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 この時期特有のひんやりした雨の日が続くと、ルーカスは落ち着かない。自分ですらソワソワしていることを自覚しているのだ、領主様やベルンにも気づかれている。元々甘い領主様が更に甘やかしてくるし、いつもなら嗜めるベルンがそれを黙認しているのだ。
 だからといってそれを全面的に受け入れられるほどルーカスは子供でなかった。もう再来月には10歳になる。以前はいつか屋敷を追い出されるんじゃないかとヒヤヒヤした時もあったが、2年近く過ごすうちにそんな不安は解消された。領主様は縁もゆかりもない孤児を背負って執事見習いに雇うようなお人好しだし、ミスをしても改善するまで横で見ているのがベルンだ。仮にルーカスが屋敷を離れようとしたら、彼らの方から呼び止められることは予想付く。
 その日雨は一日中降り続いた。外で体を動かしてないせいか、夜ベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。トイレにでも行こう、起き上がったルーカスは部屋を出て壁沿いを伝って廊下を歩く。昼間はなんとも思わないのに、人の気配がない廊下が、暗闇から浮き出て見える花瓶が、誰かわからない人物画が無性に恐ろしかった。
 ……肌寒いのは雨のせいだ。ルーカスはそそくさとトイレに行った。部屋までの帰り道、ふと階下を見るとほんのりした光が見えた。ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る階段を降りた。半分ほど降りて光の方に着目すると、それは台所のあたりだと気づいた。
 エルンスト様だ!途端に肩の力が抜けたルーカスは、足取り軽く残りの階段を駆け降りて、明かりの付いている台所に顔を覗かせた。
「エルンスト様!」
「うわあっ!…………って何だルーカスかあ、驚かすなよ」
 振り向いたエルンストは、どうしたの眠れないの?と言う。台所には、一つ大きなテーブルがあり、四脚の椅子が並んでいる。座りなよと席をすすめるエルンストに甘え、台所に入る。
「いい匂い……コンソメ?」
 エルンストが火の元で何かを煮ている。
「そうだよ、具材は何もないけどね」
 ルーカスもいる?と尋ね、食い気味に欲しいと言うと笑われた。そこの棚のコンソメと後追加の水、という指示に従い自分の分のそれらをエルンストに渡す。
 スープのぐつぐつした音と、ぼうとした火の音だけが台所を包み込む。
 ねえ知ってる、静寂を破ったのはエルンストだった。
「夏が訪れる前のこう言う時期に降る雨のことを、とある外国では梅の雨と呼ぶんだよ」
「梅の雨?」
 プルーン聞いて思い浮かんだのは、この前食べたお菓子だ。もちっとして、ちょっとカスタードの味に似ていたファ、ファー……
「ファーブルトンね」
「それだ!でも何でプルーンなの」
「えーっと……その地域でもプルーンに似た果実が収穫されるんだけど、その収穫時期がちょうど今みたいな雨が続く季節だからだよ」
「そうなんだ、雨じゃなくてプルーンならおいしいのに」
 梅の雨にはもう一つ説があるのだが、母国語の読み書きを習い始めたばかりのルーカスに、表意文字と表音文字の違いや同音異義語をわかりやすく教えるのは難しかった。
 そろそろか。エルンストは火を止めた。
 ファーブルトンまた食べたいなあと呟くルーカスのために、明日料理人に頼んでみよう。

6/2/2023, 4:02:58 AM