カーテン
今日は休日。
アラームは鳴らない──はずなのに、いつも通りの時間に目が覚めてしまった。体に染みついた習慣というやつだろうか。
隣では君が気持ちよさそうに眠っている。
頬を枕に押しつけるようにして寝息を立てている君の姿は無防備で、見ているとつい頬が緩んでしまう。
そんな君の姿を独り占めできることが嬉しくて仕方がない。
昨日は遅くまで起きていたから、まだ深い眠りの中だろう。
しばらくその寝顔を見つめていたが、なんとなく窓の方に目を向ける。
少し迷ってから、腕を伸ばし、カーテンの端を引いた。
そっとカーテンを開けると、朝の光が部屋に入り込んでくる。
君が起きたら何をしようか。コーヒーでも淹れて、どこかに出かける?それとも家で過ごす?
そんなことをぼんやりと考えていると、隣からもぞもぞと動く音がした。
「……まぶしい…」
くぐもった君の声が、布団の中から届く。
布団が揺れて、君はそのままオレの胸元に顔を埋めてきた。
「……なんでカーテンあけるんだ…今日は休みだろ……まだねる……」
眠気に引っ張られながらも小さく抗議してくる君がかわいくて、思わず笑ってしまう。
笑い声が聞こえたのか、君は眠そうな目でこちらを睨んでくる。
「……わざと開けただろ」
「さあ?」
「性格わるい…」
不満を口にしながらもオレから離れる素振りを見せない君に愛おしさが募る。
君はそのまま、収まりのいい位置を探すようにオレの胸元へ潜り込んでしまった。
顔が見れないのは残念だけど、ぴったりとくっついた柔らかな体温が心地良い。
この時間がいつまでも続けばいいのに。
なんて柄じゃないことを思ってしまう自分がおかしい。
けれど、君と過ごせるのならそんな自分も悪くないと思える。
午前中はこのまま何もせず、ただ君の隣でまどろむだけの時間になるかもしれない。
君の髪をそっと撫でながら、オレも目を閉じた。
君の背中を追って
いつも君の背中を見ていた。
自分のことは後回しで、誰かのために奔走して。
ちょっと無理してでも、物事が上手く回るならそれでいいと思ってる。
そんなふうに、なんでもない顔で犠牲になるのが君だった。
もう少し自分を労わってあげなよ、って何度思っただろう。
でもそんなこと言ったところで、どうせ君は少し困ったように笑うだけで、何も変わらないのはわかってる。
だから言わない。
君が向かう先で、何かが壊れそうなら、そのあとを追って拾い集める。
君が無理をしてまで守ろうとしてるものを少しでも軽くできるように──って。
そんなの柄じゃないけどさ。
正直、面倒だって思うこともある。
オレは君みたいに、誰かのために動ける人間じゃないし。
それでも、オレは君を支えたいと思う。自分のことを大切にしない君の分まで。
頼られることは拒まないのに、頼ることは拒む君だから。
頼ってくれないなら、それでいい。
その代わり、オレが勝手に支えるから。
雨の香り、涙の跡
踊るように雨に打たれる君が酷く綺麗に映った。
「ふふ、気持ちいいです。××さんも一緒にどうですか?」
「……うん、そうだな。たまにはいいかもな」
迷いなく雨に飛び込んだ姿に正気を疑った。けれど雨が止むのを大人しく待っている自分がバカバカしく思えて。俺も正気を失ってしまった。
服が身体に張り付いて気持ち悪いはずなのに、何故か心は軽やかだった。
寮に着く頃には二人とも全身ずぶ濡れになっていて、中に入るのは少しだけ躊躇われた。
「…これは風邪ひくかもな」
「その時は看病しにきますよ」
「お前は平気なのか?」
「丈夫さには自信があるので」
・
・
・
雨が降るたび、あの日の記憶が鮮明に思い出される。
笑い声、跳ねる水音、眩しい君の表情。
今日も窓の外では雨が降っていた。
その気配に誘われ、ふらりと外に出る。
雨音は確かに響いているのに不思議と静かだ。
あの日と同じように、俺は傘もささずに雨の中へと歩き出した。
歩くほどに服が肌へと張りつく。あの日は気にならなかった服の重みが気持ち悪い。
雨はこんなにも冷たいのに、何故あの日は暖かく感じたのか。
頬をつたうそれには気づかないふりをした。
今日は君がいなくてよかった。
きっと君は気づいてしまうから。
君にこんな姿は見せたくなかった。
糸
頬に触れられて目を閉じる。
濡れた唇の感覚に涙が出そう。
幸せだと思った。
君が私を縛る権利も、私が君を縛る権利もない。
君の明日は君のもので、そこに私は関係ない。
ただ、今この瞬間、君が私の目の前にいる。
それだけでよかった。
小指の糸も、薬指の指輪も、必要ない。
届かないのに
「席に着け、始めるぞ」
いつもと変わらない号令で始まった授業。
今日は先週行われたテストが返された。
先生が次々に名前を呼び、生徒たちへ答案用紙を手渡していく。受け取った答案を見て喜ぶもの、落胆するもの、教室は様々な反応でざわめいていた。
「××」
名前を呼ばれ、「はい」と自然に声が出る。周囲と同じように、当たり前のように。
教卓の前に立ち、先生から答案用紙を受け取る。
「お前はいつも代わり映えしないな。手を抜いているのか?」
「まさか。手を抜いてこの点数なら苦労しないですよ。これが限界ってだけです」
答案用紙に書かれた見慣れた数字。多少の上下はあっても、結局はいつもと変わらない。
可もなく不可もなく、そんな言葉がよく似合う点数だった。
わざわざ上を目指したいとは思わない。
そこそこ出来ればそれでいいし、目立つのも得意じゃない。
褒められたいと思ったことはある。
そのために頑張ったこともあった。
けれど、褒められるだけじゃ満たされないことを、もう知ってしまった。
それなら最初からそこそこでいい。
余計な望みを抱かずに済むように、そう自分に言い聞かせる。
そうすれば、きっと傷つかずに済むから。
「どうした、××。考えごとか?」
席に戻り、ぼんやりと答案用紙を眺めていると、隣に座っていたVが身を乗り出してきた。
「…いや、ちょっとぼーっとしてた」
そう言いながら、答案用紙をそっとノートと教科書の間に挟む。
Vはその手の動きをちらりと見やり、「ふむ」と短く声を漏らすと、そのまま視線を顔へと上げた。
見透かすようなその視線が少しだけ気まずい。
けれどVはすぐに視線を逸らし、どこか意味ありげに教壇へと目をやる。
「少しくらい、欲しがってもいいと思うけど」
それが何を意味するのか、説明はなかった。
けれど、問うまでもなくわかってしまう。
見透かされていたことに動揺はなかった。ただ、どこまで知られているのだろうかと一瞬思い、けれど問い返すこともなく、××はただ小さく笑って目を伏せた。
- to be continued -