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 夢の断片


夕暮れが坂道を静かに染めていた。ゆるやかな風が吹き抜けると、視界の端に誰かの影が揺れる。振り向くと、すぐ隣に見慣れた顔があった。

「──、どうかした?」

締りのない顔で呼ばれた自分の名前。
見慣れた顔、聞き慣れた声、変わらない、いつも通りの光景。
それなのに大切な何かを忘れているような。胸の奥が落ち着かない。

「……別に」
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「平気。アンタこそ自分の心配しなさいよ。ほら、マフラーほどけてる」

手を伸ばして直してやると、あいつは照れたように笑った。
その笑顔を見た瞬間、さっきまで考えていたはずの違和感は霧みたいにすっと消えた。

「さ、帰るわよ」
「うん」

止めていた足を動かすと、あいつは子どもみたいに嬉しそうな顔でついてくる。
こんな無愛想な自分と一緒で何が楽しいのか、本当に謎だった。

「先生がさ、明日は外で実習するって言ってたよ」
「はぁ? 外って次は何するつもりなのよ」
「楽しみだよね」
「楽しみって…はあ、巻き込まれるこっちの身にもなりなさいよ」

並んで歩く時間は毎日代わり映えしないけれど、存外嫌いじゃなかった。
変わらない、こんな日々が続いていくものだと思っていた。──“思っていた”?
言いようのない不快感に胸がざわつく。

「あのさ……明日も来るよね?」

聞こえた声にハッとして顔を上げると、不安そうなあいつの顔が目に入った。つい大きくため息をつくと、その音にあいつの肩がびくっと震えたのがわかる。

「行くわよ。家にいたって暇だし」

その瞬間、ぱっと花が咲くみたいに笑う。
本当に単純だけどその笑顔を見ると、悪い気はしない。

「あ、ここでおわかれだね」
「そうね」

気がつけば分かれ道に差し掛かっていた。ここからは互いに進む方角が違う。
背を向ける前に振り向くとあいつと目が合った。

「──、またね!」
「はいはい、また明日」

手を振るあいつに仕方なく振り返す。
背中を向け歩き出した途端、胸の奥がひどく冷えた。
いつもと変わらない別れのはずなのに、明日もまた会えるはずなのに。
今あいつと離れてはいけない。そんな気がしてならなかった。

思わず振り返った夕陽の向こう。
見えるはずの背中はどこにもなかった。
夕暮れが少しずつ色を失っていく。
視界が揺れ、坂道の影がほどけるように消えていく。

ああ、そうだ。
あいつは、私は────

11/22/2025, 3:47:10 AM