日差し(悪霊の戯れ)
「おにーさん、こんなとこに座って眩しくないの?」
いつもの如く、とあるビルの屋上で。
柵を越えた心許ない足場に足を組んで腰かけていると、隣から幼い声色の“何か”に声をかけられた。
―――隣を見ると、とりあえずその声に似つかわしい風貌の可愛らしい少年が自分と同じ体勢で腰かけている。
………まーた変なのが来た。
最近よく招かざる客が押しかけてきて困る。
「特に思わないかな。俺の特等席だからね、ここは」
「そうなんだ。まあヒトじゃないし、眩しいわけないよね」
だよねー、と少年は組んでいた足を外して楽しそうにぱたぱたと壁に打ちつける。
「ヒトじゃないのは君も同じじゃない?」
「ああ、うん。ぼく見た目こんなだけど、悪霊なんだ」
自分を指差してにっこり微笑む姿が、どうにも年季が入っていて貫禄があると思わされる。
「悪霊っていうと、悪魔の使い? 死神の親戚?」
「ううん、悪霊。悪い霊の悪霊」
わかる?
………聞き方がもう大人のそれだ。
「悪霊って、自分からそう名乗るものなの?」
「うーんどうだろ? 散々悪事働いてきたから、そうかなって」
………。自覚があるのか。厄介だな。
そろそろお暇して頂きたいと思っていたのに。
「で、ここにはどういった用で?」
「食事」
―――食事?
霊が何か食べる必要があるのか、と―――問おうとして、やめた。
………この見かけ子供の自称悪霊はどこか得体が知れない。深追いするのはよそう。
「おにーさんは恋人に先立たれてここで見守ってるってわけだ」
「は?」
心外すぎると霊でも物を取り落とすらしい。
謂れのない甘いストーリーをでっち上げられて、俺は出しかけたタバコを指に挟めず滑らした。
「何でそうなる?」
「あれ、違った? だってほら、」
―――少年がつと向かいのビルの屋上を指差す。
「あれおにーさんのカノジョじゃないの?」
………ああ。この間見つけたあのヒトか。
「いいや、最近知り合った名前も知らない女の子だよ。手を振り合う仲なの。霊仲間」
「ふーん?」
なーんだつまらない。
拗ねて呟く仕草が余りにも人臭くて、俺は笑った。
「ごめんな、勘違いさせて」
「………離れ離れになった恋人達のささやかな幸せだと思ったのに」
「あはは。マセた悪霊だなあ」
俺よりはだいぶ年上っぽいけど。
―――見かけで印象操作するくらいだから、きっと何十年もこの世を彷徨っているんだろう。
「ここは日差しがキツイね。場所がイマイチだし、………まあ何か久し振りに楽しかったから食事は他所ですることにするよ」
………。さっき眩しくないって言わなかったか。
少年が人らしく、パンパンと自分の埃を手で払い立ち上がる。
「そうか? 気をつけてな」
「………。初めて言われた」
「ん?」
「霊になってから、そんなこと」
おにーさん面白いね。
「じゃあね、また」
………人なら無条件で可愛いと思うのだろう。
人懐っこい笑顔を残して、少年は彼の隣から跡形もなく消え去った。
一体何だったんだ………、と思うが余り気にしないことにする。気にしたところで何も進展しない。
俺は今度はしっかりタバコを手に火をつけた後、向かいのビルの屋上で柵に凭れる彼女に手を振った。
嬉しそうに手を振り返し跳ねる姿が微笑ましい。
「あれ、でもあの少年………またって言わなかったか?」
………。いや、多分気のせいだろう。
またなんてない。ないはずだ。
こういう距離がいいんだよ、と一人手を振りしみじみと感じ入りながら―――、暫くは来客が来ても相手にしないでおこう、と。
彼はできないだろう誓いをひっそりと立てて、束の間の安寧を味わっていた。
END.
窓越しに見えるのは(近くて遠い君)
朝、通学する電車でのわたしの立ち位置はいつも窓際。
ラッシュアワー時で座れないのはともかく、窓際を陣取れるのは嬉しい。
凭れてスマホを片手に時間を潰すのが日課だが、ある場所になるとわたしは窓の向こうに目線を移す。
―――必死に自転車を漕ぐ、名前も知らない男子学生。
この時間毎日見かける、彼を眺めるのが何となく習慣になっていた。
雨の日も風の日も、多分雪の日も、いつも時間ぎりぎりなのか自転車を爆速で漕いでいる。
朝からすごい元気で羨ましいと思う反面、もう少し早く家を出ればそんな体力使わなくて済むのでは………、といらぬお節介を焼いてしまう。
毎日眺めているせいか、妙な情を抱いてその姿を追ってしまっている自分がいた。
ある日、また何気なくその場所に視線を移したが、―――いない。
珍しい、どうしたんだろう。休み?
………あれは確か隣の男子校の制服だから今日は休校ではないはず。
首を傾げていると、駅名を告げるアナウンスと共に電車が止まり、扉が開いた先に―――彼がいた。
遠目でしか目にしたことがなかったが、特徴が確実に自転車の彼と被っている。
あのひとだ、とわたしは内心確信した。
―――窓からいつも見ていた彼と、今目の前で吊り革を握っている彼とでは印象が全く違っていてわたしは動揺する。
なぜかって、彼が余りにも―――かっこよかったから。
自転車はどうしたのだろう。何かあった?
それともたまたま今日だけ?
もしかしてこれから電車通学になるとか?
ドキドキする。心が躍る。
ああどうか、明日もこの時間のこの電車に彼が乗ってきますように。
―――窓越しではなく何の隔たりもない近い距離で、もう少し彼を見ていたい。
恋に落ちる瞬間というのはこういうことなのか、とまるで他人事のように思いながら、
わたしは彼に見惚れていた。
END.
赤い糸(繋いだ小指)
「ねえねえ、来世わたしと一緒にいない?」
空の上で転生の順番待ちをしていると、後ろに並んでいた性別のまだ定まっていない、魂の器に声をかけられた。
「一緒にいるってどういう意味で? 兄弟姉妹? 恋人とか夫婦?」
一緒にいるという表現だと、そんな関係が妥当だろう。
友人や幼馴染みも枠を広げれば、その範疇に入るかもしれないが。
「血の繋がりより、お互い他人で出会う方が面白そうじゃない?」
「まあね。でも君と僕には前世何の接点もなかったよね? 神様が許してくれるかな」
来世を決定するに当たって、神様は前世での行いや人間関係、性格などを重視する。
加えて何らかの接点がある者同士、無条件で傍に転生させることが多く見受けられた。
その魂はじゃあお願いしてみる、と順番が近くなるとふわふわと神様の方へ寄って行き、何か交渉している身振り手振りを暫くしていたが―――程なくして戻って来ると、落胆したように俯いたまま元気がなくなっていた。
「ダメって。そういうお願い叶えてたら、きりが無いからって」
………まあそりゃそうか。
「残念だね」
「うん。残念すぎる」
今にも泣き出しそうなその声に、何とはなしに同情心が湧く。
前世で寂しい人生を歩んだのか、酷い仕打ちでも受けたのか………。
―――その時ふと、自分の小指に巻かれた赤い糸の存在を思い出した。
ここへの道すがら案内役の天使が何の気紛れか、自分の小指にそれを結んで悪戯っぽく笑ったのだ。
『あなた前世不遇だったのをよく頑張ったから、これをあげる。誰か気に入った子の指に端を結んであげるといいわ』
その子とずっと仲良くいれるおまじない。
神様には内緒よ?
………。
もうすぐ順番だ。
僕は咄嗟にその魂の子の手を取ると、まだ半透明のその指に糸の端を結んでやった。
「これ、なに?」
「僕もよくわからない。でも繋いでいれば、次会えそうな気がしない?」
そう言うと微かに頷いて微笑んだので、少しは役に立てたかと何となく安堵した。
そうして魂の子は転生の滑り台に乗り、一気に下って見えなくなっていった。
暫くして自分もそれに乗る。
赤い糸は最初短かったが、切れずに伸びてどんどん細くなり、もう目視では確認できない。
でも結んでいる感触はそこに確かにあると確信する。
―――会えたらいいな。
いやきっと、会えるはず。
転生先で楽しみができたと、その糸を辿る期待に胸を膨らませながら―――自分も勢いをつけ、希望に満ちた滑り台を滑り降りた。
END.
入道雲(屋上の定位置)
今年も暑い、暑い夏。
オフィスの窓から見える、遠くの入道雲にうんざりする。
揺らぐ街並みが外の温度を思い起こさせて、わたしは更に気が滅入った。
………またいる。
いつからか、向かいのビルの屋上に人影を見るようになった。
わたしは今日も目を皿のようにしてそれに見入る。
遠くてよくわからないけれど、服装の感じからして多分男性。
心許ない、あんな不確かな縁に腰掛けて足を組んでいるなんて、最初は到底信じられなかった。
―――けどいる。確かにそこにいるのが見える。
昼間から屋上で何をしているんだろう。
仕事の息抜きに景色を眺めに来てるにしては、ちっともそこから動かない。
それにしょっちゅういる気がするのは最早気のせいレベルではないような。
………。若いのに、窓際族?
―――考え込んでいると、不意に彼と目が合ったような気がした。
あんな距離でそんなわけないと思ったが、次の瞬間の彼の行動にはっとする。
やおら片手を上げたと思ったら、ひらひらと振られたのだ。
え。わたし? わたしに振ってる?
―――どうしたものかと逡巡して、周りに目をやり挙動不審になる。
しかしすぐに気まずくなり、わたしはそそくさとその場から離れた。
なに、何なのあの人。
というか待って、本当にわたしに振ってた?
いやそれ以前にあそこに人がいるのも見間違いなんじゃ………。
………わたし、暑さで頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
オフィスの廊下で書類を胸に佇む彼女の脇を、皆素知らぬ顔で通り過ぎて行く。
―――正面から歩いてきた男性にぶつかりそうになったが、彼女は避けようとしない。
その彼もまたそんな素振りを見せぬまま、
彼女の中を通り抜けた。
………あの人も、もしかして。
彼女がビルの方に振り返る。
そこから姿は確認できないが、ビルの一角が垣間見えた。
縛られてはいるけれど、この場所から離れなければ………何階でも行けるはず。
わたしは踵を返すと、階段に向かい歩き出した。
そこから見える外の景色はどんなだろう。
あの入道雲はまだあるだろうか?
そして向かいのビルの、あの人は―――。
わたしは逸る心を抑えきれず駆け上がる。
分厚い扉の前に立ち、大きく深呼吸をして息を整えるとその取手に手をかけた。
―――燦々と輝く太陽の光。
だだっ広いコンクリートの向こうにある、白味がかった薄汚れた柵。
「………やっぱり、いた」
目が眩む中、暑さで揺らぐ街並みに紛れて煙草を咥え座っている彼。
その姿に思わず声が出そうになるのを寸前で抑えて、
わたしはそこから大きく手を振った。
END.
※関連お題
5/25「あの頃のわたしへ」
6/6 「誰にも言えない秘密」
6/21「あなたがいたから」
夏(恋に溺れたのは)
夏と言えば? 海! 海に行こう!!
―――と友人三人とで、意気投合してやって来ました海水浴。
海岸線で交わる青い海と青い空。
真っ白い入道雲がアクセント強めに主張する。
the☆夏、これぞこの世の天国!その名も夏休み!
「………なーんてテンションで振り切れたら楽しいんだろうけどな」
砂浜でビーチボールを楽しむ三人の姿を、彼はひとりジト目で眺め入る。
天気も良く波も良好、しかも片想い絶賛中の相手までいるというお誂え向きのシチュエーションだというのに、何故か彼の気分は晴れない。
と言うのも実は彼、―――泳げなかったりする。
「ね、一緒にやろうよ。海は無理でも、砂浜は大丈夫だよ?」
………ああ、誘ってくれる笑顔と水着が眩しい。
せっかく彼女とお近づきになれるまたとないチャンスなのに、―――なのに。
「………。ごめん、ほんと俺はここからで」
やんわり断ると、表情の曇った彼女を見て心がずきりと痛くなった。
「どうしても?」
いや、うーん………。
―――確かにこれじゃ何のために来たのかわからない。
行き先が海に決定した時、辞退しようかどうか本気で悩んだ末に決意したのは、ここで克服できたら彼女とさらに親密になれるかも?と淡い期待を寄せていたからじゃなかったか。
「………じゃあ、少し挑戦してみるかな」
「ほんと?」
彼女の表情がぱっと明るくなり、自分も嬉しくなる。
「どうせなら、砂浜越えて海の方がいいかも」
―――彼女の笑顔につられて調子に乗った自分の口を、この時程心底呪いたいと感じた瞬間はなかった。
「大丈夫? 怖くない?」
………海に足をつけるのは何年振りだろう。
彼女が海を背に、俺の両手を引いてゆっくりと後退する。
まるで幼児と親だが、今の俺はそれどころじゃない。
どういう経緯であれ、彼女と。手を繋いでいる………!
「思ったより平気かも」
正直久々の海に足が竦んだが、表にはおくびにも出さず余裕を装った。
「そう?よかった! 楽しいよね海!」
ああ、俺の目の前に女神がいる。
あの時思い切って決断した自分を褒めてやりたい。
そうして胸辺りまで浸かったところで、最初だからここまでで、そろそろ戻ろうかという流れになった。
とっくに限界突破していた俺は頷いて、逸る心を抑えながら浜辺に向かい後退した、
その瞬間。
―――彼女の姿が忽然と消えた。
「え、」
俺はハッとして何かを思う間もなく、咄嗟にその場に頭から潜った。
―――彼女が半歩足を引いたであろう先から急に足場が無くなっている。
水中で混乱して抵抗するその腕を掴み、俺は必死に彼女を自分の方へ引き寄せるとその体を抱いて支え立ち上がった。
「………」
「………」
二人して息を切らして、無言でお互いを見つめる。
溺れた状況か余りにも近いその距離か、互いに驚きの視線を交わした後―――彼女の唇が動いたと思った瞬間、俺は波間にぶっ倒れた。
………そこからは全く記憶にない。
気づいたら友人達が心配そうに砂浜で上から俺を覗き込んでいた。
―――そうして彼女との仲も進展せず曖昧なまま、俺の夏は終わりを告げた。
夏休みが終わり、キャンパス内をひとり歩く。
あの時の海を思い、散々な夏だったと振り返ると俺は盛大な溜息を吐いた。
「水泳教室にでも習いに行くか………?」
呟いたのと同時に、背後から名前を呼ばれ振り返る。―――すぐ目線の先によく見知った姿を見出して、俺は焦ってカバンを落としそうになった。
「………あの時はありがとう。あと、ごめんね。無理に誘ったから余計トラウマになったんじゃないかと、心配で」
「いや、全然! 俺の方こそ気を遣わせてしまって、ごめんな」
あんな失態を晒してしまって、呆れただろうな。
俺の恋もここで終わりか………、
「あの、それでもしよかったらなんだけど」
「うん?」
「まだ暑いし、今度よかったらプールに行かない? もちろん、浮き輪付きで」
「プール………」
水辺はちょっとまだ、遠慮したいかな………。
「それで、もし嫌でなければ―――二人で」
………。俯いた彼女の顔が赤くなっているのは、俺の思い違い………か?
―――俺の夏と恋はまだ、どうやら終わりを迎えてはいなかったらしい。
暑さに揺らめく夏の残り香に、どうかこのまま消えないでくれ、と。
俺は目の前の女神にそう祈った。
END.