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6/5/2023, 9:24:52 AM

 明日の予習を済ませたリュカは、ぐーっと伸びをした。
 入学して今日で二週間が経つ。
 復習、予習、復習。
(このサイクルにも慣れたけど、やっぱり春休みに先取りしてて良かった……)
 入学式の翌日早々に行われた試験の結果で、科目ごとに習熟度別にクラスが割り振られた。
 B、C、B、B、C。
 入試最低点ギリギリで合格したリュカにしては、3科目もBクラスに滑り込んだのは上出来だ。改めてこのようにランク分けされて落ち込まなかったといえば嘘になるが、前向きに捉えることにした。それに、春休みを少し犠牲にしただけで真ん中のクラスに入れたのだから意外とどうにかなるかもしれない。そう安易に捉えて、初めての授業を受けに教室に入ったのが地獄の始まりだった……。
 授業スピードは速く、予習していた範囲などゆうに超える。それでいて、教科書通りの問題を淡々と進めるのではなく、横道に逸れた内容もさらい、たまに授業とは全く関係のない雑談まであるのに、追いつかない。
「先生は普通だって言ってるけど、絶対速い」
「Cですら速いのに、ABなんてどうなってんだよ」
「席順的に次の授業で当てられるのわかってても怖すぎる。どうせ予習してもすぐ追い抜かれるからやめたけど、明日は流石に予習してから出る」
「予習なしで受けるのキツくない?でも宿題が少ないのは確かだけど、結局やること多いよな」
「入る学校間違えたわ」
 先日寮の談話室で、同じCクラスの同級生らとそんな話になった。スピードをはじめ授業に戸惑っているのは自分だけじゃないんだと安堵した一方で、彼らの退廃的な空気、まだ始まって二週間なのにもう俺たちは進級できればそれでいいという諦念のムードに危機感を覚えた。
(何のためにこの学校に来たんだ……) 
 与えられた物ではなく、何でも良いから自分で掴み取りたかった。習っていたピアノは好きだったが、4歳の時から続けてきた分、才能の有無がよくわかってしまった。それはそれとして弾くのは楽しかったが、趣味の範疇で収まったピアノではないな、と思った。
 そんな時にリュカが知ったのが、この学校だった。王国随一の普通科の名門校で、入学試験は最難関。それでいて、生徒たちは勉強以外にも力を入れて、部活動や課外活動、時には大学顔負けの研究活動に熱中し、各々が己の道を好きなように突き進む。自主性、自立。一言で言えばそういう言葉が当てはまるのだろう。
 順当にいけば神術士になれる。普通科の名門校と神術科の名門校。二つの学校案内を机に置いて、リュカは腕を組んだ。親はどちらも王立学校で教鞭を取る大神術師。大人の知り合いは数少ないはずの神術師・士ばかりという異質な環境で育った。ピアノよりも先に神術を教わり、神術のジュニア大会にも出場し、生活の中には当たり前のように神術が存在していた。そんな環境だったから、周囲は「あの子もいずれ親と同様神術士になるのだろう」という眼差しで見ていたし、それを期待していた。リュカ自身、そういう期待を裏切って普通科の学校に行ってもなお、いずれ神術士になるかもしれないと思っている。神術士になるには、国家試験を受けなければならないが、受験資格に規定はない。それこそ、リュカのように神術学校以外の出身者でも合格している人は少ないながらちゃんといる。
 一度離れた方がいいかもしれない。リュカはそう思い、神術関連から距離を置くことにした。
 



 それでもリュカは、不思議と心が躍っていた。きっとBクラスでも下から数えた方が早いだろうが、この学校に合格しなければあの濃密な授業に出会えることもなかった。



 入寮当初は狭い部屋だと思ったが、余計なものがない分勉強に打ち込むには最適だった。そういう意図でわざと狭い個室にしたのかもしれない。

6/3/2023, 6:56:21 PM

 卒業後、私は結婚する。
 初恋の、いずれ帝国を統べるお方の元に嫁ぐ。

 上流階級の結婚に「恋愛」の概念はない。
 幼学舎生の時に読んだ「王女たちの恋愛結婚」は一応実話を基にしているが、その恋愛相手ですら同等の家柄か大貴族のご子息ばかりだ。中級貴族もいることにはいるが、あくまで将来を嘱望されている優秀な婿、明らかに権力者の後ろ盾を匂わせるような相手だった。
 小説の題材になる大恋愛の貴賤結婚なんて、本物の世界ではあり得ない。幼学舎はおろか学舎に貴族階級以下は殆どいないし、王侯貴族が一同に集まる社交界でも関わる相手は自然と選別される。恋愛なんていったって、限定された狭い世界の中でしか選ぶことができない。

 あなたは幸せよ、だって相手があの太子殿下じゃない。
 幾度となく聞いたその言葉は、羨望かやっかみか、それとも本心から幸運な結婚だと思ってのものなのか。
 そりゃあ幸せだろう。いずれ帝に即位する権力者で、その為人は人格者と名高く、しかも私の場合は家族ぐるみで仲が良い。
 太子殿下ーー当時はまだ太子ではなかったがーーとの婚約が決まったのは、まだ幼学舎に通うか通わないかぐらいの年齢だった。時々屋敷にやって来る優しいお兄さん、一緒に遊んだり勉強を教えてくれたりする大好きなお兄さんと慕っていた。
 かつては私も自分を「世界で一番幸せな女の子」だと信じてやまなかった。昔の私を知っている古い知り合いは、未だにそう思っているだろう。
 だけど、気づいてしまった。私の気持ちと、太子殿下の気持ちにズレがあることを。
 太子殿下は、誰にでも優しい。その優しさは嘘ではない。きっと結婚した後も同じ気持ちで接してくれる。ただ、私が欲しかったものと違うだけだ。
 幼馴染として、気心がそれなりに知れている相手として、失ってはならない支持基盤の大事なお姫様として、これからも丁重に接する。その距離が縮まることは一生ない。
 これを失恋なんて言ったら、皆笑うだろう。端から見れば「初恋のお兄さんと結婚した」ことに変わりはない。失恋……以降も太子殿下との関係は変わりなく続いていったが、私の心持ちは変化した。
 誰よりも付き合いの長い私が、盤石な統治体制を作ろうとしている太子殿下の右腕になる。
 太子殿下の妃になるのは、私だけではない。私を含めて6人いる。この妃選びには、太子殿下も積極的に関わったと伺った。
 支持基盤を持つ私。
 天才的な頭脳を持つ千華王女。
 圧倒的な軍事力を持つ朝霞王女。
 桁外れの財力を持つ小雪公女。
 秀でた神力を持つ澪子公女
 ……学舎の同級生として信頼を置いている真穂王女。
 まとめたらこんな感じだろう。
 妃として問題になるのは、今後学舎に編入する千華王女と澪子公女。まだ幼い朝霞王女。
 いずれ妃らをまとめるのは、最年長の真穂王女になると思う。学舎在学中は私が、妃に相応しくなるようにフォローする。
 幸い「失恋」しそうな妃はいないようだ。美琴は胸を撫で下ろし、今後の行動を考え始めた。

6/2/2023, 4:02:58 AM

 この時期特有のひんやりした雨の日が続くと、ルーカスは落ち着かない。自分ですらソワソワしていることを自覚しているのだ、領主様やベルンにも気づかれている。元々甘い領主様が更に甘やかしてくるし、いつもなら嗜めるベルンがそれを黙認しているのだ。
 だからといってそれを全面的に受け入れられるほどルーカスは子供でなかった。もう再来月には10歳になる。以前はいつか屋敷を追い出されるんじゃないかとヒヤヒヤした時もあったが、2年近く過ごすうちにそんな不安は解消された。領主様は縁もゆかりもない孤児を背負って執事見習いに雇うようなお人好しだし、ミスをしても改善するまで横で見ているのがベルンだ。仮にルーカスが屋敷を離れようとしたら、彼らの方から呼び止められることは予想付く。
 その日雨は一日中降り続いた。外で体を動かしてないせいか、夜ベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。トイレにでも行こう、起き上がったルーカスは部屋を出て壁沿いを伝って廊下を歩く。昼間はなんとも思わないのに、人の気配がない廊下が、暗闇から浮き出て見える花瓶が、誰かわからない人物画が無性に恐ろしかった。
 ……肌寒いのは雨のせいだ。ルーカスはそそくさとトイレに行った。部屋までの帰り道、ふと階下を見るとほんのりした光が見えた。ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る階段を降りた。半分ほど降りて光の方に着目すると、それは台所のあたりだと気づいた。
 エルンスト様だ!途端に肩の力が抜けたルーカスは、足取り軽く残りの階段を駆け降りて、明かりの付いている台所に顔を覗かせた。
「エルンスト様!」
「うわあっ!…………って何だルーカスかあ、驚かすなよ」
 振り向いたエルンストは、どうしたの眠れないの?と言う。台所には、一つ大きなテーブルがあり、四脚の椅子が並んでいる。座りなよと席をすすめるエルンストに甘え、台所に入る。
「いい匂い……コンソメ?」
 エルンストが火の元で何かを煮ている。
「そうだよ、具材は何もないけどね」
 ルーカスもいる?と尋ね、食い気味に欲しいと言うと笑われた。そこの棚のコンソメと後追加の水、という指示に従い自分の分のそれらをエルンストに渡す。
 スープのぐつぐつした音と、ぼうとした火の音だけが台所を包み込む。
 ねえ知ってる、静寂を破ったのはエルンストだった。
「夏が訪れる前のこう言う時期に降る雨のことを、とある外国では梅の雨と呼ぶんだよ」
「梅の雨?」
 プルーン聞いて思い浮かんだのは、この前食べたお菓子だ。もちっとして、ちょっとカスタードの味に似ていたファ、ファー……
「ファーブルトンね」
「それだ!でも何でプルーンなの」
「えーっと……その地域でもプルーンに似た果実が収穫されるんだけど、その収穫時期がちょうど今みたいな雨が続く季節だからだよ」
「そうなんだ、雨じゃなくてプルーンならおいしいのに」
 梅の雨にはもう一つ説があるのだが、母国語の読み書きを習い始めたばかりのルーカスに、表意文字と表音文字の違いや同音異義語をわかりやすく教えるのは難しかった。
 そろそろか。エルンストは火を止めた。
 ファーブルトンまた食べたいなあと呟くルーカスのために、明日料理人に頼んでみよう。

6/1/2023, 9:27:03 AM

 美琴から茶会に誘われたのは、昨日の午後のことだった。澪子がいつものように学舎の庭で土いじりをしていると、美琴がやってきた。
 護衛はいるが、舎内で侍らせているいつもの取り巻きがいない。花壇の囲いの前で立ち止まった美琴は、日傘を畳んだ。
「あなた、明後日の午後の予定は?」
 取り巻きがいようといまいが、その居丈高な態度は通常運転だった。
「明後日ですか?明後日は1日、特に何もないですよ」
 だから本邸の庭に手を加えようと園芸店で購入した、とまで言いかけた澪子は口をつぐんだ。日差しが眩しいのか目を細めた美琴は、後でお茶会の招待状を送るわとだけ言い、日傘を差し直して去ってしまった。

 有言実行。
 その日学舎から帰るや否や、本当に招待状が届いた。ふわりと鼻をくすぐる薔薇の香りを漂わせ、いかにも格調高そうな高級紙に手習の手本のような整った字。金色の文字で書かれた鳳翔澪子王女殿下に頬を引き攣らせた義兄は、とうとう美琴を怒らせたのかと青ざめながらも、家令に手土産を用意させ、澪子に茶会での振る舞いを叩き込み、女中頭に訪問着を選ばせ、当日澪子に付いていく護衛や目付け役に対して美琴の逆鱗に触れる前にフォローできるよう一挙手一投足何もしでかさないように見張ってくれと念押ししていた。
「わざわざ友達……友達?知り合い?の家に行くだけなのに、美琴ちゃんも兄様も大げさよ」
「澪子、くれぐれも美琴ちゃんなどとちゃん付けで呼ぶんじゃないよ」
 立場ある者が口頭ではなく敢えて招待状という紙に残すことを選ぶ意義を説いた義兄は、かなり不安げな様子で澪子一行を見送った。

 しかし、こんな仰々しい訪問に美琴は特段動じることなく、茶の間に案内した。
「あなた、鳳翔のお屋敷で畑なんて耕すほど農業に精通しているけれど、学舎では庭師とよく一緒にいるわね。それならお花にも詳しいのかしら」
 美琴がテーブルに出してきたのは、植物の写真がたくさん載ったアルバムだった。今度豊楽家が経営に携わっている植物園で

5/31/2023, 9:45:30 AM

「あんた魔法が使えるんだな」
 もう何度目かわからない言葉に、リュカはうんともすんともつかない返事でモゴモゴ誤魔化した。
「この間の暴風雨じゃえらく活躍したっていうじゃないか」
 おかげでこっちの商売上がったりだけどな、本業が大工の指物師の言葉に毒はない。
「何でこんなところに来たんだ」
「あんなすごい魔法が使えるんだ、魔法学校に入れば良かったじゃないか」
「それとも落ちたのか」
「……普通そんなことズケズケ聞いてきますか?」
 耐えきれなくなったリュカは嫌そうな顔をした。
「だって気になるだろ」
「……中等部、中学校まではちゃーんとフツーに魔法学校に在籍してましたよ」
 ため息を吐き、やや投げやりな様子でリュカは口にした。

「……色んな人の期待を裏切って、失望させて……」
 その時のことを思い出しているのか、リュカは目を細めた。やすりを握りしめていたことに気づき、慌てて手を開いた。ぐしゃぐしゃになったやすりを一生懸命平にしながら、
「それで、まあシンプルに居づらくなって逃げたんです。王都、王都から遠くに行きたくてこの学校に入ったんです」
 王都じゃ家から通うことになるから、と言いかけたリュカは誤魔化した。
 今回バレたのは魔法が使えることだけだ。興味があれば王都の魔法学校について色々調べられ、そこでの素行や親のことも芋蔓式に判明するのかもしれないが、今はまだ「少し異色な高校生」でいたかった。

「逃げたって良いじゃないか」
 別に誰かの許しが欲しかったわけじゃない。誰の許可があろうとなかろうと、リュカはほとんど家出同然に飛び出したし、誰にも相談せずに退学したのを後悔したことはない。
(……肯定してもらえるって違うんだな)

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