ここではないどこか(檻を捨てた先)
最近国内で、闇の違法取引が横行しているとの問題が取り沙汰された。
常々耳には入っていたが、ここ数年明らかに不法行為が相次ぎ、国民にまで影響が及ぶようになりつつある。
見過ごすには事が大きくなりすぎたその取引所の支配人を捕らえるべく―――まずは潜入捜査が行われる手筈が整えられた。
「ダルいよ。俺こういうのとんと向いてないのに、何で抜擢されるの」
ねえ何で?どうして?
―――件の闇取引所の潜入に難なく成功し、取引が開始される前の舞台上では着々と準備が進められている。
取引所は賑やかだ。皆違法だと理解しているのだろうか?
そうであれば全員牢獄にブチ込まなければならない。
実に面倒臭い。
「お静かに。王が直々に貴方様を指名したのです。後継者争いを早々に辞退して、暇を持て余しているだろうから使ってやってくれとわたくしに頼まれたのですよ」
「………親父め、余計な世話焼きやがって」
だいたい俺は末子なのだから、初めから後継云々の表舞台に立つ身分じゃないんだよ。
まあそれを差し引いても面倒事に巻き込まれるのはご免だし、気楽に生きていたいのだ。それの何が悪い。
「ほら始まりますよ。くれぐれも周りにご身分を悟られぬよう、注意して下さい」
「わかったわかった」
―――今日は一先ず潜入捜査だけだ。適当にやって終わらせよう。
闇取引とは、簡単に言えば国から禁止されている希少な宝石や毛皮、時には動物そのものの命が競りによって落札、売買されることを指し示す。
この日も王族の立場を持ってしても頻繁には見られない、稀有な品物が次々と出品された。
「………どうなってんだこれ。こんなバカ高いもの、一体どうやって入手してるんだ。信じられん」
「お声が過ぎます。お静かに」
―――その時、一際甲高く鐘の音が鳴り響いた。
どうやら今回の目玉が満を持して出品されるらしい。
………大袈裟に煽りやがって。
一体何の動物だ? はたまた俺ですらお目にかかったことのない、巨大な鉱石か。
「………な、」
―――徐ろに舞台にそれが現れる。俺は思わず目を疑った。
いや俺だけじゃない。隣にいる従者も、その場の客も全員言葉にならずそれを凝視する。
―――本日一押しの商品、“幻のエルフ”
今回はこちらが最終でございます。
どうぞ皆様奮ってご参加下さいませ―――
そのアナウンスに、取引所が一斉に色めき立つ。
「………まだうら若い乙女をあのように檻に拘束するとは、なんと酷い。これは由々しき問題です、王子」
隣で低く囁く従者の声は、けれど俺には届かない。
………目映い銀の髪と瞳。艷やかな肌。
それでいて拘束されているにも関わらず、檻の真中で
佇むその瞳に潜む―――強い、意志。
「1000万ルビー!」「3000万!」「5000万!」
みるみる間に彼女の価格が釣り上がる。
「100000000ルビー」
「はっ………、はい!?!?」
手を挙げ金額を口にした俺の隣で、従者が素っ頓狂な声を上げる。
「王子!」
「黙ってろ」
―――値段の跳ね上がりにざわめく客を他所に、主催者が何者かと耳打ちをする。
「申し訳ございません。手違いがあり、こちらの商品は取引中止とさせて頂きます」
急なアナウンスに、俺はすかさず立ち上がった。
「それは出来ない相談だな」
「そう申されましても」
男の片目が鈍く光る。
瞬間、巻き起こった爆風に従者が素早く対魔法で応戦に臨んだ。
「王子!」
瞬く間に混乱に陥った取引所で、俺は他に目もくれず彼女の檻へとひた走る。
―――悲鳴と怒号が飛び交う中、俺と彼女の視線が重なり合う。
魔法で鍵を壊すと俺は彼女に手を差し出した。
「来い」
「………」
じっと俺を見据えたまま、彼女は動こうとしない。
そのうち増え始めた支配人の手下達に取り囲まれ、俺は忌々しげに舌打ちすると手を上へと翳した。
「彼女は俺が引き取る。これで文句は言わせない」
―――翳した先から、とめどなく紙幣が降り注ぐ。
これには手下も客も目の色を変えて我先にとそれを拾い集め、奪い合いが至る場所で勃発した。
その隙に俺は強引に彼女の手を引くと、そこから脱出を図り二人連れ立って走り出す。
「どこへ行くのです」
「どこへ? さあな。ここよりはマシな、どこかだな」
行く宛なんぞ決めていない。
とにかく彼女をここに置いてはおけなかった、それだけだ。
「檻で暮らすのは嫌だろ?」
―――俺の問いかけに彼女が戸惑いながらも無言で頷く。
今はそれでいい、と思った。
運命ならきっとどこへでも行けるはずだから。
共にここではない、―――どこかへ。
END.
君と最後に会った日(安らかに眠れ)
うちのお嬢様は大層気まぐれだ。
今日も朝早くから叩き起こされて、何事かと慌てると予定にはない墓参りに行くと言い出し脱力する。
―――当然の如くお嬢様付きの執事の俺は同行を命じられ、朝からどっと憂鬱になった。
「お、じょ、う、さ、ま!」
小高い丘の上にあるらしいその墓は、登っても登っても一向に見えてこない。
これ丘じゃねえ、寧ろ山だろ!
………心の中で何度突っ込んだかわからないくらいの急な道程を、さらに墓掃除道具一式背負わされて俺はブチギレ寸前で前を行くお嬢様に声を上げる。
「何よ、もうヘタったの? だらしのない」
「荷物が多すぎなんです! ていうかまだですかね!? かなり歩いてると思うんですが!」
ただでさえ苛々が募るのに息が切れて、口調の荒さが増すのはどうか咎めないでくれ。咎められたらまたいつかみたいに大喧嘩になる。
こんな場所でそんな失態犯したくねえ。
「あなたもう少し鍛えた方がいいわよ。この程度で音を上げるなんて」
いやあんた手ぶらだろうが!!
喉まで出かかったその言葉は、急に開けた目の前の景色に一瞬で掻き消えた。
平らに成らされた土地に建つ、白い英国式の墓。
………墓に対する感想として相応しくないかもしれないが、純粋に、綺麗だと思った。
「着いたわよ、ご苦労さま」
見惚れて呆ける俺を置いて、彼女が俺の荷物を手に取り墓に歩み寄る。
俺は我に返ると、彼女と共にその真白い墓標を掃除し始めた。
―――あらかた掃除を終わらせ、最後に彼女が花束を添える。
屈んで手を合わせるその姿に、自分も隣で目を瞑り同じく手を合わせた。
「何も聞かないのね」
「………。聞かれたくないのではと思って。普段よく喋るお嬢様が、今日は思いの外静かなので」
―――やはりこの人は、見込みがある。
あの時お父様を説得して、わたしの傍勤めにしておいて正解だった。
「………ここはね、以前勤めていた執事のお墓なの」
「―――お嬢様に仕えていた執事の?」
「そうよ。うちの邸宅に侵入した反組織に撃たれて命を落としたの。彼は執事とSPを兼任していてね」
ボディガード………。
「―――わたしを庇って一発で。致命傷だった」
あれが最後の日になるなんて、思いもしなくて。
最後あの人と何の会話を交わしたか、―――もう思い出せない。
「………お昼回っちゃった。そろそろ帰ろうか」
立ち上がり俺を促す彼女の横顔が、どうにも虚ろに見えた。
「―――大丈夫です」
「え?」
「俺は死んだりしないので。あの夜、俺も願掛けをしたから」
あの夜――― 月下美人の?
何を願ったの、と彼女が聞く前に彼は行き同様掃除道具一式を担ぐと、先に来た道を下り始めた。
「お嬢様、置いてきますよ」
「ま、待ちなさいよちょっと!」
慌てて後を追う彼女に、競争です!と声をかけて俺は一気に坂を駆け下りる。
ずるい、意地悪、卑怯者!と罵声が飛ぶのを背に受け、俺は笑った。
“この見かけによらず繊細なお嬢様を、強い意志で守り抜けますように”
―――俺はあの花と満月の荘厳さに誓って。
あんたを一人にはしないと心に決めている。
END.
※関連お題
6/26「繊細な花」
繊細な花(A Queen of the Night)
「月下美人?」
………まぁたお嬢様が妙な趣味に走り出した。
下っ端執事の俺はあからさまに眉を顰める。
「そうよ知ってる?」
―――広大な庭に巨大なパラソルを広げ、日光浴に勤しむ彼女の脇で俺は知るかと内心毒づいた。
「存じ上げませんねえ」
「勉強不足」
即座に言い返されてケッと表情を歪める。
もちろん、バレるような失態は曝さない。
「中米の花なんだけどとっても繊細でね、夜にしか咲かないの。白くて美しいのよ、わたしみたいに」
「はあ」
白くて美しいまではわかる。わたしみたいにって何だ。
そりゃあんたは美人だけど自分で言うかね?普通。
整った横顔をちら見して、俺はすぐに視線を逸らした。………そんな顔かよとは到底突っ込めないほどに、彼女の容姿は整いすぎていた。
「でね、その月下美人を用意してもらいたいの」
「左様ですか。いくつほど?」
「そうね。500もあればいいかしら」
「はあっ!?500!?」
―――このお嬢様は花を用意する時、人様用以外は基本鉢植えを所望する。
………鉢植えで500だと? しかも中米の花って言いやがったな。日本じゃ500揃えんのはムリだろ………。海外発注しろって?
手続きが面倒でややこしいんだよ、花は特に!
つうかそもそも何に使うんだそんなに。
「庭に並べて、夜に花が咲く瞬間の観賞会をするの。月下美人はその名の通り月夜の下に花を咲かす傾向にあるのだけど、上手い具合に夜に花開くかはわからなくてね。その誤差を差し引いて、500」
………誤差差し引いて、ケタ一つ減らしても充分な気がするが。
「なーに、出来ないの?」
「いいえ。仰せのままに」
俺は恭しく頭を垂れる。
―――執事駆け出し初っ端の頃に、このお嬢様に楯突いて大喧嘩した挙げ句上から大目玉を食らったことは一生忘れない。
それでクビになるどころかなぜか気に入られて、お嬢様専用の執事に抜擢されるのだから―――人生、何があるかわからないと思う。
「月下美人は新月や満月の夜を好むの。次の満月がそろそろ近いから、それまでに用意して」
「承知しました」
「満月までって、あんの鬼畜お嬢様め………!」
調べたらあと半月しかねーじゃねえか!
くそぅ、と愚痴を吐きつつも手配の手は休めない。
………受けた以上、無理でしたでは通用しないのだ。
それが彼女の逆鱗に触れると身に沁みてわかっていたし、―――それに。
『………ごめんなさい』
………あの大喧嘩の後。
今にも泣きそうな表情で、戒めだと上から打たれて赤く腫れた俺の頬を―――ハンカチで冷やしてくれた彼女。
そう。根の優しさも、嫌という程わかってる。
ちっ、と短く舌を打つ。
―――俺はそれから発注に没頭した。
半月後。
空には綺麗な満月。庭には500揃えられた、白い可憐な月下美人。
「うん、素敵。綺麗ね」
………どうやら満足してくれたようだ。
違法ぎりぎりの手回しで期日に間に合わせた甲斐があった。報われてよかった。
「―――ですが大半が蕾か、もう開花済みのものも多く見受けられます」
申し訳ありません、と頭を下げると彼女は首を振って笑った。
「わたしが無理を言ったのよ。………それより、月下美人の花言葉を知ってる?」
「花言葉? ………いえ」
「勉強不足」
………またもびしりと言い返されて、俺は内心ケッと悪態をついた。
「花言葉は“儚い恋”“ただ一度会いたくて”よ」
「随分としおらしい花言葉ですね」
俺を我儘にこき使うお嬢様には不釣り合いでしかなくないか?
「あと、“強い意志”“秘めた情熱”とかもあるわね」
―――ああ。それは何か納得。
「………満月の夜に願い事をすると叶うって言うじゃない? もしこの中のひとつでも今花開いたら、願いが叶うかもって思ったの」
願い………ねえ。
そう上手くいくかねえ、と思ったがその内のひとつに目が止まった。
今にも咲きそうな気配がある。
「お嬢様、あれがもう今にも咲きますよ」
「―――どうか神様」
彼女が俺の袖を掴み、月下美人の開花を見守る。
「今隣にいるこの人が、わたしを好きになりますように」
うんうん、お嬢様が俺を………
―――ん?
「す、好きに?」
「そう。好きに」
は!? どういうこと!?!?
思わず俺が一歩身を引こうとすると、彼女はすかさず身を乗り出し俺の袖を離すまいとさらに強く握り締めた。
「わたしに無理です、とは言わないわよね?」
―――我儘で。鬼畜で。
それでいて繊細で。見目麗く。
狙った獲物は逃さない、ひと。
………驚きのあまり俺が動けないのを知ってか知らずか、彼女はにこりと笑ってその両腕を俺の首へと回すのだから始末に負えない。
俺は顔を引き攣らせたまま、さらにその場に固まった。
―――満月の下、月下美人が咲き誇る。
“儚い恋も強い意志で突き貫く”、と。
白く清いその身を堂々と、夜の闇に映し出していた。
END.
1年後(星ではない、空へ)
―――発症したのは娘が二十歳の頃だった。
初めは全く気づかなかったが、どこか次第に幼さが増していく様子に不安が募ったわたしは、気のせいだと笑う娘を説得してどうにか専門医のいる病院まで連れて行った。
まさか、そんなわけない。
あの子の言うようにわたしの思い違いに決まってる。
………診断が下るまでの待合室の時間は異様に長かったことを覚えている。
医者に呼ばれ、強張った表情で告げられた病名は―――
“時間逆行症候群”、だった
普通の人間は今日を経て明日、明後日と未来を生きるが、この病にかかると今日の次は昨日、一昨日と過去を生きる。
日、一日一日若返ると言えば聞こえはいいが、そんな簡単な問題ではない。
一日経つたびに前日の記憶を失い、―――そして。
わたし達とは全く異なるベクトルで、その命も削られていく。
発症から数年後。
娘は高校生なっていた。
「お母さん、卒業式泣けたねー!」
「ねえ明日、卒業式だねー 早いねえ」
「もうすぐ卒業式なんて信じられないなー」
―――日に日に。
一日追うごとに、娘は記憶を無くし若くなっていく。
効かない薬を飲ませ続け、少しでも進行を遅らせられればと願うものの、その効果はないに等しかった。
どれほどの医者をもってしても、この病気を前に立ち塞がることができない。
―――数年後、中学生に。
「お母さん、卒業式泣けたねー!」
「ねえ明日卒業式だねー 早いねえ」
「もうすぐ卒業式なんて信じられないなー」
………いつか聞いた台詞だと思った。
違うところは娘の背丈と、気持ち幼さが増したその口調だろうか。
―――小学生に。
「おかあさん、授業参観きてね!」
「遊びに行ってくるねー!」
「学校行ってきまーす!」
余りにも残酷に確実に。
娘の残りの時が、何も抵抗できずに過ぎていく。
「おかーさん、おてていたい」
「おなかすいた、ごはんー」
「もうねむい」
―――そしてついに、娘は言葉を話すこともなくなった。
きゃはきゃはと無邪気に笑いながら手を叩き、わたしに抱っこをせがむ。
離乳食を食べ
おむつを替え
添い寝をして、ミルクをあげて。
ある日、何の前触れもなしに。
娘はわたしの前から姿を消した。
―――あれから一年が過ぎた。
わたしは生きていればきっとまた会えるはずだと、今日も日々をやり過ごしている。
あの子は空へ還ったのだ。
………わたしは昔のまま手をつけられないでいる娘の部屋で、窓の外を眺めながら静かに目を閉じた。
END.
子供の頃は(あの頃のままで)
「片付け終わったー?」
―――まだ肌寒い春には少し遠いその日、僕はあらかた自分の部屋の整理を終えていた。
いる物いらない物を分け、段ボールに詰めて階下に運べるよう廊下に積み上げる。
「もう少しかな、後ちょっと」
部屋を見渡し、なかなかに綺麗になったと満足する。
引っ越しの準備というのは意外に重労働だと腰に手を当てて一人息をついた。
ふと残っている荷物の中に一冊の古いアルバムが目に留まり、手に取ってみる。
「へー、懐かし」
赤ん坊から徐々に成長していく過程がつぶさに記録されていて、母の几帳面さが覗える。
そうだった、こうだったとペラペラ捲っていくと一枚の写真が裏側向きで挟んであった。どこか古そうだ。
何気なく表にする。
「あれ、これって」
見覚えがある。確か、………
「お兄ちゃん、お客さんー!」
「はーい」
一階からの妹の声に顔を上げると、僕はアルバムを置いて早足に下へ降りて行った。
玄関のドアを開ける。
「よっ」
「………何だお前か」
「何だはないだろ、冷てーなあ。こちとらせっかく盛大に見送ってやろうと餞別持って来てんのに」
憮然と差し出された箱に、僕はしかし特に反応もせず受け取る。
「おばさんに有り難く頂きましたと伝えてくれ」
「あ、バレてた?」
「………バレるも何も、お前がそんな律儀な奴だと端から思ってないって。透けて見えてんの、その腹づもりが」
呆れ返る僕に、彼はしらっとつまんねえと呟くのだから全く手に負えない。
少しは名残惜しそうでもあれば可愛げがあるというのに、こいつときたら………。
「いやほら、またどうせ会うって。昭和じゃあるまいし、連絡手段なんていくらでもあるじゃん?」
「連絡取るほど会いたいと思う仲だったらな?」
「………。さすがに酷くない?それ」
―――じゃれ合う程に仲が良い。
そういう関係だった、僕らは。昔から。
「ほら」
「ん?」
幼馴染みが小指を差し出す。
「忘れない約束」
約束………。
『お前絶っっ体忘れるだろ! 信用できねえ、ムリ!』
『そういうお前だって約束守ったことねーじゃん! 自分のこと棚に上げてよく言うな! 信じられねー!』
『まあまあ二人とも。じゃあ忘れないように指切りしよう? あと、おまじないかけておいてあげる』
おまじない?
―――幼い頃の僕と彼の指切り。
それは確かにおまじないとして今も僕の手元に残る。
「何だよ、俺と約束はしたくないって?」
お前そこまで捻くれてた? 俺がこんな健気なの当分拝めないよ?
「………なに有り難みを強要してんの」
僕も彼に小指を差し出す。
―――あの頃のように二人とも純粋に笑えてはいないかもしれないけど。
あの写真は今も僕の中で色褪せずに輝いている。
END.