白い吐息
葉を落として、枝だけになった道沿いの並木。
寒々しい星空の下を歩いていた。
吐いた息が白くなるほど寒いのに、背中だけが妙に暖かいのは背後にくっつくようにして歩いているTのせいだ。
「ねえ、オレのこと風よけにしてるよね?」
「なんのことだ?」
「いやいや、それは無理があるって」
素知らぬ顔で受け流すその様子が可笑しくて笑ってしまう。
「Tくんって案外寒がりだよね」
しょうがないなぁ、口ではそう言いながらも背中に感じるぬくもりは嫌いじゃなかった。
角を曲がると、自販機の明かりが目に入る。
「寄っていい?」
そう聞きながら足を向けた。
薄く曇ったガラスの向こうに並んだ缶を見ながら、どれにしようかと迷っていると横から手が伸びてきて勝手にボタンを押された。
「ちょっと〜?」
しゃがんで取り出し口に手を伸ばすと、出てきたのはやたら甘そうなココア。
「うげ」
露骨に嫌そうな顔をすれば背後から楽しそうな笑い声が聞こえる。じと、と振り向けば、ボタンを押した犯人──Tが悪びれもせず肩をすくめていた。
Tは笑いながらポケットから小銭を取り出すと、自販機に投入し、もう一度ボタンを押した。
「ほら、これだろ」
そう言って手渡されたのは選ぼうと思っていたブラックのコーヒー。
さらっとこういうことをしてくるからオレは何も言えなくなる。
コーヒーを受け取ると今度は横に並んで歩きだした。
沈黙が落ちるが気まずくはない。
ちらりと横を見るとTは自分で押したココアを飲んでいた。
その缶を包む手が少し赤くて、鼻先も寒さで赤みを帯びていた。そんな表情が無防備で、妙にあどけなく見える。
――かわいい
喉から出そうになった言葉をすんでのところで押しとどめた。
いやいや、かわいいってなんだ。そりゃ冗談でなら、かわいいと言うことくらいある。でもこのタイミングでのかわいいはおかしいだろ。
「どうかしたか?」
こちらの様子に気づいたTが不思議そうに首を傾げる。
その仕草があざとく見えてしまうのだから今日のオレは少しおかしいのかもしれない。
何も答えられずにいると、Tは手元の缶を見て悪い顔をした。
「一口飲むか?」
存外いたずら好きなこの親友は甘いのが苦手なオレが断るとわかっていてそう口にする。
冗談だよ、そう言いながら笑うTにやられてばかりでは面白くないと仕返しのように、飲む、と答えた。
断ると思っていたのだろう。Tは驚いたように目を丸くしていて、その様子に少し気分が上がった。
「本当に今日はどうしたんだ?」
心配するような呆れたような、そんな顔をしながらもTは素直にココアを手渡す。
そう、今日のオレは少しおかしいのだ。
飲み口に唇を近づけると、甘い香りがふわりと広がる。やっぱりやめとけばよかったかも。そんなことを思いながらも一口含んだ。香りを裏切らない濃い甘さが舌に絡みつく。
「うーん、甘い!」
顔を顰めて返すと、Tは肩を揺らして笑った。
「当たり前だろ、なんで飲んでみたんだ」
普段は落ち着いていて大人びて見えるのに、自分にだけ見せる少し幼く年相応に見えるこの表情をCは気に入っていた。
好き、だと思う。けれど、それは恋と呼ぶには曖昧すぎて、友情と呼ぶには少し深すぎた。
この気持ちに名前をつけるのはまだ先でいい。
Tの隣で白い吐息を並べながら歩けるのなら今はそれで十分だと思えた。
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-余談-
『無人島にいくならば』2025.10.24
『記憶のランタン』2025.11.19
と同じ2人だったりします。
完全に別軸として書いている為、話同士の繋がりは無く、どれも単体で読めるようになっています
紅の記憶
麓の街まで行こうと電車に乗ると、休日だからか車内は普段より混雑していた。
扉の付近に立ち、外をぼんやりと眺める。
電車が駅に止まり、扉が開く。乗り込んできた一人の女性。一際目を引くのは真っ赤な口紅。鮮やかで、少し攻撃的な色。その姿に心臓が嫌な音を立てた。
息を止めていたことに気がついて、そっと吐き出す。
大丈夫。あの人じゃない。別人だ。
そう言い聞かせて視線を外へと戻した。
次の駅で降りると肩の力が抜けた。
無意識に力が入っていたことがおかしくて自嘲する。
深く息を吐いて、人混みの中を進んだ。
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人通りの少ない細い路地の先にあるのは古い書店。そこが今日の目的地だった。
中に入り、目当ての本を探す。古い文献だからないかもしれない。
本棚の間を歩き、視線を右から左へと動かす。
ふと雑誌コーナーが目に入った。以前来た時にはなかったはずだ。
ふらりと近づくと、一冊の雑誌と目が合った。
表紙を飾っているのは美しい女性。その女性は真っ赤な口紅をしていて、こちらを真っ直ぐに見据えている。
全く似ていない。似ていないはずなのに、視線がぶつかった瞬間、胸の奥をぎゅっと掴まれたような感覚がした。
呼吸が止まり、耳の奥で何かがざわつく。
視界の端が紅く染まる。
心臓の鼓動がやけに大きい。
震えた指先が目に入って、いつの間にか自分が俯いていたことに気がついた。
じっとりと汗をかいた手のひらを隠すように握り、逃げるように店を出た。
外に出ると夕陽が街全体を紅く染めていた。
光は柔らかい。それなのに、その色だけが鋭く胸に刺さる。空気が身体にまとわりついて、息がぎゅっと詰まる。
違う。大丈夫。
そう自分に言い聞かせようとすればするほど、胸の奥は重く沈む。
思い出すのはあの日の光景。
狭い店内に響く劈くような女性の怒号。
自分に向けられたそれは、後ろで泣きじゃくるあの子の声すらかき消していく。
何を言われたのかはよく覚えていない。
女性の顔は視界の端でぼやけていたのに、口元の真っ赤な紅だけがくっきりと記憶に残っている。
疲れてるんだ。早く帰って休もう。
思考を逸らすように、無理やり一歩を踏み出す。
胸の奥では紅いざわめきがまだ燻っている。
けれど、それには気づかないフリをした。
そうすれば、きっと何でもなかったことにできる。
消せないのなら塗りつぶして隠せばいい。
なんてことはない。ただの落書きだ。
夢の断片
夕暮れが坂道を静かに染めていた。ゆるやかな風が吹き抜けると、視界の端に誰かの影が揺れる。振り向くと、すぐ隣に見慣れた顔があった。
「──、どうかした?」
締りのない顔で呼ばれた自分の名前。
見慣れた顔、聞き慣れた声、変わらない、いつも通りの光景。
それなのに大切な何かを忘れているような。胸の奥が落ち着かない。
「……別に」
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「平気。アンタこそ自分の心配しなさいよ。ほら、マフラーほどけてる」
手を伸ばして直してやると、あいつは照れたように笑った。
その笑顔を見た瞬間、さっきまで考えていたはずの違和感は霧みたいにすっと消えた。
「さ、帰るわよ」
「うん」
止めていた足を動かすと、あいつは子どもみたいに嬉しそうな顔でついてくる。
こんな無愛想な自分と一緒で何が楽しいのか、本当に謎だった。
「先生がさ、明日は外で実習するって言ってたよ」
「はぁ? 外って次は何するつもりなのよ」
「楽しみだよね」
「楽しみって…はあ、巻き込まれるこっちの身にもなりなさいよ」
並んで歩く時間は毎日代わり映えしないけれど、存外嫌いじゃなかった。
変わらない、こんな日々が続いていくものだと思っていた。──“思っていた”?
言いようのない不快感に胸がざわつく。
「あのさ……明日も来るよね?」
聞こえた声にハッとして顔を上げると、不安そうなあいつの顔が目に入った。つい大きくため息をつくと、その音にあいつの肩がびくっと震えたのがわかる。
「行くわよ。家にいたって暇だし」
その瞬間、ぱっと花が咲くみたいに笑う。
本当に単純だけどその笑顔を見ると、悪い気はしない。
「あ、ここでおわかれだね」
「そうね」
気がつけば分かれ道に差し掛かっていた。ここからは互いに進む方角が違う。
背を向ける前に振り向くとあいつと目が合った。
「──、またね!」
「はいはい、また明日」
手を振るあいつに仕方なく振り返す。
背中を向け歩き出した途端、胸の奥がひどく冷えた。
いつもと変わらない別れのはずなのに、明日もまた会えるはずなのに。
今あいつと離れてはいけない。そんな気がしてならなかった。
思わず振り返った夕陽の向こう。
見えるはずの背中はどこにもなかった。
夕暮れが少しずつ色を失っていく。
視界が揺れ、坂道の影がほどけるように消えていく。
ああ、そうだ。
あいつは、私は────
記憶のランタン
「記憶のランタンって知ってる?」
「なんだそれ」
「必要としてる人のもとにどこからともなく現れる不思議なランタン。そのランタンは人の記憶を食べちゃうんだって」
今日部活で話題に上がってさ〜、なんて軽い気持ちで口に出せば意外にもTは話に乗ってきた。
「食べる?どうやって」
「忘れたいことを口にしながら灯して、灯したそれを消す。それだけでランタンが記憶を食べてくれるらしい」
「それ食べてくれるというより、食べさせてないか?」
「細かいことはいいんだよ。どうせ都市伝説みたいなもので本当にあるかもわからないんだからさ」
「ふーん、お前はそんなランタンに食べさせたい記憶でもあるのか?」
「んー、オレはないかな。それより昨日Tくんの前で盛大に転けたのは恥ずかしいからTくんに使ってもらいたいよ」
「ああ、あれは随分派手にいったよな」
「Tくんずっと笑ってたもんね」
思い出しているのか楽しそうに笑うTにわざと不機嫌です、という顔を作ってやる。そんな些細な抵抗でTが笑うのをやめることはないのだけれど。
「あーもう、オレはいいから。Tくんは忘れたいこととかないの?」
「うーん、そのランタンは記憶を取り戻すことは出来るのか?」
「出来ないんだって。ランタンを使った瞬間にランタン自体が消えて、使ったことすら忘れるらしい」
「そうなのか、じゃあ俺も忘れたいことはないかな。一時的に忘れたいと思っても本当に忘れてしまったらいつか後悔しそうだ」
「忘れたことすら忘れるのに?」
「そうだな。それでも俺は憶えていたいよ」
ふと向けられたTの表情が思っていたよりもずっと柔らかくて、何か言おうとしたはずなのに声が出なかった。
この柔らかさはきっと誰にでも向けられるものだ。それでも、できることなら。オレに向けられる瞬間が一番多ければいい、なんて思ってしまう。
「そのランタンは色んな人の記憶が詰まってるってことか」
「…何だか夢があるよね」
「何かの間違いで記憶が零れたら大変そうだ」
「急に現実に戻すじゃん。他人に忘れたい記憶を見られるのだけは勘弁だね」
「それが怖いからやっぱりランタンは使わないだろうな」
「そんなの言われたらオレも使えないじゃん」
「お前だって使う予定はないんだろ?なら問題ないじゃないか」
「今はなくてもいつか忘れたいことができるかもしれないじゃん」
「その時は使えばいいんじゃないか?ランタンが現れたらだけどな」
「そこだよね〜」
それからランタンの話が終わったあとも、いつも通り他愛のない話を続けた。Tは相変わらず楽しそうに笑っていた。
例えば、記憶のランタンにこの気持ちを吐き出せば、オレはずっとこいつの隣で笑っていられるんだろうか。
なんて詮もないことを考えてしまうくらいには、どうしようもなく、オレはこいつに恋をしていた。
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-余談-
『無人島にいくならば』2025.10.24
と同じ2人だったりします。
完全に別軸として書いている為、話同士の繋がりは無く、単体で読めるようになっています
揺れる羽根
人も疎らになった放課後。雑用を終え、寮へ戻ろうと渡り廊下を歩いていた時だった。
ふと中庭に顔を向けると、ベンチに腰かけた××が目に入った。気づけば、足がそちらへ向かっていた。
どうして足が向いたのか、自分でもわからない。
近づくと、××は一枚の白い羽根を持っていて、それをぼんやりと眺めている。
「それ、どうされたんですか?」
声をかけると××が顔を上げる。
一瞬、きょとんとした表情を見せた後、ああ、と羽根をくるりと回しそれを見せた。
「これか?実験で使った余りなんだ。捨てていいって言われたんだが、なんだか捨てられなくて」
よく見る困ったような顔で笑い、また視線を羽根に戻す。その顔は柔らかいものなのに、どこか掴みきれない。
「気に入ったんですか?」
「いや。でも綺麗だろ?」
「そうですね。とても状態が良いように見えます」
「そう。だから捨てられない」
そう言って手持ち無沙汰に指先で弄ぶ。なんてこと無いただの仕草のはずなのに、なぜか目が離せなかった。
不意に風が吹いて、羽根が揺れる。
××は顔をあげると、何を思ったのか持っていた羽根を空へと放った。それは風に乗って高く舞い上がる。
“捨てられない”そう話していたのにあっけなく手を離す。その無造作な冷たさに、胸の奥が静かに沸き立つのを感じた。
××は羽根が空を舞う様子を見て、ふっと笑った。
それは無邪気にも見えたし、残酷にも見えた。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。お前も早く帰るんだぞ」
そう言って××は立ち上がり背を向ける。
そこに未練など何もない。
風がまた吹いて、××の背中の裾が揺れる。
その動きに、さっきの羽根が重なって見えた。