あなたを想って。想い続けて辛い時間を長らく過ごした。
「私なんかと一緒にいると、あなたは幸せになれない」なんて傲慢に満ちた考えだったかもしれないけど、家族を看取らなければならない、私の置かれている立場では、本当にあなたを幸せに出来なかった。
冬と春を超えて初夏。
思いきってあなたにメッセージを送る。
「あなたとの思い出に支えられて過ごしていた。差し支えなければ、もう一度会ってほしい」
コンクリートから上がる蒸せ返るような湿気と刺す様な日差し。やっと鳴き始めた蝉の声が響く。
独り鼓動だけが虚しく鳴り、ただ時間だけが過ぎたが、あなたからの返事は一切返ってこなかった。
どうやら、また、傲慢にもどこかで期待し、あなたが待っていてくれていると思い込んでいた自分に気づく。
桃色の百日紅(さるすべり)が垂れ下がり、そこの空間だけ華やかにしている。
濃い青の空を背景にし、百日紅に向かって上を向いて写真を撮った。
「過去にあなたが愛してくれた事は信じています。ありがとう。今日で本当にさようなら」
題:花咲いて
[悔やんでいる」事になるのだろうか。
母として、短い期間であっても面倒みてくれた事は、嘘偽り無く感謝している。
が、正直に。私が幼い頃より、私と同等の精神年齢だった母の事を、最期まで人として好きにはなれなかった。
実家を出て15年目の夏の日。
突然の叔母からの電話。
「お母さんが黒くなって死んでる」
駆けつけた私の目の前に、蒼黒く変色した母がいた。
警察によると死後3日ほど経っていたそうだ。幸いにも顔は十分に判別出来、不詳の病死と診断されて事件性は無かった。
片付けの為、実家を訪れ黒褐色の嘔吐痕を雑巾で拭う。死者独特の臭いが鼻にまとわりつく。
詳しい死因は分からなかったが、嘔吐物に食べ物が混じっておらず、コーヒー残渣様の時点で吐血したのだと予想された。
悲しいほど、涙は出なかった。
けれど。血の通わない人形と化した母の姿と、見つけられず倒れていた3日間を想像すると、心の深淵が恐ろしく冷たくなった。
…私は、後悔しているのだろうか。
題:もしもタイムマシーンがあったなら。
職場では「佐藤さん」近寄り難い、怖いという印象を持たれやすい。楽なのでそのキャラで生きている。
ネットでは「cloud」雲のように害の無い存在でいたい。いつでも消える。
数少ない友人からは「あんた」私の短所も知っている人。隠す事は何も無い。
あなたは「ゆうか」
呪縛のように、私の名を呼ぶあなたの声が耳から離れない。誰にも見せない顔を知っているのは、あなただけだった。
そしてあなたも、私にだけ見せる顔があった。
私達は、私達しか知らない顔を持っていた。
名も同じ。
あなたが呼ぶ私の名前は、私にとって特別だった。
題:私の名前
透明度の高い浅い水面が、遥か遠くまで続いていた。水面に青空が映り、空の中に佇んでいるようだった。
水の中に走る私のレールは、皆とは逸れ急カーブを絵描き暗闇へと走る。
足や手の皮が厚くなり、生きる為の傷を全身に作りながらも私は歩き続けた。
皆の後ろ姿がようやく見え、嬉しくて水面を蹴りながら走り寄る。
けれど皆は、畏怖の視線で「当たり前の道を外れた者」と一瞥し、はじめから居なかった者と認識したようだった。
私は下を向き静かに微笑む。傷だらけで無骨な自分の手を眺める。
一瞥をくれた者に近寄り、そっと頬を撫でた。
怖がらなくていい。
私はあなたを占有しようとしないし、支配もしない。
痛みを知っているからこそ、伝えようと思っただけ。
足元を指差す。
瑠璃色のネモフィラの花が何処までも続き風に揺れていた。
題:空を見上げて心に浮かんだこと
自問自答する。
ヘッドギアをつけた10代の自閉症と思われる少年が、電車の中で声を出しながら身体を左右に揺らしていた。
大学生くらいの青年が付き添い、小さな声で優しく声を掛け背中をさすっている。
電車が好きなのかな。
あのお兄さんは優しそうだな。
だが、勝手な妄想をしてしまった自分を恥じる。
逆の立場からの視線を想像する。
勝手な妄想で優越感に浸った人間が、ただ薄ら笑っていたのに過ぎないのでは無いか。
少年と自分の違いは何?
働いているから、社会人として、大人として、そして健常者として生きている事は偉いの?
窓から見える反対側の橋の上を、別の電車が走っていた。
何故か。
川の水面をきらきらさせながら走るもう一つの電車を羨ましく思った。
題:優越感、劣等感