「変わらない」
うまく寝付けなくて何となく眺めた曙(あけぼの)の空。帳が晴れ 段々と色付いていくその茜は神々しく目に眩しくて,何故か同時に少し物悲しい。
肌を刺すように張り詰めた空気。普段よりも厳かに感じられるのは心の持ちようゆえか。謀らずとも済ませた初日の出。太陽はいつもと同じただ佇む。
誰もが寝静まった時からひたすらに見続け,瞼に映る光。それはいやに美しく 残酷なほどに幻想的でリアルだった。
矮小な自分と言う存在をまざまざと思い知らされる。そんな圧倒的な自然の営み。
「届けば良いのに」
出たばかりの紅鏡に向かって伸ばした指先は空を切るばかり。届いたとしても何が変わる訳でもないけれど。
それでも届くなら届けばいいと思う。そして願わくば同じ景色を見続けたいとも思うのだ。
「せめて近づきたい」
無情な浮き世。この身は蜻蛉のごとく散りゆくだけ。さればこそ翔てみたいと願うのかもしれない。例えその翼が焦がれることになろうとも。
聳え立つ摩天楼よりもなお遥か彼方。人である限り側に行くことも叶わない届かぬ存在。
「初日の出? 眩しいね」
気が付けば隣に,顕然と降り注ぐ暁光に目を細める君が。
「本当に眩い。綺麗だよ」
何よりも君が。なんて言えるわけもないけれど。今年こそは少しでも近づきたい。たとえこの手が決して届かなくても。願うだけなら許されるでしょう?
ねぇ,僕のソレイユ。
テーマ : «日の出»
“新年の抱負 ”
事前に配布されていたプリントを前に溜息を一つ溢す。随分簡単に言ってくれるものである。
少なくとも自分にとって抱負など簡単に思い浮かぶものではないし,まして人に見せるものでもない。
宣言効果については理解しているけれど,他人の抱負に興味はないし自分のものを見せるのも心の内を見られるようでありがたくない。
かと言って適当なことをでっち上げて書くのは性に合わない。そもそも何故個人のことに赤の他人がどうのこうのと口を出すのか。数ある課題のなかでも最も嫌いなものの一つである。
例年通り,立てた目標の中から適当なものを繕って嘘でもないが本当とも言えない 見た相手が気に入るようなよくあるようなものを綴っておく。
「馬鹿馬鹿しい」
子供ながらに必死で考えた抱負は否定されて,いつもやっている行動を書けば満足するのなら そんなものはもう偽りも偽り,意味なんかありもしないただのハリボテ。
─毎日小説を書く
それの何が悪いと言うのだろうか。将来の役に立たない? 語彙力や想像力·観察眼を大人が否定するのか。自分の思うままにしたいならはじめからそう言えばいいものを。
どうせ口先だけで叶わない抱負で満足するのならなんてお幸せなこと。見くびるのも大概にしてもらいたい。
抱負 そんな大切なものを教えるわけないだろう。人の夢を否定するしかしない人たちなんかに。
大体そんな大層なことを自分が叶えた試しもないくせに。あなたには期待しているとか耳触りのいい言葉なんかほざくばかり。鬱陶しい。
自分の生きたいように生きる。後悔しないように,毎日を大切にする。
地に足がついた現実的なものでないといけない?知らないし。世間知らずな子供上等。誰かの引いたレールの上を意思も伴わず流されるままの走るだなんて冗談じゃない。
「······良い子 なんか居ないよ」
都合の。ドールじゃないんだから。人形遊びはいい加減卒業していただいてもよろしくて?あなた達 いい大人でしょう?
「素晴らしい抱負ですね。皆さんも見習いましょう」
ああ,本当に 大人なんかなりたくないな。成熟した子供になりたい。自然に年をとるのではなく,自ら年を重ねたい。
目の前に居る大人も子供の頃はそう思ってたはずなのにね。本当時や,忘却 諦めの残酷なこと。
······いつか自分もそう思われるのかもしれないけれど。長く生きただけで大人と呼ばれる世界。
なんって恐ろしい。
テーマ : «抱負»
“よいお年を”
柔らかな響きが暖かな言葉。さようならと言うよりは,またね に近い気がするそんな挨拶。
一年でほんの一週間もないぐらいの期間 数回だけしか口にしないそんな音。
“明けましておめでとう”
次に会ったときにそんな風に言えるからだろうか。挨拶の中でも殊更魅力的に聞こえる。
正式な使い方ではないらしいけれど,大晦日に言って 翌日 新年の挨拶をするあの高揚感。間違いなく続く未来を思わせる素敵な時。
そんな風に思うのは変なのだろうか?
来年は君に一番に伝えられたらいいな。今年はもう過ぎてしまったけれど。
寝る前に よいお年をって君に言うから。目が覚めたら 明けましておめでとう って。
······ えっと,だからね。一緒に住んでくれませんか?
テーマ : «よいお年を»
「もうこんな時期」
随分と薄くなったカレンダーを前に立ち尽くす。12月とかかれた紙は最後の一枚で明後日になればまた新しいものに変えなければいけない。
少年老いやすく学成り難し とはよく言ったもので本当に時が過ぎ去るのは早い。まして師走ともなれば。
慌ただしく忙しない街並み。帰省ラッシュを伝えるニュース。年末年始の休業のお知らせをのせたチラシ。
時の流れを伝えるものは数多いはずなのに,何故かどれも遠い。まるで一人取り残されたみたいに。
「新年か。······何を祝うんだろうか」
一人きり家にこもって過ごす自分には,そのありがたみもなにも正直よく分からない。在りし日のように,当たり前に来るその日を待ちわびたりなどしない。
毎年の習慣として大掃除を済ませた広くもない部屋。汚れひとつない窓も,磨き上げたフローリングもやけに冷ややかだ。
眠らない街はどこまでも人を無関心にさせる。それが過ぎ,ぴくりとも動かなくなった感情の針。
大晦日も元日もなにも変わらない。過ぎれば過去,未だ見ぬ先は未来。ただそれだけのこと。
無言の空間に耐えかねてつけたままのテレビ。流れるのは特別面白くも興味もない番組。一年の振り返り そんなことを誰かに尋ねていた。
「······振り返れるようなことね」
今年一年何がありましたか?振り返ってみてください。 そんな風に聞かれてすぐに反芻できるようなことがあるのならそれはもう幸せなのではないだろうか。
なにもない。そんな答えにならない時点で。
何て 言ってみたところで,随分と淋しい年だったことは変わらない。本当になにもない退屈で凡庸な日々。ただ消化された時はもう帰らない。
「······平穏無事だったのか」
無病息災。仕事も滞りなく身内の不幸もない。何一つ 困難に陥ることなく今日とゆう日を過ごし,過去に思いを馳せる。余裕のある証拠だろう。
「感謝しないと」
大人になって失ったもの。あの頃の純粋な心。好奇心·冒険心·感謝の念。
いつのまにやら灰色の男たちの魔の手に陥っていたらしい。時間は貯蓄なんか出来ないのに。
「······本でも読もう」
久しぶりに昔好きだったあの本を手に取ろう。文庫ではなくてハードカバーで。108の鐘を聞きながら。
テーマ : «一年を振り返って»
キーンコーンカーンコーン
鳴り響くチャイムの音。張りつめた糸が切れるようにだらけだした生徒たち。小さな溜め息と共に出される授業終了の声。感謝の気持ちなんか欠片もこもっていない形式だけの挨拶。
座りっぱなしで凝った肩をまわし,机の上を手早く片付ける。ざわめきに満ちた教室 人の群れを掻き分け闊歩するように近づいてくる誰か。その影は目の前に落ちた。
「今日はどこにする?」
「······美術室」
約束をしているわけでも何でもないのに,毎日こうして迎えに来るのは何故なのか。馬鹿正直に答える自分も自分なのだけれど。
そもそも授業が終わればすぐに教室をあとにしていた自分がほんの数分とは言えここに居ること自体が,おかしいことなのだけれど。
それ以上なんの会話もせずにただ一人美術室へと向かう。相手に気を使ったりなんかしないし,そもそも着いてきているかどうか視線を向けたりもしない。
ただ静かな足音が聞こえてはいるから,たぶん後ろにいるのだとそう思うだけ。
「失礼します」
誰もいない教室。油絵の具や木材 その他色々な匂いが入り交じった香りに迎えられる。
日の光が当たる席に鞄をおろし,水道で手を洗って弁当を広げる。目の前の人物はこちらにテーブルをくっつけていた。
「いただきます」
「いただきます」
唯唯黙って己の食事を済ませる。その間なんの会話もなく,時折外の景色を見つめたり 視線が絡むだけ。
······本当に何が楽しくてこんなことをしているのだろうか。
「ご馳走さまでした」
「はい,これ」
目の前に差し出されたのは皮の剥かれた蜜柑。状況をうまく理解できずまばたきを繰り返していれば,いつのまにかとられた手にオレンジの果実が乗せられる。
「······なんで?」
「ビタミン。体調よくないんでしょ?」
声を出したわけでもないのによくもまぁそんなことに気がつくものだと思う。妙に勘が鋭くて気が使えて,なのにどうしてこんなところにいるのやら。
「ありがとう。いただきます」
「どうぞ」
ふんわりと弧を描く口。茶葉から丁寧に淹れられたロイヤルミルクティーのような柔らかで甘い瞳の色。それが獲物を狙う獣のような欲を宿したように見えたのは目の錯覚だろうか。
親切心での行為に対してそんなことを思ってしまったのは何故なのか。さりげなく盗み見た瞳はいつも通りだったのに。
「······ねぇ,楽しいの こんなことしてて」
「もちろん。好きでしてるよ」
貰った蜜柑を口にしながら問いかければ間を置かず帰ってくる返答。それは糖度の高い蜜柑と相まっていやに甘やかに聞こえた。
テーマ : «みかん»