カレンダー(記念日は詳細に)
リビングの壁にかけられた、月めくりのカレンダー。
今月のある日付けにド派手に花丸がつけられていて、俺はその場に固まった。
………何の日だ、これ?
うーん、と色々と思い当たる節を片っ端から拾っていくがどうにも見当がつかない。
お互いの誕生日、結婚記念日ではない。
となるとあれか? 初めて会った日? 付き合い始めた日? 一ヶ月、半年、一年………。
更に深く唸り、考えが足りんのかと眉間に皺を刻む。
親の誕生日か結婚記念日? いや、これだけ派手に彩るのはどう見繕っても俺達関係じゃね?
くぅん、と寄ってきた愛犬に気づき、俺はその体を抱き上げてカレンダーの花丸を見せる。
「お前、これ何の日かわかるか?」
尋ねてみても、しきりにパタパタと尾を振り我関せずの愛犬に俺は溜息をつく。
「わかんねーよなあ………」
いやわからないじゃ困るんだが。
………俺の奥さんは何かと記念日にうるさい。
前にわからんとスルーしようとしたら、大いに機嫌を損ねられて暫く口をきいてくれなかった前科がある。
今回、覚えていないとなると―――。
「何見てるの?」
「うわ」
唐突な背後からの声に、俺は思わず仰け反った。
「ああ、これ?」
―――花丸を指差し、彼女が満面の笑顔になる。
「楽しみね、しっかりお祝いしなきゃ! この日は早く帰って来てね、年に一度の特別な日なんだから」
………。その特別な日とやらが何の日なのか、考えあぐねているんだが………。
だよな、楽しみだなととりあえず相槌を打ち、その場を濁そうとした俺に彼女はパン、とひとつ大仰に手を叩いてみせた。
「そうだ! お互いプレゼントを用意しましょうよ。ね、素敵じゃない?」
プレゼント!? いや何の日かもわからんのに。
「うん、それがいいわ。ね、そう思うわよねー」
同意を求めるように、彼女が愛犬の鼻をつつく。
「じゃ決まりね。くれぐれも妙な、おかしな物買ってこないでよ?」
………俺の性格を見越してか、釘を差すのを忘れない抜け目の無さよ。
それが何の日かもわからなかったが、まあ好みの物を適当に買えばいいか、と俺は楽観的に構えていた。
―――そして当日。
家に帰るなりその光景を目にして、俺は愕然とした。
壁に飾られたHappy Birthdayの文字、テーブルにはホールのケーキ。
そのケーキのプレートには我が家の愛犬の―――。
プレゼントを忍ばせた鞄の中身を思い、俺は動悸が止まらない。
「どうしたの、そんなとこに突っ立って。ほら、お祝いするわよー」
―――妻の楽しげな声が俺を奈落の底に突き落とす。
人間様用のプレゼントをどう愛犬用に変換するか、俺の脳はその無理難題を突破する糸口を必死に探し始めていた。
END.
喪失感(過ぎ行く想いとは裏腹に)
―――何がどうしてこうなった、と思う。
三階の教室のベランダの手摺に身を預けながら、俺はすぐ真下を歩いて行く二人の姿を目で追う。
ひとりは幼馴染みの彼女、ひとりは隣のクラスの顔なじみの男子。
見るからに仲睦まじげな彼らの様子に、俺は物憂げに何度目かの溜息を吐く。
「何だ何だ、辛気臭えなあ。何見てんの」
………嫌なヤツに気づかれた。
素早く隣を陣取ってきた腐れ縁のそいつに、俺は憚ることなくあからさまに表情を負の方へと崩してみせる。
「あれ、あいつカレシできたのかよ。どうりで最近やけに浮かれてると思ったら」
彼氏。
直球の単語が容赦無く心にめり込んで、息が詰まる。
あいつとはずっとただの幼馴染みだったはずなのに、なのにどうしてこんなにも二人の姿を見せつけられて俺は動揺してるのか。
「………。悔しいのか?」
「! なわけねえだろ。何もねえよあいつとは。幼馴染みの枠越えたことなんかなかったし」
「………あっそ。俺はただ『幼馴染みを取られたみたいで』悔しいのか?って聞いたつもりだったんだけどな。いやそういう解釈できますか、そうですか」
含みを持たせた言い方が何とも癪に障る。
こいつ、知っていてわかった上で喋ってやがる。
俺は即座に食ってかかろうと構えてはみたものの、―――バカらしくなりやめた。
更に虚しくなるのは火を見るよりも明らかだった。
「………俺はいいんだよ別に。好き同士くっついたんだから、何の異論もねえよ。それにどう足掻いたって今更すぎるだろ」
えー、と不服有り有りの声が隣から漏れる。
「なんて高尚な。俺には無理だわ、その境地には辿り着けん」
―――その、どこか蔑んだ響きを孕んだ声色に、俺は思わずヤツの胸倉を引っ掴んだ。
「お前に何の関係がある? 俺を怒らせて楽しいか? あ?」
胸倉を掴まれてもなお、いやあ、とヤツは飄々としている。
こいつが今程憎いと感じたことは他にない。
「すれ違いの両片想いはもどかしいね」
………。は? すれ違い?
両片想………い?
どういうことか、真相を問い正そうと口を開きかけた俺に、ヤツは意味深な笑みを残して脇をすり抜け教室へ戻って行ってしまう。
そんな大いに戸惑う俺とは対照的に、視界に入る二人は幸せを絵に描いた姿そのもので―――
俺は掌から溢れ落ちた、失ったものの大きさに、打ちひしがれ言葉もなく立ち尽くしていた。
END.
胸の鼓動(気分次第、気の向くままに)
県を跨いだ、田舎の不便な路地の一角に有名なパン屋がある。
頑固なお爺さんが作るそのパンはとにかく美味しいと評判で、滅多に褒めないパンに煩い食通達も唸るほどの腕前だった。
ただこのお爺さん、地元の人間も恐れる気分屋で癇癪持ち。そしてモットーが、“健康に働くことに重きを置き、絶対に無理をしない”。
なので有名店にも関わらず、
・土日祝完全休業
・お盆等の長期休暇有り
・開店時間不明、パン完売と共に閉店
・気乗りしない日は休業
という、腕前絶品で誰もが太鼓判を押す、稼ごうと思えばいくらでも稼げそうな店なのに、売り上げに興味のない店主により開店日不明店としてその名を県外にまで轟かせていた。
「………ってわけよ」
「へぇー」
俺は田舎の道沿いを緩やかに運転しながら、隣の彼女にそのパン屋の説明をする。
彼女は雑誌の『ここがイチオシ!パン屋総力特集』の記事を眺めながら、感嘆の声を上げる。
「一度食べてみたいから遠出して来たけど、これだとやってない率高くない?」
「そう。高い。俺達みたいに遠くからわざわざ来て、閉店してて項垂れて帰るとかザラにあるらしい」
「えー、もうそれ賭けじゃん。今日はどうなんだろ」
頑固親父の作る、極上パン。滅多に口にできないとなれば、更に好奇心が擽られる。
「お、ここだな。着いた着いた」
小ぢんまりとした、素朴な一軒家。
駐車場が思いの外混んでいて、やった当たり日だ!と心躍らせたのも束の間―――表のドアにはOPENのプレートが掛かっていない。
「やだ、やってない感じ?」
「………いや、この車の多さからして皆待ってるみたいだな」
店の周りに人影はない。
皆車内で、いつ開くのか、今日はやらないのか、じっと様子を窺っているようだった。
「聞きに行けばいいのに」
「とてもじゃないがそんな雰囲気じゃないらしい。無視されてドア叩き締められるってさ」
「………」
じっとここで待つのみ、ってスタンスが昭和すぎる。
令和でこんな時代錯誤甚だしいなんて、さすが地元でも有名な頑固爺さんね。変わり者。
その時、カランと音が鳴り店のドアが開いた。
開店か!?
車の中で皆が前傾姿勢で身構える。
―――店主の爺さんはひとつ大きく伸びをすると、玄関前を適当に掃き掃除をして、それが終わると再び中へ消えて行ってしまった。
………何なんだ、紛らわしい。
皆、それぞれシート席で溜息が聞こえてきそうな勢いで突っ伏すのが見える。
「やあね、期待させといて。ていうかドキドキするわね、何だか」
開店か?休業か? やるのか?やらないのか?
パンはあるのか、ないのか?
不意にドアの内側から手が伸び、素早くそれが掛けられる。
“OPEN”
―――それをひと目見た瞬間、皆一斉に車から降り、たくさんの人集りでひしめき合う店の前には、既に老若男女問わず長い行列が出来上がっていた。
END.
些細なことでも(大人の謝り方)
きっかけはほんの少しの食い違い、勘違い。
あとは間違いに素直に聞く耳を持たず、喧嘩腰からのすれ違い。といったところか。
彼女が毎日欠かさず作ってくれる弁当のおかずのひとつが、俺の苦手な食材でできたものだったのが事の発端だった。
何気に、入っていたから食べなかったと口にしたら、一度は謝った彼女だったが腑に落ちなかったのだろう。突っかかり気味に、好き嫌いばかりで悩むわたしの身にもなってほしい、そこは汲んで少しでも食べてくれればよかったのにと不満が噴出。
そこからは何で俺が、何でわたしがの応酬戦に終始し、今朝は言葉どころか視界にすら入らないように互いに別々で会社に出勤する事態にまで発展―――とまあ、犬も食わない有様に陥っていた。
いい歳した大人の、大人げない口喧嘩。
くだらないと一蹴するのは簡単だったが、相手のいる身では一蹴したところで何も解決はしない。
「………まあ俺が悪い、よな」
―――毎日毎日、嫌な顔ひとつせずに早起きして用意してくれる彼女。
無理するな、お前も仕事があるんだからと言い含めても
『選り好みして食べるあなたにお弁当以外食べさせたら、栄養が偏るのは目に見えてるから』。
………いやその通り。ぐうの音も出ませんて。
何気に立ち寄った、会社帰りの道沿いにある一際目を引く洒落た洋菓子専門店。
ここのケーキが甘過ぎず、くどすぎずの良い按配で最高に美味しい!と彼女に好評価を得ているのだ。
てことで、機嫌直しに一役買って頂きましょう。
箱を持ち、帰る道すがら俺は彼女にどう声をかけるか考える。
“お弁当、悪気はなかったんだ”?
“これからは何でも食べるから”?
………。普通に、昨日はごめん、でいいか。
「「あ」」
逆方向の角から現れた、会社帰りの彼女とばったり鉢合わせする。
気まずそうにする、彼女の手には俺の好物の―――。
………俺も彼女同様、きまり悪く手にしていた箱を差し出してみせる。
微妙な間の後、俺達はどちらともなく堪えきれず吹き出すと、二人自然に肩を並べて帰路を歩き始めた。
END.
開けないLINE(カレー日和)
「誰から?」
人通りの多い、洒落た通りを二人で並んで歩く。
テイクアウトした流行りのジュースに映え狙いかと気持ち落胆しつつ、わたしは彼との久し振りのデートを楽しんでいた。
「………んー?」
隣の彼はちらりとスマホを見るなり画面を閉じてさっさとそれを仕舞い込む。
………?
不自然な態度。
訝しんでいると、仕舞ったそこから着信音が立て続けに鳴り響く。
「見ないの?」
「ただのどうでもいい通知だから」
「………。ずっと鳴ってるけど?」
くぐもった音が、開けとばかりに急かしているよう。
それでも頑なに見ようとしない彼に、嫌でもわたしの中の女の勘が動き出す。
指摘しても目が泳ぐ。挙動不審。
これはやはり、
「浮気!?」
「はあ!?」
純粋な驚きからの素っ頓狂な声色に、わたしは周りの目を気にしながら低く問いかける。
「だったら何で見ないの。何度も鳴ってるじゃない」
「これは、その………だから」
しどろもどろに言い訳を募ろうとするが言葉が出てこない。
業を煮やしたわたしは、仕舞い込んだそこから彼のスマホを奪い取った。
「あ! おまっ、何す………!」
「見せて?」
彼の手にスマホを乗せ、LINEを開くよう要求する。
さすがに奪ってそのまま探るような無配慮で無神経な女ではない。
「………」
わたしの圧に負けたのか、このままでは嫌疑が晴れないと踏んだのか。
彼は溜息と共に渋々スマホのLINEの画面を開いた。
『帰りに玉ねぎ買ってきて』
『あ、あとじゃがいもも!』
『あ、あと人参も!』
『しまった! カレールーも!』
「………。お姉さんからのライン?」
『わかった?』
『ねー既読つかないけど!?』
『デートに夢中で忘れたら許さないからね!』
延々、延々と。
終いには、『あんたがデートなんて百年早いわ!』なんて文言まで飛び出して思わず吹き出してしまう。
「だから嫌だったんだよ、笑われると思って」
つん、と顔を背けた彼が何とも可愛く、愛おしい。
………彼の家は父子家庭で、家事はお姉さんが一手に引き受けているのだと前に話していたのをどことなく覚えている。
彼とのデートも、いつも嫌な顔ひとつせず送り出してくれているとか………。
「カレーの材料ね。あとお姉さんに、美味しいスイーツでも買っていってあげようよ」
わたしの面目の為じゃない。優しいお姉さんに、ささやかな感謝の気持ち。
―――顔を背けていた彼は、おう、と照れ隠しにわたしの髪をくしゃりと掻き乱した。
「既読付けて、返信したらお昼食べに行こう」
流行りのジュースでイマイチになった舌を、美味しいご飯で慰めたい。
―――わたしはどこにしようかと考えながら、彼の手を引いて再び歩き始めた。
END.