「雨なんだ」
初めて一人きりで過ごす聖夜。湿った香りを味わいながら,すっかり暗くなった町に繰り出す。大切なあの人とデートのため 何てロマンチックなものではなくて,恋人たちの幸せな一夜の演出のため見慣れた仕事場へと向かう。
少し立て付けの悪いガラスの扉を開いたそこ。香ってくるオリーブ油の匂い。知らない言葉の羅列から成り立つメロディー。
飾り付けられた中学生の背丈ほどのツリー。ツンとすましたトナカイのお人形。雪を象って巻かれたモール。そのどれもが,今日が過ぎればまた終いこまれてしまうことを悟ったからか 心なしか輝きが増して見える。
既に席の埋まりきっている店内を横目に確認しながら,黒いエプロンをつけて赤いネクタイを巻けばすぐ。ほら舞台の幕開け。
年に一度の特別な夜。スタッフは決して主役にはなれないけれど誰かの笑顔を産み出すための大切な仕事。
「いらっしゃいませ」
もし魔法が使えるのだとしたら,お客様を笑顔にすること。きっとそれがこの店で使える唯一のおまじない。特別な今日は効き目も上々。
「ありがとうございました」
最後のお客様を見送ってふと見上げた空。ひらひらとなにか白いものが流れるようにして舞い落ちる。そっと手を出してみれば指先に触れる冷たいなにか。
「······雪」
ホワイトクリスマス。言葉は知っていたけれどそれは遠い国の話で。平均降雪量0㎝の都市では起こり得ないおとぎ話のようなものだった。
急いで出したスマートフォンではこぼれ落ちる結晶を納めることはできなくて。けれどそんなことすらも何故か嬉しかった。
「Merry Christmas」
呟きは誰に届くこともなく消えた言葉は,されど胸に暖かな思いを残す。一人きりの夜 誰からも貰えるはずのないプレゼントが届けられたから。
クリスマスに仕事なんて そう思いもしたけれど,今年は少しだけ良いことがあったんだ。姿の見えないサンタがいたの。そんな話をまた出来たらいいなって,あなたの顔を思い出した。
テーマ : «クリスマスの過ごし方»
12/25/2022, 4:22:51 PM