近い!」
「どいつもこいつも! 私が一番後見人に相応しい!」
―――いやいや、何とも醜いね。
俺はそんな争いを尻目に、脇で灰皿片手に煙草をふかす。
ある会社の代表で、一代で財を成し順風満帆だった、俺と仲の良かった自慢の従兄。
その娘には祖父母、兄弟姉妹共に軒並みおらず―――天涯孤独の身に置かれた、まだ10歳前後の少女をどう扱うかで対立が深まっていた。
まあ従兄と言っても俺は母方の方で、この春就職したばかりの学生上がり。
結婚もしてない男にちっさい女の子を養育できるはずもなく、早々に蚊帳の外に出されていた。
両親亡くした上に、本人そっちのけで親族がこれでは相当参っているだろう………とちらりと彼女を見ると、全くもってけろりとしている。
「大丈夫か?」
何気なく声を掛けると、うん!と明るい一言が返ってきた。
「あいつらのあの調子じゃ先が思いやられるな。………強く生きろよ、これから」
「………。お兄ちゃんはお父さんの従弟でお友達だったね。良かったね、“ぼうかんしゃ”になれて」
「え?」
―――傍観者?
「お父さんがわたしに遺したお手紙、………何が書いてあったと思う?」
「………」
彼女が薄汚い口調で罵り合う親族に目を向ける。
「ひとごろしってね、罪が重いんだよ」
その真っ直ぐに澄んだ瞳が、俺の背筋を寒くする。
“娘を頼む”―――
それはこのことだったのか。
数日前に送られてきた短い手紙の内容を確かめる術は、もうない。
―――彼女と共に同じ人間とは到底思えない塊を遠くに見つめながら、俺は無言でその小さな肩に手を置いた。
END.
嵐が来ようとも(そもそもの話)
とあるラーメン屋の、若い夫婦が経営するちんまりした個人店。
開店して暫く経つと、その美味しさの評判が人づてに広まり、あれよあれよと地元一の人気店へと駆け上がった。
それもひとえにこの夫婦の日々の研究の賜物である。
禄に休日も取れなかったが、夫婦は忙しさもやり甲斐に変え、毎日来店してくれる客に美味しいラーメンを提供し続けた。
ある日。入口に“注意”と記された張り紙が貼られる。
【未就学児同伴のご来店はお断り致します】
「あれ、こんなの前貼ってあったっけ」
「いや、なかったな。何かあったのかもね」
昼時、行列に混じって並んでいた常連が見慣れない張り紙を見て不思議がる。
「ちょっとどういうこと!? 年齢制限なんて聞いてないわよ! 撤回しなさい、子供だってラーメン食べて何が悪いの!」
「いえ、当店の決まりです。お子様はご利用頂けません」
はっきりと、きっぱりと。
店主が入ろうとした子連れの客に、入店拒否の姿勢を崩さない。
その態度に頭にきた客は、ネットにこの店を曝して拡散してやる!と喚き散らして去って行った。
―――店主が溜息をついて呟く。
「ほんの4、5歳の子にこの味がわかるわけないだろ………」
“超絶!激辛ラーメン専門店”
………真っ赤に染まった看板が、どうやらあの人には見えないらしい。
激辛に目の無い強者揃いの行列の中で、常連が店主の呟きに同情しつつ力強く頷いていた。
END.
お祭り(屋台無双デート)
「リンゴ飴おいしー!」
「おう。そりゃ良かった」
境内の隅に座り、彼女が美味しそうにそれを頬張る。
履き慣れない下駄に苦戦しながら、何とかここまで辿り着いた頃にはもう真っ赤に擦れていた。
―――歩けない。
涙目で駄々を捏ね、うるうると自分を見上げた彼女に、仕方ねえなと彼がリンゴ飴を買ってきて隣に座り直したのが今しがた。
「ごめん、下駄なんて履くの久し振りだったから」
何かしらの為に常備していた絆創膏を擦れた箇所に貼り、彼女が意気消沈して呟く。
彼はぽんぽんと頭を軽く叩くと、気にすんなと自分も買ってきたペットボトルを飲み干した。
「俺も疲れてたし、丁度よかった。今日もあっついから、すぐ体力奪われちまうな」
「うん。今夜は過去最高の熱帯夜になるでしょうって予報でも言ってた」
「げ」
彼がうんざりした面持ちで舌を出す。
「―――で、これからどうする? 痛いなら無理すんな。帰るか?」
「やだ」
食い気味の即答。思わず彼が苦笑する。
「だってまだ、射的も輪投げも金魚すくいもしてない!!」
やだやだ!
ぶーと膨れるその姿に、彼は声を上げて破顔する。
「あっはは。わかったわかった、やりたいの全部終わるまで付き合うって。お供しましょう、どこまでも」
敵わないよ、お前には。
優しい眼差しに頬を染めながら、彼女はさらにこう言葉を続ける。
「射的も輪投げも金魚すくいも、得意だもんね?」
「え」
俺? 俺がやんの?
自分を指差す仕草に、彼女は真顔で頷いてみせる。
「だって足痛いし」
「ああ………、まあな」
………確かに射的も輪投げも金魚すくいも得意だけれども。一年経って、なまってないといいけどなあ。
どこか不安を覚える俺に、彼女はあ、と何かを思い出す。
「金魚すくいはわたしやるね。隣で見てて、いっっぱいすくうから」
そうして何匹か貰ったら家に持って帰って、去年すくった時に買った金魚鉢にすぐに一緒に入れてあげるの。
わたしとあなたみたいに、ずっと仲良くいられるようにって願いをかけて。
―――彼女は彼を促して立ち上がる。
既に痛みの引いていた足にホッと胸を撫で下ろすと、まずは手始めに射的の屋台へ、彼の手を引き歩き出すのだった。
END.