紅の記憶
麓の街まで行こうと電車に乗ると、休日だからか車内は普段より混雑していた。
扉の付近に立ち、外をぼんやりと眺める。
電車が駅に止まり、扉が開く。乗り込んできた一人の女性。一際目を引くのは真っ赤な口紅。鮮やかで、少し攻撃的な色。その姿に心臓が嫌な音を立てた。
息を止めていたことに気がついて、そっと吐き出す。
大丈夫。あの人じゃない。別人だ。
そう言い聞かせて視線を外へと戻した。
次の駅で降りると肩の力が抜けた。
無意識に力が入っていたことがおかしくて自嘲する。
深く息を吐いて、人混みの中を進んだ。
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人通りの少ない細い路地の先にあるのは古い書店。そこが今日の目的地だった。
中に入り、目当ての本を探す。古い文献だからないかもしれない。
本棚の間を歩き、視線を右から左へと動かす。
ふと雑誌コーナーが目に入った。以前来た時にはなかったはずだ。
ふらりと近づくと、一冊の雑誌と目が合った。
表紙を飾っているのは美しい女性。その女性は真っ赤な口紅をしていて、こちらを真っ直ぐに見据えている。
全く似ていない。似ていないはずなのに、視線がぶつかった瞬間、胸の奥をぎゅっと掴まれたような感覚がした。
呼吸が止まり、耳の奥で何かがざわつく。
視界の端が紅く染まる。
心臓の鼓動がやけに大きい。
震えた指先が目に入って、いつの間にか自分が俯いていたことに気がついた。
じっとりと汗をかいた手のひらを隠すように握り、逃げるように店を出た。
外に出ると夕陽が街全体を紅く染めていた。
光は柔らかい。それなのに、その色だけが鋭く胸に刺さる。空気が身体にまとわりついて、息がぎゅっと詰まる。
違う。大丈夫。
そう自分に言い聞かせようとすればするほど、胸の奥は重く沈む。
思い出すのはあの日の光景。
狭い店内に響く劈くような女性の怒号。
自分に向けられたそれは、後ろで泣きじゃくるあの子の声すらかき消していく。
何を言われたのかはよく覚えていない。
女性の顔は視界の端でぼやけていたのに、口元の真っ赤な紅だけがくっきりと記憶に残っている。
疲れてるんだ。早く帰って休もう。
思考を逸らすように、無理やり一歩を踏み出す。
胸の奥では紅いざわめきがまだ燻っている。
けれど、それには気づかないフリをした。
そうすれば、きっと何でもなかったことにできる。
消せないのなら塗りつぶして隠せばいい。
なんてことはない。ただの落書きだ。
11/23/2025, 4:38:30 AM