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1/8/2026, 1:31:03 PM

闇が去り、久方ぶりに太陽が顔を出せば、大地を覆う雪はほろほろと溶け始める。
雪の下でひっそりと息づいていた新芽は、晴れ晴れとその身を伸ばし、花を咲かせる。
葉や草の緑の合間に、赤や紫、黄色といった色とりどりの花弁がのぞく。
温かくなってくると、極北は案外鮮やかだ。冬の間は闇と氷に閉ざされて色を失うからだろう。小振りでも、花々の彩りはまばゆいほどだ。
春が過ぎ夏になれば、花々は盛りを迎え、寿ぐように獣たちがあちらこちらで鳴き交わす。
そして、空を仰げば、虹色の羽根がひらめく。翡翠の鱗に七色の羽根を持つ竜が、陽の光を追いかけて、南からやって来るのだ。

12/7/2025, 1:52:53 PM

 今日の闇は優しい。それというのも、満月のおかげだ。煌煌と輝く月影は、空ばかりでなく大地までも照らしてくれる。
 甘い闇に浮かび上がるのは、凍てついた大地。遥か彼方まで続く、氷雪。極北の冬、地面は黒いか白いか、そのどちらかだ。
 太陽は地の底に隠れたまま、出てこない。この終わらない夜——極夜においては、月と星だけが寄る辺となる。
 若者はぐっと手綱を引いて、自らの飄鹿を止めた。飄鹿は素直に足を止め、低い声を漏らす。熱い獣の息は、瞬く間に白く凍えた。
 若者は空を仰いだ。月と星の位置を見て、進むべき方向を確かめる。目印の乏しい雪原では、真っ直ぐ進んでいるつもりでも、徐々に進路から外れていってしまう場合がある。こまめに方角を確かめることは、闇と氷の中で生き抜くための術だった。
 方向を見定めた青年は、飄鹿の腹を蹴る。たくましい蹄が、再び雪に跡を刻む。
 本当に、よく晴れた日だった。その月の光に誘われるように、若者はふらりと家を出た。
 光が恋しかったのかもしれない。太陽を、あのさんざめく光を追いかけていきたかったのかもしれない。竜のように。
 けれど、若者は竜ではなく人間だ。太陽を追うなど、叶わない。目的もなく歩き回って、そして帰路に着こうとしている。
 苦い気持ちで、若者は笑った。竜にはなれないと分かりきっているのに、魂の疼きには逆らえない。
「付き合わせて悪かった」
 そう声をかければ、相棒の飄鹿は不満げに鳴く。
 若者は、またしても苦笑した。
 

11/25/2025, 12:04:46 PM

 乾いた冷たい風が吹くようになると、木はめっきり色を失くす。柿の実にぶどう、無の知れぬ赤い実だって、すっかり食い尽くされてしまうし、赤や橙の葉っぱも我先にと落っこちてしまう。
 こうなると、狙い目は地面だ。温かい落ち葉の裏には、虫などの小さな生き物が案外潜んでいるものだ。
 ツグミは、その落ち葉の裏に息づく世界を、よく知っている。秋になると北から渡ってくるこの鳥は、地面を駆けわまっては、せっせと落ち葉をひっくり返す。ひっくり返しては、ムカデやテントウムシといった生き物を食べる。
 今日も、我が家の庭の隅では、ガサガサと忙しなく落ち葉を返す音がする。大して広くもない庭に、それほど小さな生き物がいるとは思えないが、食べ物が乏しい冬においては、貴重な餌場なのだろう。
 がさがさ、がさがさ。このツグミの音を聞くと、冬になったとしみじみ思うのだった。

11/24/2025, 5:19:59 AM

 今日の学食の日替わりメニューは、佳子の好物であるアジフライ定食であった。さっくりとした衣に、ふわふわのアジ、それにピッタリ合うタルタルソース。キャベツが山盛りなのも、案外うれしいポイントだった。
 その大好物が、今まさに目の前にあるのだが、佳子は箸を置いたまま手を付けようとしなかった。彼女の目は、アジフライではなく、手にしたスマートフォンに釘付けになっている。スマートフォンに表示されているのは、一通のメール。タイトルは、選考結果のご連絡。そして、メール本文には『残念ながら、この度はご期待に添いかねる結果となりました』の一文。テンプレートをそのまま使ったような、ありきたりなお祈りメールだった。
 佳子の口から、ため息とも自嘲の笑いともとれる吐息が漏れた。
 このお祈りメールで、連続記録は二十に伸びた。二十回連続の不採用通知。プロ野球だったら、監督が辞任している。だが、自分で自分は辞められないので、その現実を粛々と受け止めるしかないのだが、さすがに二十連敗ときたら精神にくるものがあった。特に、今回は最終面接まで進んでいたのだからなおさらだ。大好物に対する食欲だってなくなる。
 いや、むしろこういう時だからこそ、大好きなものを食べて気分転換をしようと、佳子はスマートフォンを置いて、代わりに箸を取った。しかし、アジフライには向かわない。彼女は食べるでもなく、ワカメの味噌汁をぐるぐると箸で搔き回す。
「何、味噌汁かき混ぜてるの?」
 よく知った声が聞こえて、佳子はぱっと顔を上げた。そこには、親友の夏希がいた。彼女はカレーうどんを片手に、佳子の対面の席につく。
「また、落ちたの?」
 さすが親友というべきか、夏希は一発で言い当ててみせた。佳子は「うん」と弱々しい声で頷く。すると、夏希は盛大に顔をしかめた。
「なんだよ、まったく見る目のない会社だな。よしちゃん落とすとはセンスないわー」
 それはいつもの励ましの言葉だった。それが、今日ばかりは佳子の心に、重くのしかかる。二十連敗のせいだろうか。急に毎度毎度励まされることが、申し訳なく思えてしまった。
「ごめんね……」
「なんで、謝るの?」
 突然の謝罪に、夏希は目を剥いた。
「いや、なんか、そうやっていつも励まされてばっかりなのが、情けなくて」
「気にしなくていいよ」
 佳子が答えると、夏希は平然とうどんをすすった。いつも通りの親友に、佳子は少し笑った。けれど、未だにアジフライに箸が伸びない。
 ふいに夏希が言った。
「よしちゃん、就活に根詰め過ぎだよ。別に面接に落ちたからってよしちゃんの良いところがなくなるわけじゃないし。ましてや、死ぬわけじゃないし」
 夏希は箸を置くと、スマートフォンを取り出した。それから尋ねる。
「よしちゃんは、今日、午後も講義あるの?」
「ないよ」
「よし、じゃあカラオケにでも行こう」
「でも就職課に行って、相談してこようかと……」
「それは明日でもいいじゃん。まずは気分転換が先。ってか、もう予約したから」
「えっ」
 佳子が声を上げると、夏希は不敵に笑った。
「按ずるな。いざとなったら私が養ってあげるから。そう思って、今は就活のことなんか忘れてパーッと遊べ」
「何それ……」
 つられて佳子も吹き出す。
「私を養うって本気?」
「冗談。でも、よしちゃんが病むくらいなら、本気」
 なんてことないという風に言ってのけて、夏希はうどんをすすった。
 佳子の心に、ぽっと火が灯る。彼女がいるなら、もう少し頑張れると思った。だから今日は、就活のことなんか忘れてしまおう。
 ようやく、佳子はアジフライを一口食べた。すっかり冷めてしまっていたけれど、とても美味しかった。

11/22/2025, 12:53:07 PM

桜の葉が赤色に色づき始める頃、桜と同じように真っ赤に色づく植物がある。近所の家の入口の庇に垂れ下がるようにして、粒の小さな赤い実がたわわに実る。その植物の名は知らない。しかし、一つはっきりと言えるのは、美味しい木の実だということだ。ひっきりなしにスズメやヒヨドリといった小鳥たちがやって来て、一ヶ月もすると赤い実は見事に禿げ上がり、寒々しい枝だけが残される。
少し季節が進んで冬になると、最寄りの駅の駅前に生えている木にも小さな赤い実がみのる。この木には名を示す看板があり、それにはクロガネモチと書かれている。見た目は同じような赤い実だが、不思議とクロガネモチの木には鳥がやって来ない。割と何でも食べる、と個人的に思っているヒヨドリすら、大してやって来ない。ヒヨドリすら避けるとは、これはもう相当苦いか酸っぱいかするのだろう。
いつまでも生っている赤い実は、どこか寂しそうであった。

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