安達 リョウ

Open App

1年後(星ではない、空へ)


―――発症したのは娘が二十歳の頃だった。

初めは全く気づかなかったが、どこか次第に幼さが増していく様子に不安が募ったわたしは、気のせいだと笑う娘を説得してどうにか専門医のいる病院まで連れて行った。

まさか、そんなわけない。
あの子の言うようにわたしの思い違いに決まってる。

………診断が下るまでの待合室の時間は異様に長かったことを覚えている。
医者に呼ばれ、強張った表情で告げられた病名は―――

“時間逆行症候群”、だった


普通の人間は今日を経て明日、明後日と未来を生きるが、この病にかかると今日の次は昨日、一昨日と過去を生きる。
日、一日一日若返ると言えば聞こえはいいが、そんな簡単な問題ではない。
一日経つたびに前日の記憶を失い、―――そして。

わたし達とは全く異なるベクトルで、その命も削られていく。


発症から数年後。
娘は高校生なっていた。

「お母さん、卒業式泣けたねー!」
「ねえ明日、卒業式だねー 早いねえ」
「もうすぐ卒業式なんて信じられないなー」

―――日に日に。
一日追うごとに、娘は記憶を無くし若くなっていく。

効かない薬を飲ませ続け、少しでも進行を遅らせられればと願うものの、その効果はないに等しかった。
どれほどの医者をもってしても、この病気を前に立ち塞がることができない。

―――数年後、中学生に。

「お母さん、卒業式泣けたねー!」
「ねえ明日卒業式だねー 早いねえ」
「もうすぐ卒業式なんて信じられないなー」

………いつか聞いた台詞だと思った。
違うところは娘の背丈と、気持ち幼さが増したその口調だろうか。

―――小学生に。

「おかあさん、授業参観きてね!」
「遊びに行ってくるねー!」
「学校行ってきまーす!」

余りにも残酷に確実に。
娘の残りの時が、何も抵抗できずに過ぎていく。

「おかーさん、おてていたい」
「おなかすいた、ごはんー」
「もうねむい」

―――そしてついに、娘は言葉を話すこともなくなった。
きゃはきゃはと無邪気に笑いながら手を叩き、わたしに抱っこをせがむ。

離乳食を食べ
おむつを替え
添い寝をして、ミルクをあげて。

ある日、何の前触れもなしに。

娘はわたしの前から姿を消した。


―――あれから一年が過ぎた。

わたしは生きていればきっとまた会えるはずだと、今日も日々をやり過ごしている。

あの子は空へ還ったのだ。

………わたしは昔のまま手をつけられないでいる娘の部屋で、窓の外を眺めながら静かに目を閉じた。


END.

6/25/2024, 7:58:43 AM