安達 リョウ

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だから、一人でいたい(見えない壁)


「ねえあの人って会社休みすぎじゃない?」
「子供の具合が悪いのは仕方ないけどさー」

昼休憩の部屋の片隅で。
ヒソヒソと、若い女子社員が数人集まって彼女の噂をしている。
またか、と思いながら俺は近くの自販機で缶コーヒーのボタンを押した。
やれ丸一週間だの、子供高学年のはずだの、挙げ句には時短勤務のくせに!仕事できないくせに!と、まあ次から次へと不満・悪口のオンパレード。
………確かに彼女、先月も子供の体調不良を理由に休みを取ってはいる。が、さすがにそこまで言うのはお里が知れると思わないのか。
「女って怖いねぇ」
缶コーヒーに口をつけながら、俺は肩を竦めた。

「何が怖いんですか?」
「わあっ」

―――至近距離からの声に、俺は反射的に仰け反って後ずさる。

「すみません、驚かせてしまって」
「ああ………、」
噂をすると何とやら。
例の彼女が自販機の前に佇んでいた。
「一週間お休みありがとうございました。ご迷惑おかけしました」
「あー、いいのいいの。それよりお子さん良くなったの?」
「はい、何とか」
自販機でペットボトルのお茶を買い、彼女が続ける。

「虚弱体質なもので、月に何度か寝込んでしまうんです。わたしは慣れっこですが、皆さんからは反感買われてしまって」
申し訳ないです、と小声で俯く彼女が不憫に思えた。
「まあ、わざと体調崩してんじゃないし仕方ないとこもあるよ。ご両親は手伝いには来れない感じ?」
「遠方なんです。新幹線の距離なので………」
「そっかー。旦那さんは激務?」
「そうでもないんですが、夜勤が多くて。昼間寝ないと体が持たないんです」
………まあ、夜勤だとそうなるわな。
「近所の人に頼むのは気が引けるし、置いていくのも心配で。高学年ではあるんですが、大人しい子で」
「うーん。難しいね」

………不謹慎だが、こういうのを聞くと結婚てどうなのって思ってしまう。
誰の協力も得られず仕事に行くのもままならない中、会社で理不尽に悪口まで言われる始末。
俺はご免だね、独身貴族でいたいねずっと。

「お金さえあれば、少しはましなんですけど」
ぽつりと彼女が無表情でそう呟く。

ん? そんなに困窮してる………のか?
確かに昨今物価高だし子供がいれば教育費もかかる。
けど共働きで旦那さんは夜勤となると、手当ては多いはず。彼女は正社員だしうちのボーナス、他社と比較しても遜色ないはずなんだが………。

「年末までに貯まるかどうか、微妙で」
「え、なに。手術でも控えてるの?」
「いえ、」
―――一息置いて、彼女はここまでで一番のとびきりの笑顔を垣間見せた。

「毎年年末、海外でスキューバダイビングをしてるんです!」
………へ?
「有給で毎年長めに取って、夫婦で。そのお金が今年は少し厳しくて」
「え………お子さんは………?」
「新幹線の距離の実家に預かってもらってます」
「あ、そう………」
「あっすみません。昼休憩終わりですね」
ではわたしはこれで、とにっこり会釈して去って行く後ろ姿を俺は呆然と見送る。

え、スキューバダイビング?
年末忙しい時期に長く休み取ってたのはお子さん絡みじゃなくて?
普段急な欠勤時に皆彼女のサポートしてるのに?
………いや、有給は誰しも取る権利があるから、これに文句を垂れる俺がダメなのか?
それとも彼女の無神経さに腹が立つ、俺の懐が狭いのか?

「………。何か、当分独身貴族でいいや」

うん。きっとそれが一番良い。

―――俺はそれ以上考えるのを放棄して、気分が晴れないまま残りの缶コーヒーを無言で飲み干した。


END. 

8/1/2024, 7:08:54 AM