「だれか、風船落としちゃったみたい」
隣から聞こえた奇妙な言い回しに、思わず手元から上げた視界の中を、悠然と蜜柑色の風船が通り過ぎていった。
青空に映える爽やかなコントラストだなと、しばし見惚れる。我にかえり、それを云うなら飛ばしちゃったでしょう、と笑った。
友人の瞳が、硝子のように透明な光を乗せて見開かれる。
突如、それまで佇んでいた窓辺に、乾いた風が吹き込んで、白いカーテンが勢いよく舞い上がった。張りのある布に溺れながら、その波間で、ほんの一瞬、烈しくまばゆい光を捉えた目が眩む。ハレーションを起こして霞む世界の中で、友人の背に背丈よりも大きな白い翼が生えている幻を見た。足元がぐらつく。
「ねえ、ちょっと、大丈夫?」
強烈なホワイトアウトから呼び戻したのは、目の前に屈みこむ友人の声だった。
私は尻もちをついたようにペタリと座り込んでいて、心配そうに顔を覗きこまれているところらしい。
未だ現実感は乏しいものの、当然友人の背に翼などはなかった。あまりにも馬鹿らしい。
すると、友人が、おもむろに人差し指を立てて、それを自身の唇に添わせた。
──内緒だよ
声を伴わずに動かされる、薄い唇。
呆けて見つめる目の端を、蜜柑色の風船が、空高くへと飛び去って行った。
(落下)
6/19/2023, 12:07:49 AM