ちょうど一年前から、“カレンダー”に君と行ったことを書き込むようになった。相合傘をした記念日であったり、君の自宅に招いてもらった日だったり、珍しくハグをしてくれた日だったり、私の中の特別な日を記していた。
今ではどうだろう。君と離れつある今、君と話した少ないやりとりをも記している。そのはずなのに、“カレンダー”の中には1個や2個しか、君の印がない。昔はその、毎日の重大さに気付けなかった。いくつも君の印がある、あの大好きな“カレンダー”の幸せを。私はつくづく生きる価値のない、醜い人間だ。いっそ君の手で私を殺してくれたら最高の幸せだ。失ってから大切さに気付き、たったひとりの君をもまっすぐ愛すことのできない、この、愚かな私を。
こんなに大好きな彼には、それは深い深い、“喪失感”を感じて欲しい。負の気持ちの底まで沈んで、俺の人生はもう終わりだと感じて欲しい。
そんなときにふと、再び私が現れる。汚れきった彼を痛いほど愛して、全肯定して、窮地に追い込まれた彼を救うことで「わたししか居ない」という確立した現実を体感してもらう。そんな彼にはもう私しか求められないね。ずっとそれで良いんだよ、14歳も下の私に、彼は溺れる運命なんだ。私の重たい愛情も“喪失感”には勝ってしまうからね
「世界に一つだけ」
かっこいいものが好きなのは男。かわいいものが好きなのは女とはよく聞き慣れたもの。これを人間は「多様性」と呼ぶようになった。
私はかっこいいものも、かわいいものも好きだ。おそらく、全人類そうだと思う。かわいい猫もすきだし、かわいい絵もすきだし、かっこいい車もすきだし、かっこいい犬もすきだ。「多様性」という枠組みに収めてしまうから堅苦しいだけで、全てはただ、「あれもこれも好きだなあ、あれは嫌いだけど、まあ私にとってはどうでもいい」くらいの感受性で良いのだ。
だが、ここでひとつ断言しておこう。
私は、ただのんびり生きている中でこの感受性の豊かさと、許容範囲の広さに気付けたわけではない。これらは全て、「世界に一つだけ」の、彼のおかげなのだ。わたしは、彼の文字がふにゃふにゃなところが可愛くて好きで、彼がバイクに跨るかっこいいところが好きで、彼のかっこいい歩き方が好きで、けど彼の言葉の語尾が優しい、可愛らしい発音が好きで。かっこいい存在もかわいい存在も、どちらにせよ私は好きなままだということに気付けた。
では、私はこれで何を伝えたかったのだろう?
そうだな、確かに彼は「世界に一つだけ」でしかない。けれど、「世界に一つだけ」の彼には、可愛さやかっこよさには抑えられないほどの幾億個の素晴らしさがこもっている。「世界に一つだけ」のはずの彼がこんなにも眩しく見えるのは、かっこよさや可愛さを含めた、そのもっと奥深く、多様だなんて脆すぎる、彼への私の重い愛ということだろう。
“胸の鼓動”が高鳴る
それは、彼に見つめられた時。逆に、彼のことを廊下で見つけた時。彼に苗字を呼ばれた時。もっとすごいのは、下の名前を呼ばれた時。そして何より、わたしと会話をしてくださっている時。
きっと他にもあるのだろうけれど、まだそんな関係にもなれていないのだ。時々、今のような教師と生徒の関係でなければ、もっと近い関係になれていたかもしれないのに、と悲しくなる時がある。そこで、もしもわたしたちの年齢が近くて同僚だったとしたらどうだろう?本当にお近付きになれただろうか?いいや、きっとそれは間違っている。大人としての秩序と距離感を人より何倍も気に掛けている彼なのだ、すんなり仲良くなれる訳がない。
そう考えるとやっぱり、今教師と生徒なのは奇跡なんだなと痛感する。彼からするとこの好意は邪魔でしかないし、そもそも恋ではなくただの憧れに過ぎないのかもしれない。けれど、この“胸の高鳴り”をその理由にするにはまだ、私たちには早すぎる。
「時を告げる」ようにそれはやってきたんだよ
私と君は仲が良かったものだから、私からの愛情と、君からの友情は途切れないんだと思っていた。私よりも仲のいい友人なんて君にはできっこないし、私だって君よりも好きな人ができるはずもない。
4月になってクラス替えをしてからもう5ヶ月、君は他の人とも友達になってしまった。当たり前なのだけれども、私の知らないところで私の大好きな君が他の誰かと話しているのが、許せなかった。
そんなことを言いつつも私は、新しく来た先生に恋をしていた。彼の言葉はすごく綺麗で、私は魅了されてしまった。あれだけ好きだった、君を差し置いて。
5ヶ月間、私の嫉妬と、君の良くわからない冷酷さのせいで、いつもみたいに話せなくて、「寂しい」とふと思った時、気づいてしまった。私は「君が他の人と仲良くしたのを良いことに、また私は他の誰か(彼)に縋ってしまった、君だけを愛し続けられない醜い女だった」ということを。私はつくづく生きる価値のない人間だな。放置されてはまた新しい人を探し、けれど君が戻ってきたら君だけに染まってしまう。けれどまた彼を見てしまえば私ははたまた、彼のことで頭がいっぱいになる。どうしてこんな人間になってしまったのだろう。愛に飢えた醜い人間が、生きていていいのだろうか。今回のことで「お前は生きていていい人間じゃない、そんな人間に幸福など来ない」と“時が告げ”てくれた気がした。ありがとう、これでやっと決心がついた。硬い縄を潜りながら、朝日に目配せをする