安達 リョウ

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胸の鼓動(気分次第、気の向くままに)


県を跨いだ、田舎の不便な路地の一角に有名なパン屋がある。
頑固なお爺さんが作るそのパンはとにかく美味しいと評判で、滅多に褒めないパンに煩い食通達も唸るほどの腕前だった。
ただこのお爺さん、地元の人間も恐れる気分屋で癇癪持ち。そしてモットーが、“健康に働くことに重きを置き、絶対に無理をしない”。
なので有名店にも関わらず、

・土日祝完全休業
・お盆等の長期休暇有り
・開店時間不明、パン完売と共に閉店
・気乗りしない日は休業

という、腕前絶品で誰もが太鼓判を押す、稼ごうと思えばいくらでも稼げそうな店なのに、売り上げに興味のない店主により開店日不明店としてその名を県外にまで轟かせていた。

「………ってわけよ」
「へぇー」
俺は田舎の道沿いを緩やかに運転しながら、隣の彼女にそのパン屋の説明をする。
彼女は雑誌の『ここがイチオシ!パン屋総力特集』の記事を眺めながら、感嘆の声を上げる。
「一度食べてみたいから遠出して来たけど、これだとやってない率高くない?」
「そう。高い。俺達みたいに遠くからわざわざ来て、閉店してて項垂れて帰るとかザラにあるらしい」
「えー、もうそれ賭けじゃん。今日はどうなんだろ」
頑固親父の作る、極上パン。滅多に口にできないとなれば、更に好奇心が擽られる。

「お、ここだな。着いた着いた」

小ぢんまりとした、素朴な一軒家。
駐車場が思いの外混んでいて、やった当たり日だ!と心躍らせたのも束の間―――表のドアにはOPENのプレートが掛かっていない。
「やだ、やってない感じ?」
「………いや、この車の多さからして皆待ってるみたいだな」
店の周りに人影はない。
皆車内で、いつ開くのか、今日はやらないのか、じっと様子を窺っているようだった。

「聞きに行けばいいのに」
「とてもじゃないがそんな雰囲気じゃないらしい。無視されてドア叩き締められるってさ」
「………」
じっとここで待つのみ、ってスタンスが昭和すぎる。
令和でこんな時代錯誤甚だしいなんて、さすが地元でも有名な頑固爺さんね。変わり者。

その時、カランと音が鳴り店のドアが開いた。

開店か!?

車の中で皆が前傾姿勢で身構える。
―――店主の爺さんはひとつ大きく伸びをすると、玄関前を適当に掃き掃除をして、それが終わると再び中へ消えて行ってしまった。
………何なんだ、紛らわしい。
皆、それぞれシート席で溜息が聞こえてきそうな勢いで突っ伏すのが見える。

「やあね、期待させといて。ていうかドキドキするわね、何だか」
開店か?休業か? やるのか?やらないのか?
パンはあるのか、ないのか?

不意にドアの内側から手が伸び、素早くそれが掛けられる。

“OPEN”

―――それをひと目見た瞬間、皆一斉に車から降り、たくさんの人集りでひしめき合う店の前には、既に老若男女問わず長い行列が出来上がっていた。



END.

9/9/2024, 5:50:03 AM