花占いより、ずうっと楽しくて美しい遊びをしましょうか。
手を出して、と云われて、素直に従う方もいけないのよ? ほら、もう傷付いた顔をしているじゃない。嫌がってもいいのよ。
お花じゃないのに、植物じみてほっそりとした指を、全部ひろげて不安そうに眉を顰めるあなた。その指の先に、ちょうちょに見立てた私の指先で触れていくの。
花占いより、透明で、残酷なやり方で。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き
右手は終わり。ここで終わりにすればいいのにね。分かっていて、どうして手を引っ込めないの? 続けてしまうわよ?
続きから、次は左手。
嫌い、好き、嫌い、好き──
か弱い小指の上に指を止まらせながら、最後のひとつを声には出さず、代わりに蜜のように微笑みかけてあげるだけで、迷子の幼子のように揺れる瞳。
嗚呼、なんていとけなくて、うつくしいの。
指の数なんて決まっているのだから、嫌いから始めればいいのにね。
終わりがこうなると知っていながら、私が最初に好きと口にする瞬間、ほんのり嬉しそうに目元を綻ばせるあなたは、この世でいちばん、儚く繊細なお花。私がなにより好きなお花。
でもそれを告げたら、この戯れは終わってしまうから、まだ言わないの。私はあなたの心に刺さる、唯一の棘でありたいのよ。その代わり、他の何者にも傷付けさせはしないと誓うわ。
たおやかで清らかなあなた。私だけのお花。
(繊細な花)
「だれか、風船落としちゃったみたい」
隣から聞こえた奇妙な言い回しに、思わず手元から上げた視界の中を、悠然と蜜柑色の風船が通り過ぎていった。
青空に映える爽やかなコントラストだなと、しばし見惚れる。我にかえり、それを云うなら飛ばしちゃったでしょう、と笑った。
友人の瞳が、硝子のように透明な光を乗せて見開かれる。
突如、それまで佇んでいた窓辺に、乾いた風が吹き込んで、白いカーテンが勢いよく舞い上がった。張りのある布に溺れながら、その波間で、ほんの一瞬、烈しくまばゆい光を捉えた目が眩む。ハレーションを起こして霞む世界の中で、友人の背に背丈よりも大きな白い翼が生えている幻を見た。足元がぐらつく。
「ねえ、ちょっと、大丈夫?」
強烈なホワイトアウトから呼び戻したのは、目の前に屈みこむ友人の声だった。
私は尻もちをついたようにペタリと座り込んでいて、心配そうに顔を覗きこまれているところらしい。
未だ現実感は乏しいものの、当然友人の背に翼などはなかった。あまりにも馬鹿らしい。
すると、友人が、おもむろに人差し指を立てて、それを自身の唇に添わせた。
──内緒だよ
声を伴わずに動かされる、薄い唇。
呆けて見つめる目の端を、蜜柑色の風船が、空高くへと飛び去って行った。
(落下)
その薄紫色を目にするたび、記憶の底に滲む声がある。
──金魚鉢にあじさいを入れると、触れられる世界のすべてが、ここにあるんだって気持ちになるの。
昔、そんなことを繰り返しては、懲りずに母に注意されていた姉の年齢を追い越して、もうどれくらい経つのだったか。
(あじさい)
「いいな、可愛い街並み。こんな道をお散歩してみたい」
隣で寝そべる姉の言葉につられて、顔を上げた先のTV画面に映し出されているのは、どこか外国の街角らしい。並ぶ石畳とレンガ造りの家々は、良く出来た玩具のようで、そのまま飾っておきたいほどだった。
「死ぬまでに見たいな、こんな風景」
「お姉ちゃんに無理でも、私が意志を継ぐから心配しないで」
「なんと薄情な妹か!」
わざとらしく突っ伏してみせる姉の向こう、窓の外に目を向けた。
私たちが生まれる前は、空が青かったことがあるなんて、何度文献で読んでも想像がつかない。
空は今日も黒ずんだ紫色をしていて、時折雷の光がひび割れを作るばかりだ。
お洒落な街並みでなくていいから、防護服を身に着けずに、青い空とやらの下を歩けるものなら歩いてみたい。
そんな馬鹿げた夢物語を抱けたなら、代わり映えのしない特殊カプセルの中の生活も、少しは楽しくなるのだろうか。
そこまで考えてから、そういった夢想は姉の役目だと思い直して、また手元の本に視線を戻す。もしもこれを書いた人間に、今では天気によって色を変える空など、この世のどこにもありはしないと教えたなら、どんな反応が返ってくるのだろう。
シニカルな考えに耽る私の横で、相も変わらず古い映像に見入る姉が、“雪”と呼ばれる現象で白く塗り替えられた街を指差しては、無邪気に喜んでいた。
(街)
一度だけ、世界を捻じ曲げてしまったことがある。
雪の降る朝だった。
真白い道を歩くたび、歩調にあわせて、背中のランドセルの中身がガタゴトと音を立てる。それしか聞こえない朝だった。すっかり身体に馴染んだランドセルとも、もうすぐお別れ。そう思うと急に愛おしく思えてくる通学路の途中、公園の前を通ったときだった。
そのとき、私はきちんと息が出来ていただろうか。
圧倒的な白の中に、この世のすべての色と輝きを集めたかのような振り袖を着た女の子が、ひとりでベンチに座っていた。
傘をさしていないにも関わらず、女の子の周りだけは雪さえ避けていく。
そして、女の子は一心に手元に視線を注いでいる。そこにあるのは、朝焼けを編み込んだような赤々とした糸で、その子は黙々とあやとりをしているようだった。
「あなた……」
つい声をかけてしまって、慌てて続きを飲み込んだが、女の子はすでに顔を上げてこちらを見ていた。ひどく驚いたように、瞳が揺れる。
次の瞬間、背後で何かがぶつかる音が響き、続けて自転車が倒れるような、とにかく派手な音が連続して巻き起こった。
ぼんやりと立ち尽くす私を見ていた女の子が、弾かれたように手元を動かしてあやとりを再開する。
ここに居てはいけない、と理由もなく思った私は、逃げるようにその場を離れた。
学校が終わり、家で夕方のニュース番組を見ながら、私はふと朝のことを思い出した。
「お母さん、今朝二丁目の公園のそばであった事故のニュースやらないね」
事故? とキッチンから振り向いた母の、怪訝そうに寄せられた眉を見たとき、私の胸をなにかとてつもなく恐ろしい予感が駆け抜けて行った。
「今日近所で事故なんて起きてないよ? やめてよ、変なこと言うの」
そうだよね、と言う以外に、私に何が出来たというのだろう?
(誰にも言えない秘密)