もち

Open App
1/14/2024, 6:39:23 PM

#どうして

 
 
 
 いまだに、引っかかっている言葉があります。


 
──どうして、どうして、って。子どもじゃ
ないんだから。

 
 
 小さい頃から、どうして、ばかり言って
きました。
 
 どうして眠くなるの?
 どうしてシャンプーは目にしみるの?
 どうして虫はかわいくないの?
 
 あんまりうるさく聞くせいで、ある日、親から図鑑を渡されました。自分で調べなさいと言うのです。適当にあしらわれた気がしました。子ども心に不信感を抱き、大人なのに完璧じゃないんだと失望したのを覚えています。小学校を卒業する頃には、新品だった図鑑はめくり癖がついてボロボロになっていました。
 その後も、どうして、は相変わらずでした。
 
 どうして目が合うんだろう、こっちは窓に映った彼女を見ていて、向こうは窓に映ったわたしを見ているのに?
 どうして「赤」を表す漢字がこんなに色々あるんだろう?
 carrot(ニンジン)は数えられるのに、corn(トウモロコシ)は数えられない?どうして?
 
 どうして、が純粋に好きなのです。
 見つけると、わくわくするのです。とんでもない秘密が隠されているに違いない。解き明かさねば、おちおち寝ていられない。さながらピラミッドを調査する考古学者の気分です。
 社会人になってからは、「どうして」はより実務的になりました。
 
 どうして、この手順をここに挟むんだろう?
 2、3をすっ飛ばしていきなり4では、どうして駄目なんだろう?
 
 これは重要なことだと、わたしは思っています。マニュアルの根本にある意図を理解しておかないと、咄嗟に対応できなくなります。意図さえ把握しておけば、手を抜いてもよい部分と気合いを入れねばならない部分がはっきりします。すべてに満遍なく注力するなど、人並みが精一杯のわたしのような人間には無謀すぎます。

 以前の職場での話です。

 ある日、他部署にまわした書類が突き返されて、小さな騒ぎになったことがありました。同僚の担当していた案件でした。
 書類についていた附箋には「どうして、こうなるのですか?」と、向こうの担当者からの質問が書いてありました。
 ちょうど、こちらの部署でルーチンの一部を変更したばかりでした。はっきり覚えていませんが、業務でミスが発生したため再発防止として書類のフォーマットを一部変更したとか、チェック工程が増えたとか、そんなところでした。
 附箋をつけた彼の疑問を、わからなくもない
とわたしは思ったのですが、同僚たちは違った
ようです。
 他の担当者はなんのトラブルもなく完成させた書類を返してくれた、細かいことに引っかかって
つまずいているのはあなた一人だけだ。それが同僚たちの一致した意見でした。
 彼の評判があまり芳しくなかったのが、不利に働いたように見えました。理屈っぽいところがあるらしく、とにかく面倒くさい厄介な人だと、担当の同僚たちがこぼしていました。
 附箋上のやりとりだけでは納得できなかったので
しょう。
 彼はわざわざ、こちらの部署までやってきました。案件担当者である同僚のデスクでなにやら話し込んだのち、腑に落ちない顔で帰っていきました。その背中を見送って、先輩がぼやきました。
 
「どうして、どうして、って。子どもじゃないんだから」
 
 ひっぱたかれた気分でした。
 自分に言われたような気がしたのです。
 好奇心なんか持ってはいけない、もう大人なんだから、そう、否定された気がしたのです。
 言い返そうか、悩みました。自分よりずっとベテランの、部署のみんなから頼りにされている先輩です。結局、あいまいな苦笑いを返して、なかったことにしてしまいました。

 
 どうして、と考えるのが好きです。
 やっぱり今でも、変わっていません。
 見つけると、わくわくします。隠された理由を探して、すべてを忘れて夢中になります。
 それでも時々、あの言葉が古傷のように
うずきます。
 ズキンと、ほんの少しだけ、悲しくなって
しまいます。
 
 
 
 
 
 

1/9/2024, 12:41:55 PM

#三日月

 
 
 真夜中、家を出た。
 月明かりのなかを歩いていると誰かに出くわした。紺色のシャツの青年だった。
 
「よい月ですね」
「ええ、まん丸ですね」
 
 わたしたちの頭上にはビスケットのようなお月さまが、ぽかっと浮かんでいる。
 
「こんな晩は、あれが聞けそうです」
 
 あれとはなんだろうと首を傾げると、青年がほら、と目配せをする。疑いながら耳を傾けると、たしかに聞こえてきた。
 
 くわっそん
 くわっそん
 
 ちいさな、やわらかい鳴き声だ。
 
 くわっそん
 くわっそん
 
「なんですか、あれは」
 
 クワッソン鳥ですよ、と青年が答えた。
 
「いい声ですね、久しぶりです。今夜はついている」
 
 クワッソン鳥。
 
「あの声を聞くとね、僕は無性に鳴きたくなるんです。でもあんなふうには鳴けません。なんて優雅なんだろう」
「クワッソン鳥とは、なんですか」
「ご存知ないんですか。この辺りではめずらしいですからね、きれいな鳥です。こんがり焼けたきつね色の羽ではばたくのです。ああやって鳴くのはさみしいからです。仲間を呼んでいるんです。だれだって、独りはいやでしょう。鳥だって一緒です」
 
 くわっそん
 くわっそん
 
 しずかな夜の公園に鳥の声が響いている。
 
 くわっそん
 くわっそん

 たしかにどこかもの悲しい感じがする。
 ギャアッと、とつぜん悲鳴がした。
 ああ、いけません、と青年があわててベンチから立ち上がった。
 
「あなたも帰ったほうがいい。奴がきます」
「やつ」
「フィェーフです。急いで」
 
 ふぃえーふとは何だと訊ねると、駆けだそうとしていた青年は驚いてふり返った。
 
「知らない?フィェーフを?ニュースを見ていないのですか。最近はその話で持ちきりですよ、ああ、だめだ。ごらんなさい」
 
 青年が指差した空を見上げると、ビスケットのようなまん丸な月が、真っ黒な影にムシャムシャ食べられていくところだった。どんどん食べられて小さくなって、公園も街も、たちまち深い闇に沈んでしまった。


 目をあけると、家のソファに座っていた。
 窓の外には欠けたビスケットのような、クロワッサンのような月が浮かんでいた。




 



1/8/2024, 8:16:41 AM

#雪




 森の奥にすむ魔法使いに、依頼がきました。
 

『 雪のにおいが する
  香水を つくってください
  お代はきちんと お支払いします 』
 

 学舎を卒業したばかりの、若い魔法使いです。
 よしきた、とさっそく箒にまたがって高い雪山のてっぺんまで飛んでいき、真っ白な崖の上空でパチンと指を鳴らしました。
 凍てつく空気がキラキラと水晶の小瓶のなかに吸い込まれていきます。銀色の靄でいっぱいの小瓶を黒いローブのポケットにしまうと、満足して森の家へ帰ってきました。
 魔法使いには、小さな相棒が一匹います。
 真っ黒な毛並みの、おしゃべりなヤマネです。
 小瓶をスンスンかいで、ヤマネが鳴きました。
 
『ぜーんぜん、ダメ』
「どうして?」
『雪のにおいだろ。ぜーんぜんちがう』
 
 魔法使いは、遠い雪国まで飛んでいって、まだ野ウサギの足跡すらついていない真っ白な雪原の上空で、パチンと指を鳴らしました。
 けれど、小瓶に鼻を近づけるとヤマネは首をふりました。
 魔法使いは、空高く飛んでいって地上に降るまえの雪をつかまえたり、北の海を飛びまわって流氷のかけらを集めたり、氷にとざされた王国の屋根から積もった雪をどっさり持ち帰って大鍋で煮詰めたりしてみました。けれどヤマネは小瓶にちょっと鼻先を近づけただけで、首をふります。
 
「お手上げだよ!いったい何が駄目なんだい!」
『雪のにおいじゃない』
「だけど!雪にはにおいなんて、ないじゃ
ないか!」
『そうさ』
 
 ふかふかの藁のうえで丸くなって、ヤマネが大きなあくびをしました。
 
『雪がふった朝は、においがしないんだ。だけど、においがする。あったかい藁と、かじりかけのヤマブドウのにおい。……ボクにはね』
 
 魔法使いは、大鍋の雪を捨てました。
 凍った小川に流れる冷たい水を、小瓶になみなみ満たしました。ひとしずく、緑色の薬を垂らしました。部屋中のにおいと騒音を追い出す、掃除用の魔法です。それから、ほんの少しだけ、暖炉の薪のにおいと、ホットチョコレートの湯気、日なたのモミの葉を混ぜました。

 翌朝。
 国中のあちこちに、雪が積もりました。
 ほんのり緑色がかった、きれいな雪でした。
 大はしゃぎで外へ飛び出して、くたくたになるまで遊びまわった子どもたちは、家へ帰ってくるなり一人残らず「ホットチョコレートが飲みたい!」と叫んだそうです。
 


1/5/2024, 4:52:33 PM

#冬晴れ
 
 
 ロウバイの香りが好きです。
 蝋梅、と書きます。
 植物なのに「蝋」。
 ちょっと不思議な字を使います。
 実物を見ると、すぐわかります。
 梅独特のあのピンと上へ跳ねた枝に、淡黄色の花びらが丸く重なってくっついています。この花びらが、半透明なのです。本当に蝋をうすく固めてくっつけたようです。
 正直に言うと、花自体はそんなにきれいとは思え
ません。
 こんなことを言うのは申し訳ないのですが、薄い黄色が何となくみすぼらしいのです。真っ白いお皿にこびりついたカレーの染みの黄色なのです。おなじ早春に咲くマンサクも、四月頃にパッとまっ黄色の茂みをつくるレンギョウも「カレーの染み」と認識していますから、黄色い花自体にあまり惹かれないのかもしれません。

 こんなに、いい匂いがするのにね。

 ちょっとがっかりして、裏路地に覆いかぶさる
ように伸びている枝の下を、通り抜けようとした
時でした。
 甘い香りにつられて、つい、顔をあげてみまし
た。
 青空がひろがっていました。
 寒さで澄みきった空に、蝋梅の花が咲いていま
す。冬の昼下がりの陽の光が、半透明の花びらをすかしています。硝子細工のような、つららの先の滴のような、繊細なかがやきを放っています。ふわりと甘い、どこか切ない香りがただよっています。

 心が、すっきりしていました。
 もう少しだけ歩いていこうかと、帰り道とはちがう方へ、軽くなった足を向けていました。
 






────
追記:
梅とつくが、じつは梅ではないらしい。クスノキ目とのことで、枝の形状も全然ちがう。おかしいな。
引っ越してから近所でさっぱり見なくなったため記憶が混同していたもよう。

1/4/2024, 4:15:36 PM

#幸せとは 
 

 
 ──みんな喜んで、いつまでも幸せに暮らしたのでした。
 
 さいごのページのいちばん端っこの、『おしまい』まで読み上げて、パタンと絵本を閉じました。
 となりで聞き入っていた弟が、ねえ、とお兄さんにたずねました。
 
「シアワセって、なあに?」

 お兄さんは、ちょっと困ってしまいました。
 地下壕の外では、銃撃音がしています。なにかが爆発する音も、だれかの悲鳴も、すっかり聞き慣れた日常の一部です。
 うす汚れた毛布にくるまって寄りそって座っている小さなふたりの足元で、ランタンが青白く光っています。エネルギーコイル式の、とんでもなく旧型の反磁力発光ランタンです。クォーツ芯棒のまわりを青白い粒子がフワフワただよっていますが、その光は不安定で、今にも消えてしまいそうです。
 弟は、外の世界を知りません。
 管がつながったまま、ネオ・ヒューマン生成プラントの床に転がっていました。培養水槽は粉々で、床にガラスが飛び散っていました。
 
──これは命への冒涜である!我々は解放軍だ!
 
 押し寄せてきた大人たちは、口々にそう叫びました。いっせいに銃口をむけて中枢AIステーションとオムニスフィアを爆破し、エネルギー供給パイプを断裂させ、生まれるまえの子どもたちを培養水槽から無理やり引きずり出しました。あちこちでシステムがダウンして、停電が起こりました。完璧な環境管理に慣れきっていた芝生も街路樹も、どんどん枯れていきました。崩れた遮断壁から流れこんでくる未濾過の外気のせいで、病気になる住人がたくさん出ました。おなじチルドレン・ネストで育った仲間たちはどこへ逃げたのか、生きているのか、もうわかりません。
 
 お兄さんは、弟から目をそらしました。
 床の鞄に手をのばして、保存チューブを一本、取り出しました。色あせたオレンジのラベルに「完全合成リキッドスープ・本物のトマト風味」と書いてあります。廃倉庫を隅から隅まであさって、ようやく見つけた食料の、最後の一本でした。栓をぬいて、ひとつしかないマグカップに注ぎます。オートヒーター機能が壊れかけているせいで、湯気はほとんど立ちません。
 弟とわけあって、ひと口ずつ、スープをすすりました。
 
「あったかいね」
「ちょっと、すっぱいけどな」
「きょうだいで、よかったね。さみしくないもんね」

 銃声が激しくなってきました。
 寄りそった弟を守るように、小さな手を、ぎゅっとにぎり返しました。
 
 

 
 



Next