「星空の下で」
見上げれば満天の星空。空一面に星々が散らばる。
静かに瞬いて輝く星に、白い溜息をついて見入る僕ら。
身体の芯まで突き刺すくらいの凍てつく空気に、身動ぎすれば身体を貫通してしまいそうで、岩のようにじっと動かず、ただ芝生に体操座りして2人、肩を寄せて空を眺める。
ここまで来る時に通った道は、何十年も人の手が加わらなかった様な山の獣道。故に僕らの長袖からとび出た肌部分には、葉の切り傷がいくつも着いていた。
君は自分の傷と僕の傷を寄せて、仲間の証だねなんて笑った。僕は途端に心強くなって、笑った。
僕らが座った芝生は、それまでの細い獣道とは違って開けてて、針葉樹のフレームみたいによく夜空が見えて、生えてる雑草も短くて、柔らかかった。
僕らは2人、人生をかけた大逃避行の最中だ。狭い檻から抜け出して、日常を捨て去って、僕ら2人だけの世界を見つける。
ああ、もし今家にいたら暖かいシチューを食べてた頃かな。薄着でも平気なくらい暖炉を炊いた部屋でスマホで時間を潰しただろう。
もう僕らに残ってるものは何も無い。あるのは名前もない様なこの子ぶりの山と、お揃いの傷をつけた僕らだけだ。
寒さに震える君の横顔を見て、口をついて出たゆめ物語。僕は君の手を取って星空へ伸ばした。
「次は、あの星に行こうか。」
そう言うと君はほっとしたように笑って、僕の方に傾いた。
そうだね、今日のところはもう眠ろう。
逃げ場なんていくらでもあるんだ。僕は君と一緒なら何処へだって行けるさ。
「それでいい」
君とはもう、長い付き合いになるね。
出会った時は大学生だったっけ。君は真面目で、硬派でなかなか僕に落ちてくれなくて、その内僕のプライドは傷ついて、君を諦めようとしたんだ。でも諦められなかったのは、もう僕が先に君に夢中だったからさ。
僕というモテモテ男子が、狙った女の子を落とせないなんて、色男の看板に泥を塗ってしまうだろう?だから僕は躍起になって彼女にアピールしたのさ。皆が言ったよ。僕にはもっと華やかで、美しい女性が似合うってね。
僕もそう思ったよ。でも、同時に、誰も知らないんだなってほくそ笑んだものさ。
君の内に潜む可憐さも、真面目さの裏にある、抱きしめたくなる様な一途な努力も、本当は人一倍乙女なところも。
その内僕の愛が君にも伝わって、僕らは付き合いだしたね。君の初めての彼氏になれたことを今でも誇りに思ってる。沢山デートをして、お互いのことを沢山話して、偶に喧嘩もしたけど、もう君なんて、と思っても、しおらしく俯いて謝る君を見ると、僕は怒りなんてすぐに吹っ飛んでしまって、心いっぱいに反省するのが常だった。
こんな僕を許して、受け入れて、愛してくれる君を、僕は一生大事にするって決めたんだ。君を絶対幸せにするってね。
だから、いいんだよ。
いつまでも僕を引きずる必要は無い。君は世界で二番目に好きになった人と、沢山デートをして、お互いの話をして、たまに喧嘩をしても支え合って、幸せに生きてよ。その日常の、ほんの偶に、僕のことを思い出して、花でも添えてくれれば僕は満足だから。
あ、でも、いくら君が好きになった人だといえども、元夫の墓参りを許さないような束縛の激しい男はやめてよね。流石にもう一生君に逢えないのは寂しいよ。
それでいい。それがいい。
君を本当に想うなら、そう言い切るべきだね。だけど僕はもう死んじゃうんだから、この手紙を君が読む頃には僕と君は対話すら出来ないだろう?君はどうせここまでの文を読んで憤慨しながら1人で泣いてるんだろ?
馬鹿だなぁ。でもそれは僕もなんだ。本当はずっと僕を想ってて欲しいさ。そりゃそうだろ。君は僕を愛してるって言ったんだ。僕が死んで、すぐに次の男に夢中になられちゃ、僕の努力が報われない。
でもね、僕は世界で1番君をよく分かってるから、君は僕にどうこう言われなくても自分で生き方を決めるって分かるんだ。いいよ、それで。生き方は君が決めるんだ。
とにかく僕はね、君が幸せになってくれればなんでもいいんだからさ。
どう?最後の最後まで僕はかっこよくて、君の理想の夫だろう?先に君を待ってる。でも、あんまり早く来なくていいよ。僕はきっとあの世でもモテモテだろうけど、君以外の女性にうつつを抜かす僕じゃないからさ。
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何度も何度も読み返したせいでくたくたになり、年数を重ねて黄ばんだその手紙をまた折って封筒にしまう。
いつもの花屋で彼に似合う美しい花を買って、彼の墓石に手を合わせる。
「全く、貴方のせいで結局独り身のまま死にそうよ。……でも、先に逝ってしまった貴方を思いながら過ごす日も悪くなかったわね。もうすぐそちらへいくけれど、ちゃんと待っててくれますね?」
そう言って、大好きな人の名前が刻まれた墓石を撫でる。視界に映るその手はあの人が知ってるであろう私の手とは全然違って、しわしわ。
それを見て、少し、考える。
こんなにシワシワになって、あの人は私を分かってくれるかしら。
夜の帳が降りて、稀に見る大雨が降った日だった。
薄暗い裏道から1本外へ出れば、街のネオンが鈍く輝き、人が行き交う飲み屋街。だが今日のような大雨で人はほぼいないし、夜も深まってネオンもちらほら消えてきた。
そう、そんな日だった。
自分がその道を歩いた時、所謂裏社会の人間しか使わないような暗くて、狭い、そんな道から反響した発砲音が聞こえた。確か、今日、ここの辺りで兄貴が敵幹部との取引に出たんじゃなかったか…?いや、兄貴は強い。幾ら幹部といえども簡単にやられるようなたまじゃ、いや、でも……。
何故か胸がざわついた。確認だけだと心をしずめて、足音を忍ばせて裏道へ入った。
奥まで入ったところで、暗くてよく見えなかったが、確実に足元が変わった。それは薄くたまった水を踏みながら歩いていたのが、何か違うものになったということだ。
「兄貴……?」
小さく呼びかけるが、人っ子一人反応しない。少し危険だが、スマホのライトで辺りを照らしてみた。
目線の高さには誰もおらず、視線を下に向ければ真っ赤な水溜まりの中心に兄貴が倒れていた。思わず持ち物を落としてしまった。だがそんなこと構うことでは無い。
「兄貴っ!!」
そう言って彼の頭を自分の膝にのせ、怪我の具合と安否を確認する。出血は腹から、顔色は青白くて、とても悪い。きっと助からないだろう。でも、でも!
自分はうわ言のように兄貴に大丈夫だ、必ず助かる、と声をかけることしか出来なかった。そんな自分の頬に兄貴が弱々しく手を伸ばした。自分はその手を取って頬に添えるのを手伝った。兄貴の次の言葉を待つ。兄貴は薄く口を開いて
「1つだけ、約束しろ…。お前は、もう、足洗え。真っ当に、生きるんだ。お前が、人に恨まれて、こんな、意味わかんねぇ、暗くて、くせぇ道で、死ぬ…なんて、俺、絶対やだ。」
わかったな、そう言ってへらっと笑ったあと、兄貴の手は重力にしたがって真っ赤な水溜まりに落ちた。
雨は善い。泣き声が誰にも聞こえないから。自分はその日、人生で一番泣いたと思う。
嗚呼、自分の人生にたった一つ後悔があるなら、俺が兄貴の約束守らずに兄貴の仇取ろうとして同じテツ、踏んだことかなぁ……。立ち向かったことに後悔はない。けど、まだ誰も知らない。兄貴を殺したヤツらは、地球侵略を企む宇宙の……
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私が街のネオンがまだ少し残ってる道を選んで帰路を辿ってたとき、所謂裏社会の人間しか知らないような道から、私の聞き慣れた人の頭を足の裏で潰した様な音が聞こえてきた。
……確か今日は先輩がこの辺りで…………
プラスチックの宝石がついた指輪を朝日にかざして眺める。それが私のルーティンだ。他の人にはただの安っぽい子供のおもちゃにしか見えないだろう。だけど、この指輪は私の宝物なのだ。
きっとどんなにお金に困ったとしても、家の中の物を全て売り払ったとしても、この指輪だけは大事に手元に残すだろう。角度を変えればそれに合わせてキラキラ輝く宝物を眺めて昔を思い出す。
私が小学校5年生になった夏。彼は向日葵の黄色と一緒に私の家の隣へ越してきた。浅黒い肌に真っ白な歯を見せて笑う彼の顔が今でも脳裏に焼き付いて離れない。彼の活発な性格が、地元の男子との相性が良かったようで、毎日のようにサッカーに勤しんでした。
彼と対照的に、内向的な性格で友達も少なく、部屋で本を読んで過ごしている様な子供だった私がどうして彼と仲良くなれたのか。それは尊敬にも値する彼の性格に所以する。
運動が苦手だと何度も断ってるのに、他の友達と遊ぶことを何度も進めてるのに、いいからと手を引き一緒にキャッチボールをしてくれた。下手くそな私の投球も笑いながら取ろうとしてくれたし、私が取りやすいように柔らかくボールを投げてくれた。
雨の日はコンビニで買い込んだお菓子を持って私の部屋に上がり込んできた。遊ばないよ、そう言って1人本を読めば後ろから覗き込んで一緒に読んだりした。彼に本のあらすじや、面白いところを話すのは、まあ、少しは楽しかったかも。
ただ、5年生ともなればマセた男子がいつも一緒にいる私達をからかったりしてきた。私は男子にバカにされるのがすごく腹立たしく、その程度ほっとけばいいのに、ムキになって言い返してしまった。それも彼を侮辱するように。
その日から私はもう男子にからかわれない様、彼とは距離をとるようになった。一緒の登下校も、キャッチボールも、雨の日の読書も全て断った。そんなある日、確か夏の終わりを告げる冷たい風が吹くようになった頃だったろうか、赤い顔をして俯いた彼が玄関先にいた。
握りしめた手を私の前に突き出して、力を入れて目に溜まった涙を落とさないようにした彼は早口で言った。
「おれ、お前にやなことしたのか分かんなくて、でも、そうならごめん!反省するし、もうしないから、だから…」
そう言って私の手を取り、握っていたものを手のひらに押し付けて続けた。
「避けるのやめて!お前と、仲良くしたいんだ!!」
そう言って家に走り去っていった。手のひらを見れば、大分優しくなった夏日に照らされた美しい指輪が置かれていた。
「ばーーか!エイプリルフールの嘘に決まってんだろ!」
そう叫び、赤い顔を隠しながら走り去った昔の自分を、毎年この日に必ず思い出す。
自分が言ってすぐ嘘だと否定した言葉に頬を染め、返事をしようと薄く口を開いたあの子が、その後どんな顔をしていたのか、本当は何を言おうとしたのか僕は何も覚えていない。
ただ、大人になってもこの日が来れば懺悔でもするように思い出す。
ああ、どうして誤魔化してしまったんだっけ、あの子が友達と話していた好きな人のことが気にかかったんだっけ…。
あの数秒間だけ彼女の好きな人が自分だと思い込めなかったものだろうか。そうしたらもしかしたら………。
僕はなんて卑怯な男なんだろう。毎年4月1日、新生活の初めに必ず地の底まで自己肯定感が落ちる。なんでも嘘をついていいあの日に絶対についてはいけない嘘をついた罰を、もうずっと受けてる。
並木道の桜をぼうっと見上げながら毎年同じことをぐるぐる考えている。もう会社に着く、そうしたらまた仕事をして、帰る頃にはすっかり疲れて忘れて、そして明日スマホで日付を確認した時に一瞬でも失念した自分を責める。
ああ、憂鬱だ。
「おはようございます。先輩。」
鈴のような美しい声が聞こえた。僕に向けた挨拶だと気がつくのに時間がかかった。軽く挨拶を返そうとした時、その人が何かとても楽しそうな様子であることに気がついた。僕になにか期待しているような……。
「………さくら?」
おずおずと尋ねると、可笑しそうにふふっと笑い、覚えててくれたんだと笑う君。忘れるわけがない。毎年君を思い出していたよ。もしもう一度逢えたら次は……。いや、その前に謝るんだ。
口をひらきかけたが、彼女の方が一瞬早く話し出した。
「私は貴方の事なんて今日まで忘れてたよ。だけど、院出て就職決まったって友達に話したら貴方も同じ会社だって聞いて…。ふふ、最悪!」
……そりゃそうだ。次なんて、あるわけない。あの時の彼女の返事がどっちだろうと、最後までちゃんと聞かなかったことは少なからず彼女を傷つけ不快にさせただろう。
情けなくて、何年も頭の中でシュミレーションしていた謝罪とは到底程遠く、口の中でもごもご小さくごめんと呟いた。
それを聞いた彼女はもっと笑顔になって言った。
「ばか。エイプリルフールの嘘だよ。」