大人になれば冬休みなんて何ら特別なわけでもない。ゴールデンウィークの方が休みは長いし,ほんの数日仕事がなくなるだけの日々にすぎない。
長期休み そんな理由がなくたって会おうと思えばいつだって会える。だってもう大人だから。
社会人にもなればお金はある。時間だって作ろうと思えば作れる。新幹線に揺られて一時間と少し。遠距離恋愛と言うには近すぎる距離は,二人を隔てる壁になんかなりもしないはずで。
なのに何でこんなに遠いんだろう。毎日のように電話して,たまには手紙も出しあって。写真のフォルダだって君でいっぱいなのに。
最後に君に会ったのはいつだっただろうか。もう思い出せもしないくらい前。あのとき君はノースリーブのワンピース姿で,浜辺ではしゃいでかき氷を食べて。そうかあれはそんなにも昔。季節二つも跨いでしまったのか。
「さみしい」
思い出してしまえばそんな思いにさらされる。なのに,恋しい愛しいってそんな思いで溺れそうになってもまだ動けない。
なにとなしにつけたテレビは帰省ラッシュのピーク予想を報じている。誰もが慌ただしく過ごす時間のなかで,ほんのひとときの安らぎを求め自分の古巣へ帰るとき。
「会いたいな」
ポケットに仕舞いこまれた予定帳を開く。仕事納めが終わればなにもないまっさらなマス目。
「帰ろうかな」
久しぶりに親の顔でも見に行こうかと,たまには向こうの友人たちと飲み明かそうかと そう思った。
そしたら,ついでに君の家にもよってみよう。君の好きなケーキでも持って。明けましておめでとうって。今年もよろしくって。そんな言葉を言い合いながら二人で時間を過ごしてみよう。
「同窓会のお知らせも来てたし」
納得できる理由を繕わないと,自分の欲に従って行動のひとつも出来ない臆病者だからさ。自分に言い訳して嘘をつくんだ。
本当はただ君に会いたいだけなのにさ。
─── ねぇ,大好きだよ。
冬休みの雰囲気のせいにしてしまえばそんな言葉も言えるかな。
テーマ : «冬休み»
「寒い」
所々斑に色づいた道を滑らないように踏みしめるようにして歩く。吐く息は白く,吸い込んだ空気は冷たすぎて喉や鼻の痛覚を刺激する。
かじかむ指先を擦るようにして合わせててみるけれどあまり効果はなくて。仕方なしに,握ったり開いたりを繰り返しながら血が通うのを期待する。
「······そうだった」
鞄の中を探った手はされど目的のものを掴むことはなく,ただ底に当たる。
視界に入った温度計は氷点下を示し,意識したことで余計に凍えたからだは身震いを起こす。こんな日に限って手袋を忘れ,道歩いているはずの使い捨てカイロは見つからなかったことを思い出す。
「どうしたの?」
突然立ち止まった僕を待つように足を止め首を傾げた君に,首を降って返事をしてまた歩き出す。
まぁ,ないものはないから仕方がない。些か行儀が悪いがポケットにてを入れることで暖をとろうかと考えていると,ん と目の前になにかが突き出された。
「えーっと?」
「手袋。手突っ込むのは危ない」
流石に人様から奪うのは忍びないといつまでたっても受け取らない僕にしびれを切らしたのか,問答無用で押し付けられるそれ。
「申し訳ないから」
「いいの。こうするから」
そう言って僕の左手につけて,そして反対の手は絡めるようにして繋がれて,漸く言っている意味を理解した。
「暖かいでしょ」
「······そうだね。ありがとう」
たぶん純粋な親切心なんだろうけれど,深い意味などないのだろうけれど。手袋を忘れたことに思わず感謝しながら,いつもの道を君と並んで歩く。
思いがけず知った君の体温。その暖かさを僕は忘れない。
テーマ : «手袋»
「変わらないもの ね。」
諸行無常の世にそんなものがあると言うのだろうか。何て哲学めいたことを考えてみるけれど答えは浮かばない。きっと真面目に考えても答えの分からないタイプの質問。
ない。と答えてしまうことが,一番端的で単純な真実。それでもあえて回答を見つけ出すのだとすれば······。
「桜,見に行こうか」
出口のない迷宮を飽きず巡回する思考を浮上させたのはそんな言葉。顔を上げればそこに微笑む君の姿。
脈絡もない会話の始まり。目を瞬かせて見つめてみたけれど真剣な視線が返ってくるだけ。
「桜狩にはまだ早いと思うけれど。雪降ってるし」
聖夜の翌日。年明け前の忙しない空気に満ちた何でもない日。狂い咲きを望むにしてもいささか不似合いな気温。
部屋の中から窓越しに眺める景色は見るからに寒々しい。すっかり色褪せた落ち葉が風に流され舞い踊っていた。
「大丈夫。行こう」
絡ませるようにして繋がれた暖かな手に引かれて,快適な部屋を抜け出し二人夕暮れの公園へと繰り出す。
冴ゆる月に見下ろされ,うっすらと白化粧を施された木々が眠る空間。誰もいない。何にも侵されない。まるでこの世に二人きり取り残されたかのような そんな静寂。
「······不香の花」
呆然と立ち尽くした先に見えるのは樹氷。枯れ木に降り積もった雪がまるで咲き誇る桜のよう。
白銀の世界の中降り注ぐ六花と純白の夢見草。凜とした冷たさとどこか懐かしい安らぎを纏った透明な香り。
「浮き世に何が久しかるらん。だからこそ愛しく尊い。難しく考えることはないんじゃない?」
散ればこそ 満開の桜は確かに美しいけれど,変わらないのどけさは少し退屈だろう。少なくとも今日の景色には出会えていない。そんな風に君ははにかむ。
「······ありがとう」
そんな言葉しか返せなかった僕に君はまた笑みを浮かべる。粉砂糖のような甘やかな笑み。
例えこの世界で不変なものがないのだとしても,その笑顔を守れたらとそう願ってしまうことは罪なのだろうか。せめてその願いは変わらないでほしいとそう思った。
テーマ : «変わらないものはない»
「雨なんだ」
初めて一人きりで過ごす聖夜。湿った香りを味わいながら,すっかり暗くなった町に繰り出す。大切なあの人とデートのため 何てロマンチックなものではなくて,恋人たちの幸せな一夜の演出のため見慣れた仕事場へと向かう。
少し立て付けの悪いガラスの扉を開いたそこ。香ってくるオリーブ油の匂い。知らない言葉の羅列から成り立つメロディー。
飾り付けられた中学生の背丈ほどのツリー。ツンとすましたトナカイのお人形。雪を象って巻かれたモール。そのどれもが,今日が過ぎればまた終いこまれてしまうことを悟ったからか 心なしか輝きが増して見える。
既に席の埋まりきっている店内を横目に確認しながら,黒いエプロンをつけて赤いネクタイを巻けばすぐ。ほら舞台の幕開け。
年に一度の特別な夜。スタッフは決して主役にはなれないけれど誰かの笑顔を産み出すための大切な仕事。
「いらっしゃいませ」
もし魔法が使えるのだとしたら,お客様を笑顔にすること。きっとそれがこの店で使える唯一のおまじない。特別な今日は効き目も上々。
「ありがとうございました」
最後のお客様を見送ってふと見上げた空。ひらひらとなにか白いものが流れるようにして舞い落ちる。そっと手を出してみれば指先に触れる冷たいなにか。
「······雪」
ホワイトクリスマス。言葉は知っていたけれどそれは遠い国の話で。平均降雪量0㎝の都市では起こり得ないおとぎ話のようなものだった。
急いで出したスマートフォンではこぼれ落ちる結晶を納めることはできなくて。けれどそんなことすらも何故か嬉しかった。
「Merry Christmas」
呟きは誰に届くこともなく消えた言葉は,されど胸に暖かな思いを残す。一人きりの夜 誰からも貰えるはずのないプレゼントが届けられたから。
クリスマスに仕事なんて そう思いもしたけれど,今年は少しだけ良いことがあったんだ。姿の見えないサンタがいたの。そんな話をまた出来たらいいなって,あなたの顔を思い出した。
テーマ : «クリスマスの過ごし方»
ひらりひらりと舞い落ちる白い結晶とは対照的な暖かな色合いのテーブルカバーのかけられた机の上。サンタ帽を被ったカボチャのぬいぐるみと掌サイズのツリー 食べきれないぐらいの料理たちが鮮やかな色合いを生み出す。
─ 手作りピザにクリームシチュー·骨付きのチキンにドリア,ポテトサラダにトルティーヤ ポタージュとオムライス それからワイン ─
出来た傍から,所狭しと並べらるそれは,どれもこれも全部私の好物。出来立てがいいと我儘を言った時からずっと続く特別な日のいつもの光景。
作りすぎなことをわかっていても,食べきれないと知っていても,あえて作る消費しきれない料理。
─── きっとそれはあなたの愛の形。
いつだってあなたの優しさにただ甘えて 当たり前に受け取って,ひとり幸福に浸っていた。
でも,でもね。今年は違うんだ。
今年からは,私もあなたに返せたらとそう思うから。
たったひとつだけ自信を持って作れるケーキ。決して難しくはないけれど,あなたの好きなスイーツのひとつ。
プレゼントと言うにはお粗末かもしれないけれど,ちょっとしたサプライズ。
私の作ったケーキがお店で売られているの。そう言ったらあなたはどんな顔をするのかな。
小さなイタリアンレストランで提供されるそれ。私の料理で笑顔になる人がいるんだって そう伝えたい。
おしゃれだと言って貰った。美味しいと言って貰えた。幸せだとそんな声が聞こえた。誰かが写真に撮る音が鼓膜を揺らした。
凄く幸福な思いを感じる。なにかを作り出す悦び。人に認められる嬉しさ。料理人でもパティシエでもない私が店の看板商品のひとつを作っているのだと そう誇った。
······でも足りない。一番食べてほしい人は,元気付けて笑顔にしたい人は,そこにはいなかったから。
誰よりも大切なあなたは,この店には来ないから。どんなに上手に作れるようになってもこの味をあなたは知らない。
そう。今日までは。
蕩けるように甘いクリームとほろ苦い珈琲の染み込んだ生地。交互に重ね合わせたそれにココアを振りかける。
作り慣れたお菓子。いつもと同じ分量。体が覚えている動き。お店の味を違う場所で,たった一人のためだけに作り上げる。
他でもないあなたに食べてほしいとそう願ったから。美味しいとそう言ってほしかったから。
30㎠ 二人で食べるには大きすぎるケーキ型一杯に詰め込んだティラミス。
わかっていた。それでも,食べきれないほどに作りすぎてしまったそれはきっと
─── あなたへの愛の証拠
テーマ:«イヴの夜»